ここ最近、気分が沈みネガティブな事ばかり考えてしまう。
凄く辛いし苦しい。
友達とかSNSで辛いって言えばいいのに何だか構ってちゃんに見えるかな、とか。めんどくさい人だと思われるのも嫌だとか、この考え自体めんどくさい人間じゃないか?をぐるぐると頭の中を巡ってる。
なんなら、とりぱーくさんに文章を送っても良いのだろうか…とかもかなり考えていました。
でも、私なりに書いてみようと思ってポツポツ書かせて頂きます。
原因はもうよく覚えてません。が、多分幼稚園か小学生かその頃から見た目のいじめを受けて、ハッキリと自覚したのは中学生の時に不登校になり、ふと「死にたい」や「消えたい」と思うようになりました。
大人になり30代になっても今でもこの気持ちはずっと心にあります。
もはや、一緒にここまで生きてきたのだから消えないだろうな〜と諦めてる始末です。笑
家族構成は、私と父と母(昔は祖父母もいました)です。
母は昔から酒癖が悪く飲めば父と喧嘩ばかりでした。ほぼ毎日お酒を飲んでいました。
さらに気に入らない事があると物を投げ、大声で叫び、暴れていたので幼少期の私はなるべく母の目に入らない様にしてました。
入った時には物を投げられるし、叩かれるし、玄関から追い出された事もあります。
お酒を飲まなければ普通の人なんですけどね…幼少期は「なんでこんな事するの」「ひどい、こわい」と思ってましたけど
私も大人になれば、母の立場を何となく分かるんですよね。
遠い所から1人で嫁に来て、慣れない環境で私を産み仕事や家で祖母との喧嘩があったりでストレスが溜まっていたのだと思います。
普段は我慢強いタイプの母が吐き出せるのがお酒しか無かったんだと思います。
大人になって、そうなんだろうなって思いはしますがそれはそれであり、当時の私はその母が怖くて仕方がなかったのです。
母の言う通りにしなければ、またお酒飲んだ母に怒られる打たれると思ってますから。
父は母との間に入ってくれるので、その面はとても安心した記憶があります。
それでも、父も何か気に食わない事があると直ぐに頭にくるタイプでした。
理不尽に怒鳴られた事も何度かあります。手は出ませんが、怒鳴り声が怖くて父の機嫌や顔を見ながら生活してました。
書き途中ではありますが、この文章を書きながら幼少期ながら「普通の家族が欲しい」と漠然と思っていたのを思い出しました笑
話を戻します。
祖父母はその中でも優しい人達だと、思います。父が長期出張でいない時、酔った母が当たり散らかす存在の父が居なかったので自動的にそれが私になるのでそういう時は間に入ってくれました。
母が寝た後よく祖父母の部屋に行って寝ていました。
ですが、祖父母はとある宗教を信仰していて
何かあれば「祈れば幸せになる」とか「願いが叶う」と何度も言われた事があります。子供ながら私はその話を信じることはできませんでした。
祈った事はあります。それでもこの環境が直らないのです。信じる意味が無いではないかと。
他にも様々あるのですが、長いので端折ります。
こんな家庭環境で大人になった私は自分に自信が持てなくなり常に周りを気にして、相手は今何を考えてるのか?自分の事?それとも別?
自分だったらどうしよう。不安で不安で仕方なくなります。
期待に答えなければ自分という価値がないと思ってしまう。
周りに流されるし、相手が言った意見に合わせた方が良いだろうと、自分の意思は二の次でいい。
相手が喜んでくれた!と思ってもこれ以上をしないとダメだ…もっとやらなきゃ……
舐められやすく、頼み事は断れない。
ダメだなとは分かってはいるんですが、ずっとこうやって生きてきてしまったのです。
こんな卑屈な人間を友達にも両親にもさらけ出せるわけもなく、いい人にならなきゃ普通の人にならなきゃって仕舞いには嘘ばっかりの人間、八方美人の出来上がりです。
やっと自分をさらけ出せそうな人にも、「嘘つき」と言われてしまいました。
全部自分のせいではあるので、なにも言えませんでした。
辛い時は頼ってね、なんでも相談してねって何を相談すればいいのだろうか。
よく分かりません。こんな話を聞いた所で困るのは相手なのに。
現在私は、数年前からニート生活になっております。単発バイトはちょこちょこしているので完全ニートでは無いのかもしれないですが。
数年前に働いてた職場で人間関係がトラウマで仕事に就けなくなりました。
勇気を出して面接なりなんなりすればいいのですが、いざ電話や応募をしようとしても動悸がしてなにも進めません。
両親にもちゃんとした仕事をしろと言われてますが、トラウマが怖くてずっと動けません。
こんな私でも、1日が来る度「死にたいなぁ」と言う気持ちを抱えながら生きております。
頑張って生きてます。
