経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

解離症の私と未来の私

私は中学から約六年間、大小様々ないじめや嫌がらせを受けてしました。
その中で自傷行為もしました。でも、中学と高校の記憶がなく、自傷行為中の記憶もありません。

中学生の頃から精神科に通っていますが、当時言われた診断名が【自傷行為依存症】、そして解離性同一症(いわゆる多重人格)の疑いでした。

最初の治療は自傷行為をやめることでした。高校卒業までずっと続いた自傷行為と解離症の症状は大学に進学するとともに落ち着きました。

たくさん腕に傷がつきました。たくさん首に刃物を当てました。ときにはキッチンから刃物を持ち出して死のうとすることもあったとのことですが、それだけ大きなことをして家族に迷惑をかけても私自身が覚えていないのです。
罪悪感を感じたくても、実体験として認識できないため罪悪感を抱くこともできません。

とても落ち着いていた大学時代。でもそれは4年間の短い月日で終わりました。

就職とともに帰宅すると仕事の事を思い出せない日々が続きました。

『あれ、この人の名前なんだっけ』

ある日、いつも顔を合わせている職場の人の名前が思い出せませんでした。時間をかけても思い出せない、顔は出てくるのに名前だけが出てこない日々が続きました。一人、また一人と思い出せない人が増えました。
そのような日々が続くうちに、仕事の事が思い出せない、どのルートを使って帰ってきたのかが思い出せない日がありました。

そして、そんな日々が続く中で「あなたは誰ですか」とパートナーに尋ねる自分がいました。
不審に思ったパートナーは精神科をすぐに予約してくれ、そこで下されたのが【解離性同一症】でした。

自分が自分ではない感覚、常に人ではない何かから感じる視線の正体がわかったと同時に、絶望に変わりました。
何もなく、平和な大学時代は何だったのか。
どこで間違えてしまったのか。

また親に迷惑をかけてしまう、職場にはもういられないかもしれない。
ミスをしたらどうしよう、取り返しのつかないことをしたときに罪悪感を抱けない、自分ごととして捉えられなかったらどうしようという考えだけがめぐりました。

そして、迷惑をかけ続けるなら死にたい。ここまで安定していたのに、些細なことで病気になるならいっそのこと消えてしまいたいと思っています。
また切りたい、自傷行為に走りたいと思うと同時に、一度やめられたならやめ続けたいと思う気持ちの板挟み状態。
その気持ちをお構いなしに自傷行為をする人格の数々。

