もう、何もかも疲れてしまって、早く死にたいです。何年もそう思っています。
他の方の経験談でもありましたが、「人生山あり谷ありというが、苦痛があるなら幸せもいらない」、私も全く同感です。幸せな時間は確かにたくさんあったのに、死にたいのに死ぬ勇気もなくて死ねない苦痛を思うと、生まれてきたくなかったと感じます。生き地獄です。
何年もそう思ってはいるけれど、いつから、何がきっかけでこんな人間になってしまったのか、私も正直よく分からないんです。ただずっと、早く死にたいと、そればかり考えているんです。
経過とか理由とか、きちんと書けなくてごめんなさい。誰かに伝えたかったんです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
早く死にたい
感想2
短くまとめられた文章の中に具体的な話は綴られていないにしても、これまでのつらさや理由が言葉にならない形で表現されている、そんな感覚を抱きながら読ませて頂きました。
おそらく、経過や理由も書けないほど(書けなくなるほど)、「これまでや今がつらい」ものとしてあなたにのしかかっているのかなと想像していたところです。
「苦痛があるなら幸せもいらない」という言葉には共感しかなかったのですが、“幸せ”を感じるためには“苦痛”も知らなければならない、もっと言えば「幸せの対価」として「苦痛を甘んじて享受しなければいけない」そんな風にすら考えてしまう私がいます。
もちろん、実際にはそんなことはないのでしょうが、生きていく中で苦痛に晒され続けると、どこかそんな考えがよぎってしまうぐらいに「今を生きる」ことや「人生を生きていく」ことはとても過酷なものに感じられます。
楽しいと感じる時間がたしかに存在してきた中で今あなたが抱える死にたい気持ちや、「何がきっかけでこんな人間になってしまったのか、私も正直よく分からないんです」と書かれていることに対して、何かしらの糸口やヒントになるものを思わず一緒に考えたくなった私がいますが、今はただ文章を読ませてもらった一人として、今のあなたの率直でありのままの気持ちを受け止めたい気持ちでいます。投稿ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。
あなたの「誰かに伝えたかった」気持ちを確かに受け取り、じっくりと読ませていただきました。
あなたに“何があったのか、どういうことが苦しかったのか”はわかりかねますが、全体から伝わってくる「何もかも疲れてしまった」様子を思うと、“それ”を問うこと自体もはや違うのかな…と感じた私がいます。とにもかくにも、あなたが疲れきってしまったことを、あなたが「生まれてきたくなかった」「わからない」「早く死にたい」と感じていることを、そのまま受け止めたい気持ちになっています。
私も「人生山あり谷ありというが、苦痛があるなら幸せもいらない」という言葉に心から同感です。一方で、その言葉をはじめ、苦しい中でふり絞るように出てきた言葉に深い影響を受けている自分を感じ、私自身の整合性のなさ?矛盾?に、少し立ち止まって考えたい気分にもなりました。それでも苦痛なんてなくていい。生きるなら苦痛のない世界で生きていたいと心から願いたくなるのは、あなたの言葉・経験を共有してもらったからだろうと感じています。休める範囲で休んでいただき、もしまた何か書きたい気持ちになる時がありましたら、その時はまたぜひ書きに来てください。