18年生きてます。僕は今、専門学校に通っています。週三でバイトもしています。今のこの生活がとても辛いです。小学校、中学校、高校でも辛い思いをしたりしてきましたが、自分は何も変わらないまま、環境だけが変わっていって、年齢だけ重ねて、どんどん辛くなってきた感じです。
とにかく、怒られることが怖いです。バイト先でも、学校でもです。バイトでも専門学校でもまだ怒られたりはしてないのですが、怒られるかもしれないという不安が常にあるような感じです。専門学校ではもうすぐ怒られるかもしれません。課題が終わらなさそうなのです。いつも何かをやろうとすると不安になって目の前のことに手がつかなくなります。やる気がでないとかそういうのとは違う気がするんです。中学生くらいからこういう不安が出るようになった気がします。中学生の初めの頃、それまでの将来の夢に疑問を抱き、その夢を追いかけることをやめました。それからいろいろな将来の夢を探しました。どの夢が正解なんだろうと、所謂自分探しのようなものだったと思います。人生の指針みたいなものが欲しかったのかもしれません。最初の夢も僕のアイデンティティとして、それまでの僕を支えていてくれたのかもしれません。結局中学生生活の半分以上はそういうことに費やしていたような気もします。残りは誇大妄想、オカルトまがいの哲学的な何かに夢中でした。なのでロクな高校に進学できませんでした。所謂、多感な時期ですから、そういうことを考える時間も大切だとか思われるかもしれません。僕もそう思います。実際、自分探しに答えはでない、将来の夢に正解はないというように高校に進学する頃にはある程度自分の中での答えは出せたと思います。ここまでは良かったんです。ただ、ここからが僕も自分のことながらよくわからなくて、現在まで続く最大の悩みの一つなんですが、そういう理屈とかをおいてけぼりにして不安だけがあるような状態になってしまったんです。この状態がどういうものなのか先程述べた通り、自分でも理解できていないので、抽象的になってしまうんですが、無理矢理言葉に起こすなら「これでいいのかな」というような不安です。中学生の頃のように無理矢理将来の夢を定めて、それに向かって突っ走るというような無理をしているわけではないのにです。それが無駄だということも学んで理解しているはずなんです。でも、高校に入ってからはそのような不安が僕を支配するようになって、課題をするにも、将来の大きな目標(将来の夢とは違って、何ができるようになりたいのようなものです。ギターが弾けるようになりたいみたいな。)を立てて行動するにもその不安が心の深いところから湧き上
がってくるんです。
そして高校は数ヶ月程度でやめました。最後のひと押しとなったのがメモをした宿題の範囲が合っているか信じられず、違っていて怒られたらどうしようと不安になったことでした。
その後通信制の高校に転校したのですが、そこでも課題をやろうとするたびに沸き起こる不安に悩まされました。高校生活の途中、過剰に手洗いをしているというようなことで精神科にかかりました。この病院には今でも通っています。過剰な手洗いは強迫性障害の症状(今思えば、メモが信頼できないのもそれかもしれません。)として分類されるだろうとネットなどで調べて、かかりました。ただ、自分として手洗いの症状に関してはそこまで重いものではないという認識で、魂胆といいますか本当のところは、人一倍怒られることに敏感であることや、例の原因不明の不安を説明できて、あわよくば免罪符となるものが欲しかったんだと思います。それで、現在までその病院に通院を続けているんですが、先生とあまり合わないというか、最初に手洗いの症状が気になるというふうに相談したので、怒られることが怖いことや不安についてはあまり踏み込んで話せていません。
高校生活はそんな自分をなんとか変えたいと思い、いろんな方法を試行錯誤する日々でした。が、どれもうまくいかず、何も得ることもないまま卒業してしまいました。
そして高校卒業直前くらいに親からの圧力(僕が思っているだけ?)もありバイトを始めました。怒られるのが怖いので本当はやりたくありませんでした。そして案の定というか、二回でやめてしまいました。その時もだいぶ追い込まれて、飛ぼうかなとか、死のうかな、なんて考えたりしました。
