経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
拙く読みづらい文章になってしまうことをお許しください。
小学生の私は、希望に満ち溢れた子供でした。日曜朝のヒーローにあこがれ、愛は世界を救うと信じている、普通の子供でした。しかし、ある日を境におかしくなってしまったのです。いじめが始まったのです。それは暴力や暴言など直接的なものではなく、無視したり、席を離したり、とても陰湿なものでした。今でも覚えているのは、ただひたすら私を『見』ていたことです。男子二人からいじめを受けていたのですが、彼らは私の仕草や行動、口癖など全てを観察し、指摘したうえで「きもちわりー」「バカみてー」など嘲笑う。そのたび私はただ恥ずかしさで顔をそむけることしかできませんでした。しかし私は親に迷惑をかけたくない一心で、学校を休んだり、誰かに相談することはしませんでした。毎日親と同じ寝室で、枕に顔を埋め声を殺し泣いていました。そんな日々を送っているうちに、『私は常に監視されている、笑われている』という意識を刷り込まれてしまったようです。自殺も考えましたが、家族のことが頭に浮かび、一歩を踏み出せずにいました。
このいじめは、私のことをずっと気にかけてくれていた恩師のおかげで幕を閉じました。いつも楽しそうに喋り、授業にも積極的だった私が、常に下を向き挙手もしなくなったことをおかしいと思っていてくれたそうです。それぐらい、私は変わってしまったのです。
中学でもいじめを受けました。きっかけは、人の彼氏に手を出したと勘違いされたことからでした。
クラスメイトの一人、Kには中学でできた彼女がいたのですが、当時そういう情報に疎かった私はそんなことを知らず、今までのようにKと話していたところを「彼氏を奪おうとしている」と思われたのです。いやそんなことするわけないだろう、そんなつもりは無かった、と、言えばよかったと思うのですが、すっかり怯え切った当時の私はどうすることもできませんでした。いじめは学年のほとんどの女子によって行われました。中学1年。部活であまり話したことのない子に声をかけたとき、顔を背けられ、無言で去られたことを今でも鮮明に思い出せます。
授業中も休み時間も常に視線を感じ、笑い声や話し声がすべて自分のことを言っているように聞こえる。また私は顔を上げられなくなりました。私にできることは、前回同様、ただ学校に通うだけでした。
中学のある日、部活で校内を移動中、小学生の時にいじめてきた男子の一人が、二人きりの階段で私に謝罪をしてきたのです。私は彼を許しました。いや、心の中では「は?何言ってんだ今更」と思ったのですが、とりあえず言葉では許しました。なぜ許したのか、それは私が『優しさを履き違えていたから』です。
幼い頃から、母親に「優しい子になってね」と言われて育ちました。私は優しい子になろうとしました。人のために生きれば、良いことをすれば、神様は見てくれている。いつか恩は返ってくる。幸せになれる。そう思って生きてきましたが、私は優しさをよく理解していなかったため、「己を犠牲にした優しさ」しかできなかったのです。やりたくないことを代わりに受ける。自分の意見は出さずただ相手を肯定する。相手のすべてを許す。うまく言えませんが、このような自己犠牲ばかりしているのに、一向に報われない。それどころか触れるのは人間の悪意ばかり。
しかし単純で愚かだった私は最後は幸せになれると信じて思考も放棄して、ひたすら私なりの優しさを振りまいていました。そしてそれと同時に、この世界への疑心も育てていきました。そうしなければ他人は私を好いてくれないとも思っていました。
これらの経験のせいか、私はすっかりネガティブになりました。友達とは一切連絡も取らず、恋人もおらず、生きる意味も見いだせず、ふとした瞬間に虚無が心を覆いつくすのです。
私は生きていくために、生きる理由を作り続けました。SNS、ゲーム、動画視聴。そして私は、いつしかSNSで知り合った人に依存していました。
Gさんはとてもやさしく面白い人で、私をかわいがってくれました。共通の趣味で繋がり、数年話したり遊んだりオフ会で会ったり、絆を深めていきました。彼女は家庭環境がとても酷く、仕事があるのに明け方まで眠れない日が何度もありました。私はそんなGさんを哀れんで、ほぼ毎日通話に付き合っていました。平日でも朝5時まで起きているなんてことが当たり前になっていました。Gさんはそんな私を心配していましたが、彼女からの感謝と好意が生きがいになっていた私はずっと無理をしていました。いつか彼女の恋人になれたら、ようやく報われるのかも、などと思っていました。
