自分は行動力があるほうだと思っていました。今までいくつかの場所に行き、働き、自分だけの生き方を模索してきたと思っています。ですが今それらを振り返り、それは受動を極めた先の能動的な行動だったのかもしれないと思いました。あそこに行けば、あの組織の一員になれば、あの人と居れば、と結局常に自分以外の何かに人生をゆだねてきてしまったのかもしれません。小学生の時、父が仕事を転々とするたびに母は不安定になりながらも家庭を支えてくれました。三年生になった頃、所属していたグループのなかで一人仲間外れにされる順番が回ってきたときも誰にも言わず学校に通い続けました。特に嫌がらせを受けるでもなく本当に一人になるだけだったので本をたくさん読んで過ごしていましたが、当時はすごく頑張っていたと思います。両親は次第にけんかもしなくなり冷戦状態になりました。業務連絡は子供伝いでし、母からは父の悪口や結婚は間違っていたということを常に聞いていたので自分は母に共感し当時は父のことが嫌いでした。父に直接暴力を振るわれたことは無いですが、運転や時々荒々しくなる様子を見ていつか殺されるだろうなと思っていました。中学でも部活や受験を頑張り、高校生活も挫けながらも充実していて楽しかったのですが、三年生に上がる前に心が不安定になりアキレス腱が切れました。部活に行くのがしんどく、やめることもできない状況の辛さが体に影響したことが、それに気づけず自分を守れなかったことが悲しかったです。怪我をして人のやさしさや余裕のなさにも触れ、もう自分に無理させたくないと強く思うようになりました。大学は美術系の学校へ通い、先生からの作品の講評が辛く何度もやめたくなりましたが、その度母に説得され何とか卒業しました。それも祖父にお金を借りたことや親にお金を払ってもらっているのにという思いが強く、やるしかないと思って常に踏ん張っていたと思います。在学中にしたいくつかのアルバイトでは効率化することや「使えない」と言われないように、嫌われないようにと常に周りを見て動き続けていました卒業後のアルバイトでもこのような働き方をしていました。仕事ができていつも笑顔で周りの人とうまくやれるようなイメージを常に頭に置いて、それで信頼されたり役割をもらえるとすごく健やかで真っ当な感じがして安心していました。その反面心が疲弊し、体調も崩すようになり自分も父のように仕事を転々としていました。自動車学校も隣の教官の顔色ばかり気にして、溜息をつかれたり呆れられたりするたびに辛くなりやめてしまいました。辛いことから逃げることを母はよく思っていないので現在同居していて息苦しいです。父に対してのようにいっそ嫌ってほしいのですが、大事に思ってるからという前提で接してくれるのでもうどうしたらいいかわかりません。前職のアルバイトでは何をするにも一言嫌味や注意を自分だけにしてくる店長と合わず、雑談でも人格を否定されて辛いと話したのですが母は「車校もそうだけどいちいち気にしすぎじゃない?そういう不安定にいつも巻き込まれるけどどうしてあげたらいいのかわからない」と言っていました。母の父への悪口や実家に居づらかったという話、親戚の悪口、職場の理不尽に対する悪口を自分が聞いてきたのにこっちの話は聞いてもらえないんだなと思いました。もう話すのを辞めようと思いました。家庭環境や理不尽な経験から苦しい状況にいる自分のような人たちを癒す仕事がしたいと思い、お金を溜めて資格が取れる学校へ行きそのような仕事ができたらと考えていたのですが、それも母は「それが本当にやりたいことなの?」と疑ってきます。そう言われたことで決心が揺らぐ自分もどうなんだと自分のことも嫌になります。とりあえずお金をためようと昨日からアルバイトを始めたのですが勤務中に体調を崩してしまい早退しました。職場の方たちはやさしく対応してくれましたが母は「本当にこれから働いていけるの?大丈夫?」と大丈夫?という言葉の言い方が疑うような引いているような感じでとても嫌でした。でも面接の時に話された「常に挑戦する」や「一生懸命」「社員は家族」みたいな社風に馴染めないだろうなという予感も自分の中にあったので、うまくいかないことに「やっぱりそうだ」と安心する気持ちもありました。もうやめたいです。