そんなこんなで今は専門学校に通いながらバイトをしています。
ですが、既に限界が近く、いつ怒られるのかとビクビクしています。
とにかく怒られるのが怖いのと、何かをやろうとすると漠然とした不安に襲われるのが目下の悩みです。
強迫性障害の症状の一部なのか別の病気なのか、病気ではなくてただ根性がないのか。
なぜ、僕はこうなんでしょう。
僕を叱った人や、僕をいじめた人が原因なのか。環境か遺伝か。自分のせい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
僕の人生
感想2
悩みを誠実に言葉にしようとした経験談だと感じました。
自分の中で、生きづらさについてたくさん考えてきたのだろうし、情報も集めてきたのだろうと、思索してきた質量の大きさも感じました。
不安というものがいつもあなたを支配し、振り回してきた様子が伝わってきて、何が起きているのだろう、どうしたら少しでも楽になっていくのだろう・・・と真剣に考え込んでいます。
ちなみに、私は病気か病気じゃないかはあまり関係ないと思っていて、自分の力ではどうしようもない状態であれば、自分を責めずに、誰かの助けを借りて解決を考えていこう、というシンプルな話だと思っています。とくにメンタルのことはもし病名がついても、薬で全部解決するものでもないし、自分の心が今どうなっているのか、今後どう生きていくのが自分に合っているのかを見つけることが大切だと感じています。
誰かのせいなのか自分のせいなのかについては、例えばよく成功した人が「周りのみんなのおかげです」と言って拍手されるのに、悪いことがあって「周りのせいです」と言えない空気なのは筋が通ってないよなあ、ということをずっと思っています。私たちはこの世界で生きている存在なので、どんな気持ちも行動も、環境の影響と切り離すことはできません。だからそこもシンプルに、誰のせいと言い切れることはなく、全ては自分と環境とのマッチングで起こっていること。そして、じゃあどういうミスマッチなのか?どこに工夫や変化の余地があるのか?(基本的には自分個人よりも環境の方が変化の余地が大きいと思います)と考えていくのが大切。そう私は思っています。
怒られることについては私も苦手で、怒られたこともないのに、怒られるかもしれないと不安になるのも一緒です。私については、周りが怒られているのを見て、次は自分もそうなるのではないか…と想像してしまいます。だからあなたも、もしかしたら周りの情報にとても敏感なのかな…?と思ったりしました。
誰かが怒られているシーン、世間で何が良いと言われて何が悪いと言われているのか、周りの大人の顔色・・・もしそういったものを全部吸収したとしたら、怒られるかもしれないことはたくさんあるし、何が正解なのか間違いなのかもわからなくなるし、ずっと不安に左右されそうな気もします。実際につらい思いをしたことがあるなら、それはさらに加速するでしょうし、「怒られない、大丈夫なんだ」と実感できる経験がないと、自分の頭だけで不安を抑えるのには限界がありそう…?とも想像しました。結果を出せ、将来の夢をもって目指せ、怒られても負けるな、など、プレッシャーもたくさんある世の中なので、ささやかに良いことがあっても、その世間の波に負けてしまうかもしれないな…とも思いました。
もしかしたら参考になるかな?と思って書くのですが、私は年上は全員怖くて、年下(とくに子ども)は怒られても何も思いません。仕事するとなると、年長者がいない環境は今のあなたには難しそうですが、怒られる可能性が限りなく低い(と感じられる)環境はどこかにないだろうか?何かの条件を満たしたらそうはならないか?とぐるぐる考えました。何か安心して「今、目の前」に意識が向けられる瞬間があれば、その積み重ねで、少しずつ不安とうまく付き合えるようにならないかな・・・と。あなたに合う環境が何なのかわかりませんが、怖いものに挑むよりも、怖くない場所を探すのがよさそう、というのが私の感じたことです。