しかし、この頃の私は本格的におかしくなっていました。今までの積み重ねか、与えた優しさに見返りがないことに心底イラつきました。こんなに身を捧げているのに、Gさんは私を愛してくれない。求める以上の言葉を返してくれない。私の優しさは、もう一方的な押し付けに成り下がっていました。寝不足とメンタル不調で仕事もうまく行かずクビ寸前。母親にもはやく寝ろと言われるが、Gさんを見捨てられない。そんなある日、いつものように夜中に通話していたとき、母親が部屋に入ってきたのです。慌ててミュートする私。そして母親は腕を振りかぶり、私を殴りました。泣きながら「なんで言うこと聞かないの」「産まなきゃよかった」と叫んでいました。私はどうしたか覚えていませんが、ストレスでどうにかなってしまいそうな感覚だけ覚えています。その次の日、祖母からメッセージが届きました。祖母のことは好きで、今まで何度も家に泊まりに行くぐらいでした。読んでみると、
「母親に迷惑かけちゃだめだよ。労わってあげて」
という内容でした。そのとき、「ああ、私の気持ちを考えず母親の方を心配するのだな」と絶望しました。『いや相談していなかったのが悪いでしょ』と思うかもしれませんが、当時の私にとって、相談するのは他者への迷惑と同義だったのです。その瞬間、私の中で何かの糸が切れたように感じました。もう他人も、家族すらも信用できないと思いました。目が覚めた私は、いろんなことに気が付きました。
幼少期から母親の言葉に縛られ、さらには進学から就職まですべて親に委ねていたこと。他人のために生きた今までが無駄だったこと。私のしていたことは真の優しさではなかったこと。多分私は普通に人を愛せないこと。神様なんていないこと。気が付くのが遅すぎたこと。
ある意味吹っ切れた私は、自分のために別れも言わずGさんのいたコミュニティを離れ、他者への依存をやめ、自分の幸福のために生きることを決意しました。
母親はたびたび私に「生きていてくれればいい。愛してる」と言います。本心なのはわかります。しかし私はそれを聞くたび、「お前が産まなければこんな想いしなかったのに」と思います。
私は性格がお世辞にも良いとは言えないのです。自己中で他責思考で億劫。でも、無理をして優しいふりをしていたと思うのです。だから、ある程度自己中に生きている今は昔より楽です。
でも、虚無になって自死について考えるとき、親より先に死ぬのは申し訳ないと思う良心が私にはまだあるのです。大嫌いなのに、それで踏みとどまっているのです。もはや自分のことが理解できません。今後も理解できないだろうし、社会の歯車の一部として別に必要のない役目を果たしながら、小さな幸せを紡いで、時に枕を濡らしながらなんとなく生きていくのだろうと思います。
しかし、私には弟がいます。弟も、いじめを受けた経験や、学校の居心地の悪さで生きづらさを感じています。
母親は弟の「声優になりたい」という夢を適当に肯定しています。いや、調べもせず言うなよ。発声練習すらしたことも考えたこともないのに、本当に適当だな、と思いました。
弟にはちゃんと自分の意志で生きてほしいです。そのために、私が弟に寄り添いリアルを伝えてやらないとなと思います。
……絶望して偽善はやめようと思ったのに、こうやって人を助けようとしてしまうのはなんなんでしょうね。結局これも、自分のためなのかもしれません。
こんなことを書き出し、誰かに見てもらうことは初めてやりました。このような場所があってよかったと思います。読んでくださりありがとうございました。
感想1
優しさというものの不確かさや脆さを感じながら読みました。
幼い子どもにとって親は強い影響のある存在であり、世界の案内人のように感じている部分もあると私は思っています。だから親の「優しい子になってね」というメッセージは、世界は優しくあれば報われる場所であるとか、自分は優しくないと認めてもらえないかもしれないとか、親の思う以上に子どもの世界観を形成してしまうこともあるのかもな…と私はこの経験談を読んで感じました。
