私には1才違いの弟がいます。
知的障害があります。
物心ついた時からずっと面倒を見てきました。
弟は小学校の高学年まで言葉を話せませんでした。
奇声をあげ物を壊しギャーギャー泣き道路やトイレで寝たりしてました。
弟が泣いたり暴れたりするといつも父親にハエ叩きで痣ができる程叩かれました。
弟が可哀相だろ!と毎日毎日言われました。
母親は助けてくれませんでした。
父親は世間体がとても大事な人間で自分が恥ずかしくなる事が大嫌いな人でした。
元々いじめられていましたが弟の事がよけいにいじめを助長していました。
義務教育が終わり高校へ行く事でほんの少し家から出られる時間ができて新しい環境でいじめに合わないようにとやり直したい一心で高校へ通いましたがまたいじめにあいました。絶望しました。
引きこもりになり学校へ通えず手首を切りました。
退学をしたいと言っても父親は恥ずかしくて町内を歩けないと言い私の話を一切聞いてくれませんでした。
自営業だったので18才になるまで無償で働かされました。朝早くから夜まで働きました。
やっと許しが出て免許を取りガソリンスタンドに就職しました。しかし門限が18時と言われ18時を過ぎると会社に電話が来て帰らなくてはいけない日が続き当然のごとくクビになりました。
父親は毎日毎日パチンコに行き閉店まで帰ってきません。
弟は障害者雇用で働いていましたが私が毎日送り迎えをしました。
そんな父親も膵臓癌になりみるみる弱っていきました。
俺が死んだら弟の面倒を見ろと言います。
ずっとみてきたのに。
私は弟の面倒を死ぬまで見なくてはいけないのでしょうか。
言い方はよくないのですが同じ親のもとに産まれた他人だと思っています。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
しょうがい児
感想2
素直な気持ちを綴り、送ってくれてありがとうございます。そして、ここまで家族内のケアを引き受けてきたことについて心から労いの声をかけたいと思います。ただ、あなたが担った役割は本来、あなたがやらなくてもいいことで、理不尽に押し付けられてきたことだと私は思いました。物心ついたころから当たり前のことだったようなので、あなたがいつ頃から「こんなことをやらされるのは嫌だな」などと疑問を抱いたかわかりませんが、今「こんなことはいつまで続くのか」「不当だ」と感じていることは経験談の全体から伝わってきました。これまで家でも学校でも抑圧やいじめなどの過酷な状況があり、たくさんのダメージを受けてきたと思いますが、この経験談からあなた自身の意思や心が、確かにここにあることを強く感じました。
そして、「私は弟の面倒を死ぬまで見なくてはいけないのでしょうか」という問いに対して、「そんなことはありません。今すぐにでもやめる権利があります」と声を大にして伝えたいです。
私は仕事柄、家族のケアを引き受ける子どもたち(ヤングケアラーと呼ばれていますね)に出会うことも多く、きょうだい児(障がいをもつ兄弟姉妹がいる人たちをそう呼ぶようです)とも関わってきましたが、一人ひとり事情も違うし、自分のおかれた状況に対する気持ちも違いました。ただ、共通しているのは社会全体が考え負担しなければならない介護の問題を家族に依存している現状があり、家族が引き受けた場合は、立場の弱い人にその負担がかかっていくという悲しい実情です。あなたの家の場合は世間体を気にする父親により、ケアが家族内に閉じ込められてしまい、周囲から分からない個人的な問題としてあなたにのしかかったと私は思いました。その隠れていた課題をあなたはこうして開示してくれました。そのことに大きな意味があると私は思っています。
私はあなたが嫌だと思う気持ちややりたいと思うことを応援したいと思います。父親の身勝手な指示に従う必要はないですし、弟の面倒も見たければみてもいいですし、嫌なら撤退してもいいのです。ただし、長年家族のためにケアをすることが当たり前だったことや、周囲からの圧力も今もなおあることを考えると、撤退するのはそれはそれで簡単ではなく、「こんなことなら、もう少し我慢しようかな」と思ってしまうこともあるかもしれません。また、動こうとすると自分の希望が何なのかわからなくなることもあるかもしれません。長い間自分を押さえつけてきたのですから、そう感じることも当然だと思います。また、福祉制度はずいぶんと整ってきたとはいえ、十分ではなく、また福祉関係者であっても場合によっては家族の協力という名目でケアを暗黙に押し付けてしまうような実態もあります。
だから、私はあなたが経験談に書いてくれたあなたの気持ちを大切にしてほしいと願っています。そして、その気持ちを大切にしてくれる人を頼ってもらえたらと思います。すぐに見つからないかもしれませんが、死にトリは支持したいと思います。必要な時にはいつでも死にトリに来てください。
感想1
私は2歳上の姉に重度身体障がいがあります。
私は面倒を見ることを強制されなかったので、あなたの置かれた立場がわかるとは簡単に言えないとは思いますが、障がいのある人のケアがいつも最優先される環境、同級生など周りからの目など、きょうだいに障がいがあるだけで背負う独自の苦労は感じてきました。それだけでも子ども心に楽ではなかったので、暴れるタイプのきょうだい、かつ面倒を見させられる、父親からの超理不尽な関わりと助けてくれない母・・・となったら、どんな言葉でも表しきれないような、しんどさや納得できなさがあったのではないかと想像しています。
学校でもいじめられて…となると、どこにも味方がいない、安心して自分でいられる場所がない生活だっただろうとも思いました。その中で退学したいという願いを「恥ずかしい」という身勝手な理由で聞き入れず、しかも自営業で無償で働かせ、就職先での邪魔までするなんて・・・子どもは都合のいい召使ではありません!と叫びたくなりました。
「同じ親のもとに産まれた他人」という表現は、言い方がよくないなんてことは全くなく、中立で的確な表現だと私は思いました。私は家族が嫌いなわけではないですが、「生まれてしばらく同じ家で暮らすことが決まってた他人」だと思っていたので、私の感覚としてはものすごくしっくりきています。
メディアなどでは家族の絆みたいな話も聞かれますが、それは家族内で家族の面倒を見てくださいというのを押しつけるための詭弁だ、くらいに私は思っています(実際に絆がある家族がいるのを否定するつもりはないですし、私の感じ方はさすがに偏りすぎているとも思いますが…)。だから死ぬまで弟の面倒を見る必要は全くないですし、あなたにはあなたの人生を生きる権利がある、と私は伝えたいです。その権利がこれまで奪われ、守られてこなかったことを、一人の大人として私は悔しく心苦しく思います。
障がいについてのサービスは結構ありますし、住んでいる市町村の役場のホームページを見れば、どこかに相談窓口が紹介されているはずです。相談に不安を感じる場合は、まずは何かのSNS相談などを使って、状況を整理するところから始めていくのもありだと思います。とにかく、面倒を見ない方法はあるので、自分の無理ないペースで助けを求めることをしていってほしい…と私は感じました。
もし理解のないことを言われたりめげそうになったら、またはそうじゃなくてもいつでも、死にトリはあなたの思いを否定することはしないので、よかったら書きにきてください。