こんな私が生きる理由があるのか、死にたいと思い続けながら生きる意味はあるのか常にその思考だけが考え続けています。

感想1

投稿読ませていただきました。幼少の頃からずっともがき続けてきた時間の長さを想像しながら、孤独や不安感と戦ってきたあなたの姿が浮かんできました。いじめ、自傷行為、記憶の喪失、診断名の重み…どれを取っても、簡単に「わかるよ」と口にできるようなものではなく、それぞれがとても複雑で、長く尾を引くものばかりなのだろうと私は感じます。それらがすべてひとつの人生のなかで連なってきたことを想像すると、言葉にするだけでも容易ではないはずのことを、ここまで丁寧に綴られていることに敬意を表したい気持ちです。
「思い出せない」ことに対する感情の描写がとても印象的でした。傷を負った本人であるにもかかわらず、記憶がないために罪悪感を抱けないという葛藤は、非常に独特で、なおかつ深い苦しみだと思います。多くの人は「記憶」が感情の根拠になることを当たり前のように受け入れて生きていますが、そこが失われると、人は自分自身への理解すら困難になってしまうのだと改めて気づかされました。自分であって自分でない感覚や、「あなたは誰ですか」と問わなければならなくなる現実は、想像を超える混乱と孤独を伴っていたのではないでしょうか。自分という存在の輪郭がどんどん曖昧になっていく、そんな怖さも伴っているのではないかとも思います。
「迷惑をかけ続けるなら死にたい。」という言葉には、社会の中で「機能しなければならない」「人に負担をかけてはいけない」という無言の圧力が滲んでいるように感じました。けれど、人はそもそも完全に自立した存在ではなく、誰かに支えられながら、不完全なままで生きていくものなのだと私は思っています。弱さを抱えることは、何も特別なことでも悪いことでもなく、それもまた「人間らしさ」の一つの形なのではないかと思いますし、あまり自分のことを責めすぎないでほしいなと伝えたくなりました。(私もどちらかというとあなたと同じように考えてしまうので、そう簡単なことじゃないんだというのは承知の上で…)
また、大学時代は安定していたけど就職とともに少しずつ崩れていった状況は、“自分を取り戻した”と思ったのにという喪失感と、自分に対する失望や苛立ちのようなものも重なっているように感じました。けれど、それは回復が無意味だったということでは決してなくて、むしろそれだけの期間、少しでも穏やかに生きられたという事実がそこにあるのではないでしょうか。人の心の歩みは直線ではなく、揺れ戻りながら、時に迷いながら続いていくのだと私は思います。あなたの綴った文章からは、曖昧な輪郭を必死に言葉にしようとする誠実さを感じました。わからないことが多すぎるのに、それでも“これは何だったのか”と立ち止まり、考え、書こうとすること、それは、混乱の中にありながらも、自分を見失いたくないという強い願いの表れに思えました。語ることによって痛みを言葉に変えようとする強さと、それでもこぼれ落ちてしまう脆さが同時に存在しているように感じ、そのどちらも、否定せずにそのまま受け止めたいと私は思っています。
最後の問いに確かな答えを見つけるのは容易ではないと思うのですが、機会があればまたあなたのお話を聞かせてもらって一緒に考えられたらなとも思いました。死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

自分が知らないうちに、何かをしてしまい、周囲に影響を与えてしまう状態があり、そのことが分かっているのに、どうにかすることができるわけでもない状況があるのだろうと想像しています。言い換えると、自分という存在を自分でコントロールできない状況ともいえるのでしょうか。「自分が自分ではない感覚、常に人ではない何かから感じる視線の正体」という表現で書かれていましたが、確かに自分であるのに、自分ではどうにもならない部分を抱え、どう自分を保ったらいいのか、どう日々を過ごしたらよいのか、深い絶望へとつながることは無理のないことだと感じました。
特に大学時代は落ち着いていたとのことで、つらい体験から少しずつ回復していく期待や安心もあったと思いますので、解離する自分に直面し、どうとらえたらいいのか大きな戸惑いや混乱があるだろうと思います。
ただ、見方を変えると、解離はリアルなあなた一人では抱えきれない苦しみを引き受けるための存在として、必要があって今あなたによりそっている姿も想像しています。自傷行為もおそらく同じような理由があると思いますが、あなたが自分を守るための手段が解離であるという側面もあるのではないかと私は思いました。そして、解離などの症状は少しずつ回復したり、安心が少しずつ得られてきたからこそ、出てくることもあると聞いたことがありますし、実際に身近な人たちが一定程度落ち着いた状況であるからこそ、症状が出てくるようになって戸惑い、苦悩する姿を見たこともあります。今回、診断を受けて知ってしまったからこそのショックや絶望があると思うのですが、自分への理解は確実に深まったのだろうと感じました。その背景にはそうした手段を取らざるを得なかっただけ、過去のあなたはつらい思いをしたのだろうと思いますし、心に大きなダメージを負ったのだろうと思っています。あなた一人では抱えきれなかった痛みをいろいろな人格や症状が分担して引き受けていたところから、あなたがそれに気づいて、改めて主導権を握りなおし、新たな自分を再構築している途中のように私は感じています。
症状の軽い重いはあるにせよ、あなたのように心の痛みを引き受けてる人は少なくないと思っています。周囲の理解が得られそうなら、少し協力をしてもらってもいいと思いますし、いろいろな苦しみを経験している人たちがお互いに理解をして支えあう社会でありたいと思います。あなたがこうして書いてくれたことで、周囲には分かりにくい苦しみがあることについて改めて考えました。
また、死にトリが何かの役に立ちそうなら、いつでも来てもらえたらと思います。

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