最初の方に「日曜朝のヒーローにあこがれ、愛は世界を救うと信じている、普通の子供でした」という言葉がありましたが、それは私の思う典型的な子ども像とは結構違ったので、ちょっと新鮮でした。私が思い浮かべる子どもは、自分の目の前のことを考え、楽しいことをしたくて、嫌なことは我慢したくなくて、どんな自分でいても大人は自分を認めてくれる(全肯定という意味ではなく、存在は否定されない)と思っている存在です。だから愛は世界を救うと信じているのは個性的に見えますし、経験の少ないうちに何かを強く信じるのは危ういことなので、ちょっと成長を注意深く見守っておいた方がいいかな…とも大人としては思います。(私は教育関連の仕事をしていたのもあり、子どもに対してはどう見守っていくかを考える癖があって、この発想が出てきてしまいました)
といっても、どんな子であれ、いじめを受けるのはその後も大きなダメージの残ることだと私は思います。恩師が気づいてくれたことには、勝手ながらほっとしましたが、怯えた日々や染みついた不安が簡単に晴れないだろうことを考えると、いじめの罪深さを感じます。
加害者の謝罪を被害者がどう受け入れるかというのも、すごく難しい問題だと思います。私は基本的には、謝られても許したくない人です。それで何かが戻るわけではないし、謝罪は傷つけた側の心が軽くなるための行為で、傷ついた側のことを思っての行為じゃないとも感じています(謝ってほしいと言われて謝罪する場合はそうじゃないですが)。だから謝罪をされる行為自体がもはや苦しいと感じますし、さらにそれを言葉では許すとなると、あなたの心の負ったダメージは大きいだろうと感じました。そして、人間に対する恐怖が膨らむほどに、わかってほしい、信じたい、という気持ちも強まったのではないかと私は想像しました。
Gさんとの話には”共依存”という言葉が私に浮かびました。私もそこまで詳しくないので、意味や例は興味があったら調べてもらえたらと思うのですが、Gさんの弱さとあなたの弱さが合わさって戻れないところにいったイメージを私は感じました。
追い込まれた心理状態だったのは伝わってきましたし、そこで母親に腕を振りかぶられ、祖母が母を労う、という流れは、酷という言葉じゃ表しきれないほどむごく苦しいことだったように思います。一番どうしていいかわからなくて、苦しいのは私なのに・・・!と叫びたかったあなたがいたようにも私は想像しました。(違ったらすみません)
経験談のタイトルは「純粋で、愚かでした」となっていましたが、私はそれは「理不尽な現実や傷ついた自分の心を見つめていたら生きていけなかった」と言い換えることもできるのではないか…?と私は感じました。
弟さんのサポートをしたいのも、誰かの大変さのことを考えたりあれこれ世話を焼くことで、一時的に自分のことを忘れられるからかもしれない…?と。というのも、私自身、私を助けるより他の人を助けることを考えてる方が楽だなと感じるのもありますし、私を助けようとしてくれた人に「この人、本当は私じゃなくて自分自身を助けたいんじゃないかな?」と思ったことが何度もあったので、その想像が浮かびました。
私は正義をわりと信じているタイプで、精神状態がまあまあ酷い時期も結構長かったので、助けようとする気持ち・行動も、助けてほしい気持ち・行動も両方経験してきました。そして結論としては、私が私自身を助けようとするとき、その気持ちを応援してもらったり、具体的な手伝いをしてくれたりする人はいるけど、誰かが絶対的に助けてくれることはない・・・と私は思いました。だから誰かを助けたいと思うのも今はおさえて、求められたときに必要なことをしよう、とだけ思っています。
性格のいい悪いは考え方がいろいろありますが、私は死にたい気持ちがずっとあるので、自分を誕生させた人々というその一点だけで、とくに人格に大きな問題のない親も祖父母のことも憎らしく思うときがあります。
でもそれは性格が悪いとかじゃなく、単に生きる上で傷ついてきたというだけだと私は自分については思います。だからあなたの「お前が産まなければ…」も、性格がどうこうではなく、あなたの悲しみから出た言葉だと受け取りました。
自分語りの多い感想になってしまい、失礼しました。
あなたが優しさを目指していくのかはわかりませんが、正しく自己中をやった先にしか、真の優しさを継続的に発揮することはできないように私は感じています。だからまずは自分のために生きるのが、私は優しさの第一歩なのだと思っています。
感想2
投稿ありがとうございます。一つ一つのエピソードに臨場感があって、胸が締め付けられるような感覚を覚えています。タイトルにもある純粋さや愚かさ、そして優しさって何だろうと考えながら、繰り返し読ませていただきました。