自分は空洞です。周りの人への影響ばかり考えてどうにでもなってしまいます。今まではそれでも行動し続けていたけど、もう自分がどうしたらいいのかわからず動けないのでただの空洞になってしまいました。死にたいと思いました。でも今これを書いていて死にたいの中にある死にたくない気持ちも認識しました。どうせ死ぬなら母から離れて精神科にも通い、時間がかかってもいいから人を癒す仕事に携わってから死のうかなと調子がいいときはそう思います。(母は自然療法にこだわっており、病院や薬を極端に嫌っているので精神科に行くことは自分の中でハードルが高かったです。)自分の一挙一動が誰かを不安にさせたり傷つけたりすることがこれ以上生きると増えていくのが怖いです。以前は好きな人がいて結婚したり子供を授かったら出会ってみたいな、話してみたいなと思っていましたが今は考えられません。これ以上負の連鎖を生みたくないと思ってしまいます。なぜ自分は生まれてきてしまったんでしょうか。母は辛いことも全部自分で何とかしてきた人なので本当はケアされるべき人だと感じながらも母の望む自分でもいられないし一緒にいると辛いです。父は新しい恋人ができもうすぐ定年で移住も考えているので邪魔したくありません。姉は結婚して子供もいて大変そうであり幸せそうでもあるので邪魔したくありません。妹も不安定なところはありますが周りに助けを求めることができる素直さがありできれば力になりたいですが今の自分を見たら心配をかけるだけなので会いたい気持ちになれません。友人たちにも心配をかけたり話すことで負担になったらだめだと思い笑い話程度でしか自分のことを話したことがないです。本音を話そうとすると涙が出てしまい人を困らせてしまうと思い誰に何を話したらいいのかわかりません。死んでも誰かを悲しませると思うと、もう自分に関するすべての記憶と存在を消して初めからなかったことにしてほしいです。ずっと心のどこかで気づいていながらも、目を向けてしまったら全部崩れてしまうと思い無視してきた悲しみやしんどさが今溢れてきて向き合わざるを得ないタイミングなんだと思っています。
生きたいです。今やこれまでの自分があったからと言えるような未来が見たいです。
でもどうしたらいいのかもうよくわかりません
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
空洞
感想2
読ませていただきました。あなた自身に対しての「行動力があるほうだと思っていました」という冒頭にある一文と、タイトルにある「自分は空洞」という感覚のふたつは、真逆のものなのだろうか、それともつながっているものなのだろうか……と考えながら読みはじめました。
父親さんの様子をみて、母親さんの悪口を聞いたりしているなかで、母親さんが大変そうだということは幼いころから強く感じていただろうなと思いました。私自身のことですが、私も、父親に怒鳴られたり理不尽な要求をされる母をかわいそうに思っていて、10代のころはとくに自分のつらさをほかの人に言ってはいけないように思っていました。そのことを思い出して、まったく同じではないかもですが、あなたが助けを求めたり、ほかの人に相談したりすることかむずかしいとか、そうすべきじゃないと感じるのも無理はないと思いました。
あなたと母親さんは別の人間で、あなたは母親さんの考えに合わない判断や行動をしてもいいし、母親さんや、周囲の人の期待通りでなくていいと思います。というか、人間それぞれが期待通りでないのは当たり前で、その方が自然だと私は思います。
ただ、「周りの人への影響ばかり考えてどうにでもなってしまいます」とあるように、たしかにあなたは家族や周囲の人たちの様子を気遣い、その人たちのことをいつも頭の中におきながら行動してきたのだろうと思いました。それはこれまで、あなたのつらさや苦しさを含めた本音よりも、あなたにとって優先しなければいけないものだったのかなと思います。
だから、自分の体や心が感じていることに沿って行動することや、自分の思いに気づくことの経験を積む機会は少なかったのではないかと思います。
それはもちろんあなたのせいとかではなくて、あなたの環境の中であなたが必要に迫られて獲得したスキルや経験のあり方ということだと思います。
その中で途方に暮れているような感じもあるのかなと思いつつ、「ずっと心のどこかで気づいていながらも、目を向けてしまったら全部崩れてしまうと思い無視してきた悲しみやしんどさが今溢れてきて向き合わざるを得ないタイミングなんだと思っています。」という文章は、あなたがあなたを見つめはじめているからこその言葉なのかなとも思いました。
この経験談にはあなたの感じていることや、あなたの言葉がつまっていて、この経験談から見えるあなたは空洞ではないように私は感じました。
母親さんからの「本当にこれから働いていけるの?大丈夫?」「それが本当にやりたいことなの?」といった声かけは、きっとあなたを心配してのことだろうと思いますが、そんなことを言われてもわからないのが普通なのでは、という気がしました。働いても働かなくてもいいし、本当にやりたいことでも、そもそもそんなにやりたいことはなくても、親や家族に認められる生活でも、そうでなくても、別にいいと私は思います。