ちなみに私は文章を送るのが、返事を待っている間ずっと「怒られるかも」と想像して一番怖いです。だからあなたはこの経験を送った後どんな気持ちでいたのだろう?というのがちょっと気になりました。もしあまり不安を感じてなかったり、感じても耐えられる範囲だったなら、そこにヒントがありそうにも思います。
経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。あなたの生活の中に積み重なる不安の数々が印象的でした。これまであなたが自分自身に向かって、自分なりに問いかけ考えてきたことを感じています。不安や恐れというのは、人間に備わった危機管理のちからのひとつではないかと私は考えています。過去の経験や思考から、適切に恐れることができれば(適切にというのも変な表現ですが……)私たちは危険を回避することができます。不安の力が弱すぎれば、危ない橋を渡って落ちてしまうこともあるでしょう。ただ逆に不安や恐れが「理屈とかをおいてけぼりにして」膨れていく状態では、身動きがとれなくなってしまうこともありそうです。
読んでいて、あなたと私はすごくタイプが違う人なのだろうなと思いました。私はとても怖いことはいくつかあるのですが、不安を感じることは少なくて、それで失敗することもあれば、楽をしていると感じることもあります。私はADHDという障害の診断があって、その特性につながる部分もあるのかもしれません。(未来のことを想定することが苦手です)
あなたは逆に、たくさんの想定を日々しているし、目標など未来にわかりやすいなにかがあるほうが楽なタイプなのかなぁと思います。そういう意味で、あなたは、今しか見えない傾向が強い私よりも、過去にも未来にも、広い視野があるのかなと思いました。
ただ、視野が広くあるからと言って、すべてわかるわけではないし、むしろ見えるからこそ怖くてなにもできなくなってしまう悪循環もあるのかもしれません。
専門学校に通っていて、課題もしながら週に三回バイトしているのは、私からみてかなりタフな過ごし方というか、ハードワークだなぁと感じました。もちろん、人によってできることの量は違うのですが、たくさんの心配を抱えながら、社会の中でさまざまな活動をして過ごすのはすくなくない負担があるのではないかと気になりました。(余計なお世話だったらすみません……)
私も怒られるのはとても苦手で、そんな状況にならないようにしたいと思っています。でもなかなかそうやろうと思ってできるわけでもないのでむずかしいです。(今日も薬局で、強めに指摘されることがあって、怒られたわけでもないのですが、内心かなり「うっ」となりながら、帰ってきました。)
というわけで、今も怖いことはいろいろあり、こわくなくなる方法を教えるようなことは全然できないのですが……。今は私は自分の暮らす部屋が好きなもののある場所だとわかっていて、落ち着けることを知っていて、ひとまず自宅に戻ってベッドに寝転がったらすこしだけ楽になることを覚えています。それから、自分にとってしんどいことを文章にしたり、ときには人に話したりすると、ちょっと安心したり、自分で捉え直すことができたりすることもあるなぁと思っています。
不安や恐れの原因や理由、意味を探すのは、なかなかむずかしいなぁと思います。ただ少なくとも「根性がない」とか、あなたが悪いということではないと思いました。問題はなにが悪いかというよりも、あなたがそれで日々困っているということなのかなと思います。
不安や恐怖を「なくそう!」と思ったからといって、簡単になくせるものではないから、困っているのかなぁと、私はあなたの経験談を読んで思いました。それなら、あなたにとって、不安を感じたときに落ち着ける場所や、自分にとってのお守りのようなもの(神社とかそういうのは別に関係なく、自分の好きなものや、安心できるもの)、逃げ込めるものや場所などがすこしずつ見つかったらいいのかなぁと思いました。
投稿してくれてありがとうございます。あなたの人生の中で、また言葉にしたいことがあるとき、よかったら死にトリに投稿してくれたらうれしいです。