まず、いじめというものが持ってしまっている影響力の大きさを痛感させられています。あなたは「希望に満ち溢れた」小学生だったようですが、いじめによってそれは一変したと思います。それに、今でもあなたは「純粋で、愚かだった」と感じるかつての自分を思い返すことがあるのだと想像しています(この投稿が、その時の心情や光景まで細かく描写されていたので、私はそう感じたのだと思います)。あなたの中でいじめや人との関わりによって生じた不信感は強く残り続けているということがひしひしと伝わってくるようでした。また、人は誰しも純粋な部分や愚かな部分を持っていると私は思っています。そんな中で、むしろあなたは他の誰かの純粋さ、愚かさから生じる荒波に揉まれてきたのではないかと、読んでいて思いました。
印象的だったのは、中学生の時に小学校のいじめ加害者が謝罪してきたというエピソードです。部活での移動中とのことで、わりと急な出来事だったように見えます(その時点で、「なぜ謝る方の事情が優先されるの?」と、私としてはモヤモヤします)。それにあなたの中には少なからず、相手を許したくない・糾弾したいというような思いがあったのではないかと想像しました(というか私ならそう思っただろうなと感じました)。が、そういった感情を押し殺してでも母親の「優しい子になってね」という言葉を尊重し、その時のあなたが思う優しさを貫き通すという行動は、並大抵のものではないと私は思いました。確かに自己犠牲と呼べる要素はあるのかもしれませんし、今のあなたが思う真の優しさではないのかもしれないけれど、、それでも私は、当時のあなたの行いが他の誰かに否定されるようなことがあってほしくないと思いました。加えて、投稿の中で「あの時こうすればよかった」というような表現が散見されますが、私としては投稿者さんが後悔してしまう気持ちはうなずけるなと思いながらも、あなたがその時その時を、信念を貫いて精一杯過ごしているように見えたことも、伝えたくなりました。
Gさんと関わっている期間は、あなたの中で蓄積されていた、心の深い部分にある何かが表出され始めた期間のように思いました。お互いを支え合う関係性が、いつしか支えを求めあう関係性に変化していったのだろうか、などと考えながら読ませていただきました。私としては、頻繁に朝まで通話をするのは体力がもたないだろうと感じます。きっとその時のあなたもそれは分かっているし、実際体力の限界も感じているけれど、その通話があるからこそ自分を保てていた節もあるから手放すことも難しい、、そういった心境だったのかなと想像しました。そんな心境の中に飛び込んできた母親の言動からは、あなたの思いが放棄されている感じが伝わってきましたし、「投稿者さんが母親の言うことを聞くのは当然」という思考も見え隠れし(もちろん、あなたへの心配がピークに達したというところもあるとは思うのですが)、違和感を覚えました。そして祖母さんからのメッセージは、言葉の前後が1行ずつ空いていることもあり、特にあなたに突き刺さった言葉なのだと想像しています。言葉の裏側に、あなたのいろいろな感情に気付いていなかったこと、気付こうとしていなかったことが感じられる発言だと私は思いました。
一連の出来事によって家族に不信感を抱くようになったことへのやるせなさも、私は少なからず感じますが、あなたのさまざまな体験を知ったうえで、今の「ある程度自己中に生きている」というスタンスをより尊重したく思う自分がいました。
これは個人的な考えですし、私も「優しさ」がなんなのかうまく言葉にするのが難しいのですが、、人への優しさと、自分のための行動というのは、時には両立することもあると思います。あなたが弟さんへリアルを伝えようとする行為も、両立の可能性を秘めていると私は思いました。
最後になりますが、「相談をするのは他者への迷惑と同義」というのは、今でこそそう思いませんが、かつては私も近しい感覚を持っていたことをお伝えしたかったです。そういった思いもありながら、今までのあなたが感じてきたこと、考えてきたことを教えてくださり、ありがとうございました。
感想1
優しさというものの不確かさや脆さを感じながら読みました。
幼い子どもにとって親は強い影響のある存在であり、世界の案内人のように感じている部分もあると私は思っています。だから親の「優しい子になってね」というメッセージは、世界は優しくあれば報われる場所であるとか、自分は優しくないと認めてもらえないかもしれないとか、親の思う以上に子どもの世界観を形成してしまうこともあるのかもな…と私はこの経験談を読んで感じました。