あなたは小さい時からずっと感覚や頭を働かせて周囲のことを考えながら生きてきたと思うので、それはとても疲れて当然のことだと感じています。だから、すくなくとも、あなたがその疲れをすこしでも癒せるときがあったらいいなと思っています。
「死にたい」も「生きたい」も私自身も思うことがあるのですが、あなたの経験談を読む中で、それはこの現在の状況をどうにかしたいとか、自分の心身を大事にしたいという感覚の中にある言葉なのかも、と思いました。
投稿してくれてありがとうございました。
お返事
感想を送ってくださり本当にありがとうございます。
誰にも言えなかった自分の気持ちを形にする場があること、経験談を読んでそれについて考え返事をくれる人がこの世にいるという事実に救われています。
お二方の感想を読んで自分は今、自分のことを大切にしたいのだということに気が付きました。
実際大切にできているかというと、まだまだ周りのことを気にしてバランスをとったり調和のために無意識に自分の苦しみを無視しそうになります。
でも、お二方が自分の経験談から掬い上げてくれたこの気付きを絶対に手放したくないです。
20数年やってきた両親との関わり方や自分の思考・生き方の癖を意識して変えていくことを諦めたくありません。
自分のために治療院に通い始めたりして、少しづつではありますが自分が生きてみたい未来のことについて考えられる瞬間も増えました。
苦しい日々を持ちこたえて今につなげてくれた過去の自分にお二方が労いの言葉をかけてくれたことで、自分も過去の自分に感謝することができそうです。
今までの苦しみを吐き出すことでここで一度死んだつもりで、またもう一度生まれ変わるようにこれからの自分の人生に向き合っていこうと思います。
感想1
経験談の最後の方にあった「ずっと心のどこかで気づいていながらも、目を向けてしまったら全部崩れてしまうと思い無視してきた悲しみやしんどさが今溢れてきて向き合わざるを得ないタイミング」という言葉がとても印象に残りました。
それはまさに私自身がそう感じた時期があり、向き合うことだけにエネルギーを注いだ経験があったからというのもありますし、率直に、すごく自分と向き合って出てきた言葉だとも感じました。何か希望を抱いて環境を変えたり、自分よりも誰かの悲しみに寄り添ったり、迷惑をかけたくないと自分に鞭打って努力したり・・・そうやって悲しみに目を向けない時期も、あなたが当時を生きのびるために必要だったのだろうと私は感じています。でも、たぶんいつかはそれを清算しないといけないタイミングがやってくるし、頑張れる力があった分だけ、借金も多くなっていて痛みが強いかもしれない…とあなたを想像しています。
そのつらい時期を一人で過ごすのは大変なので、語る相手として(吐き出す場所として、くらいのイメージかもしれませんが)死にトリが使ってもらえたことに、勝手ながらほっとした気持ちと、ぜひ一緒に考えられたら…という前のめりな気持ちが湧いています。
親との関係性で、母の不安定さを感じたり、冷戦状態に巻き込まれたりする中で、自分を後回しにして過ごす習慣のようなものが染みついたのが受動の始まりだったのかな…?と私は感じたりしました。つらいやめたいという痛みは感じながらも、その自分の本音を大切にすることを環境が許さないような中で、「やるしかない」と自分を無理に奮い立たせてきた結果、今どれほどの負荷が心身に蓄積されているのだろう・・・。それを想像すると、圧倒されるような気持ちになる私がいます。
また、母が自分の言いたい悪口を聞かせてくるにもかかわらず、あなたの気持ちは受け止めずにいる態度には、すごくモヤモヤしました。母といるとあなたが損をする一方な気がして、「どうせ死ぬなら母から離れて精神科に~」の部分を読んだときに、離れよう、そうしよう、とその気持ちを後押ししたくてたまらなくなりました。
大事に思っているからという前提で接してくるのも私は悪質だな…と思いましたし、大事にされているかされてないかは、母が決めることではなく、あなたが決めることであるように私は思いました。
自分を大切にしてあげたい、でも周りの人への影響を考えてしまう自分も強大で逃れられない・・・。そのせめぎ合いの中で、経験談を書いて送ったことは、自分を大切にしたいという感情が徐々に力をもってきている証のように私は感じました。
これまでの自分と向き合うということは、自分の痛みをわかる人間になるということだと私は思っているし、自分の痛みと深く向き合った分だけ、やがて他人の痛みに寄り添うことができる力が身につくと私は感じています。でもそのためにはとにかく自分にまず寄り添ってあげてほしいし、これまで自分以外のものを優先してきた分、自分を優先する権利がある…!と強く思っていいとも言いたいです。(勿論どんなときでも、自分を優先する権利はあります)
またよかったら死にトリにも語りを届けてほしいと思います。