きっとこれからも、ふらふらしながら生きていくのでしょう。
大分拙い文章だったと思いますが、ここまで読んで下さってありがとうございます。
これを読んでこんな人も居るんだなぁ…と反面教師にでもしてください笑
ありがとうございました。
感想1
投稿読みました。自分の抱えているものをいざ表に出すとなると迷惑だと思われないかなとか、色々と考えてしまう気持ちに私もそうなので分かるなぁと思いながら、それでもこうして死にトリに届けてくれたこと、迷いながらだとしても嬉しく思っています。
「死にたい」と、そう思いながらも生き続けることって簡単じゃないなって私自身も死にたさを長いことを抱えながら生きてきて感じることですし、それを表に出すことの難しさは、社会が未だその気持ちを真正面から受け止める準備ができていない部分も大きいなと、あなたの文章はもちろん、様々な経験談を読んで思うことです。一例に過ぎないですが、どことなく誰もが“元気で、前向きで、がんばっている”ことを求められるこの社会の中で、そうでない声は、居場所を失ったように感じたり、より死にたさを深めたりすることになるなと…。綺麗ごとに聞こえてしまうかもしれませんが、こうして声をあげることの必要性を改めて考えさせられています。
家庭という最小単位の社会の中で、「怖さ」と「安心」が入り混じる日々を送り、「母に怒られないように」「父の機嫌を損ねないように」と過ごしていた幼少期…、きっと常に緊張感を持ちながら過ごしてきたのかなと想像し、子どもが本来持つべき「自由に感じる権利」や「安心して甘える権利」が、奪われ続けていたのではないかと私は感じました。お母さんのアルコール依存(と、まではいかなかったかもしれませんが…)、身近な大人の感情の不安定さ、宗教が身近にあるなどが交差する中で育つことで、周りに気を配らざるを得ないというのか、どこか悟りを開くではないですが冷静に捉える癖のようなものがあなたに身についたのではないかなとも私は思っています。そう感じたのは「私も大人になれば、母の立場を何となく分かるんですよね。」から始まる文章からで、お母さんにはお母さんの事情があるのだと捉えているところが印象的でした。そう思わないと自分に降りかかってきたことの理不尽さに到底耐えられそうにもない部分もあるのかもしれない(私自身、母の事情を想像しつつもそういう感情を抱いているところがあるので、もしかしたらあなたもと…違っていたらすみません)と考えながら、それでも“それはそれ”として受け止めている(自分の素直な怖かったという感情を認めている)ところに、あなたの地力の強さを私は感じました。
自分という存在の価値が“役に立つこと”によってしか感じられないという感覚や、「期待に応えないといけない」「嫌われないように」と振る舞ってしまうことも、それらが今の社会で頻繁に「生きづらさ」として現れてしまうのは、他者の目を過度に気にする文化や、成果主義の価値観が根強くあることが影響しているように思います。「八方美人」「嘘つき」と責められることは、本当は環境がつくった反応でもあるはずなのに…、そうなった原因ではなく個人を責めがちな構図になるのは何だか納得がいかないなと私は思ってしまいました。
働けないこと、動けないことについてもこの経験談でしか見えないところもありますが、過ごしてきた環境や経験してきたことを考えると、想像以上にダメージが蓄積されていると思いますし消耗しきっている状態だとそうなってしまうのも無理はないことだと私は思いました。社会が決めた「普通」や「正しさ」に苦しめられながらも、それでもあなたは、その中で「ふらふらしながら」(一般的にはあまり良い意味では使われない言葉なのかもしれませんが、私は何にも縛られないというイメージがあり好きな表現だなと思っています。評価的に感じられてしまったらすみません)でも生きていて、それを「生きている」と言葉にしていて…その表現にもあなたの中にある強さを感じました。強さとは、前に進むことや成功することだけではなく、壊れそうな心を抱えながらそれでも正直でいようとすることも含まれていると私は思います。ただ、そんな強さに押しつぶされることがあったりするのかもしれないな…と心配な気持ちもありながら…。
あなたの文章を読んできっとあなたは、本当はこういうことをずっと言いたかったのではないかなとも感じました。それだけ長い間、飲み込んできた感情や記憶がこの文章には内包されているようにも感じています。そう容易なことではないのは承知の上で、この先少しでも安心できたりあなたが無理することなく過ごせる場所や人に出会えることを願っています。またあなたと言葉を交わせられたらなと思うので、必要に感じられたらいつでも死にトリに声を届けてください。経験談の投稿ありがとうございました。