最初の方に「日曜朝のヒーローにあこがれ、愛は世界を救うと信じている、普通の子供でした」という言葉がありましたが、それは私の思う典型的な子ども像とは結構違ったので、ちょっと新鮮でした。私が思い浮かべる子どもは、自分の目の前のことを考え、楽しいことをしたくて、嫌なことは我慢したくなくて、どんな自分でいても大人は自分を認めてくれる(全肯定という意味ではなく、存在は否定されない)と思っている存在です。だから愛は世界を救うと信じているのは個性的に見えますし、経験の少ないうちに何かを強く信じるのは危ういことなので、ちょっと成長を注意深く見守っておいた方がいいかな…とも大人としては思います。(私は教育関連の仕事をしていたのもあり、子どもに対してはどう見守っていくかを考える癖があって、この発想が出てきてしまいました)
といっても、どんな子であれ、いじめを受けるのはその後も大きなダメージの残ることだと私は思います。恩師が気づいてくれたことには、勝手ながらほっとしましたが、怯えた日々や染みついた不安が簡単に晴れないだろうことを考えると、いじめの罪深さを感じます。
加害者の謝罪を被害者がどう受け入れるかというのも、すごく難しい問題だと思います。私は基本的には、謝られても許したくない人です。それで何かが戻るわけではないし、謝罪は傷つけた側の心が軽くなるための行為で、傷ついた側のことを思っての行為じゃないとも感じています(謝ってほしいと言われて謝罪する場合はそうじゃないですが)。だから謝罪をされる行為自体がもはや苦しいと感じますし、さらにそれを言葉では許すとなると、あなたの心の負ったダメージは大きいだろうと感じました。そして、人間に対する恐怖が膨らむほどに、わかってほしい、信じたい、という気持ちも強まったのではないかと私は想像しました。
Gさんとの話には”共依存”という言葉が私に浮かびました。私もそこまで詳しくないので、意味や例は興味があったら調べてもらえたらと思うのですが、Gさんの弱さとあなたの弱さが合わさって戻れないところにいったイメージを私は感じました。
追い込まれた心理状態だったのは伝わってきましたし、そこで母親に腕を振りかぶられ、祖母が母を労う、という流れは、酷という言葉じゃ表しきれないほどむごく苦しいことだったように思います。一番どうしていいかわからなくて、苦しいのは私なのに・・・!と叫びたかったあなたがいたようにも私は想像しました。(違ったらすみません)
経験談のタイトルは「純粋で、愚かでした」となっていましたが、私はそれは「理不尽な現実や傷ついた自分の心を見つめていたら生きていけなかった」と言い換えることもできるのではないか…?と私は感じました。
弟さんのサポートをしたいのも、誰かの大変さのことを考えたりあれこれ世話を焼くことで、一時的に自分のことを忘れられるからかもしれない…?と。というのも、私自身、私を助けるより他の人を助けることを考えてる方が楽だなと感じるのもありますし、私を助けようとしてくれた人に「この人、本当は私じゃなくて自分自身を助けたいんじゃないかな?」と思ったことが何度もあったので、その想像が浮かびました。
私は正義をわりと信じているタイプで、精神状態がまあまあ酷い時期も結構長かったので、助けようとする気持ち・行動も、助けてほしい気持ち・行動も両方経験してきました。そして結論としては、私が私自身を助けようとするとき、その気持ちを応援してもらったり、具体的な手伝いをしてくれたりする人はいるけど、誰かが絶対的に助けてくれることはない・・・と私は思いました。だから誰かを助けたいと思うのも今はおさえて、求められたときに必要なことをしよう、とだけ思っています。
性格のいい悪いは考え方がいろいろありますが、私は死にたい気持ちがずっとあるので、自分を誕生させた人々というその一点だけで、とくに人格に大きな問題のない親も祖父母のことも憎らしく思うときがあります。
でもそれは性格が悪いとかじゃなく、単に生きる上で傷ついてきたというだけだと私は自分については思います。だからあなたの「お前が産まなければ…」も、性格がどうこうではなく、あなたの悲しみから出た言葉だと受け取りました。
自分語りの多い感想になってしまい、失礼しました。
あなたが優しさを目指していくのかはわかりませんが、正しく自己中をやった先にしか、真の優しさを継続的に発揮することはできないように私は感じています。だからまずは自分のために生きるのが、私は優しさの第一歩なのだと思っています。