子供の頃、学校が嫌いだった。
勉強も運動も苦手で容姿も悪かった私はうまく友達を作ることができず、登下校も休み時間も放課後もいつも1人だった。
授業中に先生が言う「二人組を作って」とか「グループを作って」という言葉にはいつも怯えて過ごした。
私と一緒に組んでくれるクラスメイトはいない。
1人ぽつんと残った私へのクラスメイトの視線は、今でも忘れられない。
高校三年生の頃、学校に通うだけで精一杯だった私には進路について考える余裕などなく
また、相談できる相手もいなかった。
とにかく学校が嫌いなので進学は選択肢になく、専門学校に行くほど興味のあることもなかった。
そうすると残された進路は就職だけなので、仕方なく公務員試験を受けたが、もちろん受からなかった。
私が小学校4年生ぐらいの時に世間では「バブルが弾けた」と騒いでいて
その後は「不景気」「リストラ」「就職難」なんていう言葉も聞こえ出した。
子供の私には理解できず、また自分が渦中にいることも分かっていなかった。
高校を卒業した私はフリーターとなり、今では考えられない「時給750円」のアルバイトを始めた。
進学や就職をした同世代と比べたら惨めな境遇だったのかも知れないが
友達のいない私には比較する対象もなく、息苦しい学校よりもはマシな環境だった。
フリーターになって二年ぐらい経った頃、アルバイトではなく正社員で働きたいと思うようになった。
でもその頃は新卒の就職率が最低の頃で、新卒でもない中途なのにスキルもない私では採用はされず
企業の採用担当者の間では「圧迫面接」が横行していて、面接でずいぶんと馬鹿にされたのを覚えている。
私は、不本意ながらフリーターを続けることにした。
その頃はパソコンが普及し始めて、なんとか職を得たくてパソコンスクールに通ったりもした。
お金と時間を掛けた甲斐があって時給の安いアルバイトから抜け出すことはできたが
正社員で職を得ることはできず、20代の間は派遣社員や契約社員で過ごした。
30歳になる頃、ITベンチャーで正社員になるチャンスがあったが、業務のスピード感に着いていくことができず
チャンスをものにできなかった。
今思えば、あれが最後のチャンスだったかも知れない。
35歳になる頃、やはり正社員になりたいと思い、また就職活動した。
運良く採用された会社は、当日に徹夜の残業を言い渡されるようなブラック企業だった。
そしてそこにはパワハラ上司がいて、私は毎日罵倒された。
そんな環境化では先輩社員たちも荒んでいて、ミスをすればまるでパフォーマンスのように大声で注意された。
そのうち、毎日「死にたい」と思いながら働くようになった。
心療内科に通い、落ち込みを抑える薬を処方してもらって、なんとか喰らいつこうとしたが
続けることは無理だった。
苦境を告白した友人に「死にたいと思いながら働くことに、なんの意味があるのか?」と問われ、心に刺さった。
私は逃げるように退職した。
自分の想像以上にダメージを受けていた私は、その後の2年間、働くことができなかった。
実家に籠り、貯金を食い潰して、細々と生きていた。
引き籠って三年目を迎えようとしていた頃、一念発起してまた社会に出ることにした。
でも、正社員の就職は難しいし、採用されてもまたブラック企業だろう。
どうせ長く生きたいと思わない、それならば低収入でもいいと非正規の仕事を転々としている。
でも、社会に少しでも自分を認めてほしくて資格を取得するような悪あがきもしている。
最近、私のような就職氷河期世代がよく話題になっている。
当事者の方たちなら知っていると思うが、説明するのも嫌になるぐらい今でも不遇な扱いを受け続けている。
そして、それに対するかのように「Z世代」と呼ばれる少子化で大事に育てられてきた若者たちは
私が若い頃は想像もできないような厚遇を受けているとも聞く。
世代間の格差は無理解を呼び、就職氷河期世代はまた痛めつけられている。
社会の大きな流れや、蟻地獄のような構造や、個人の努力だけでは抜け出せない仕組みについて
無理解な言葉を浴びせられる度に、私は「もう死にたい」と思う。
一体、いつまで理不尽な思いをすればよいのだろう。
どれくらい惨めさと諦めを味わえば終わるのだろう。
希望を持たずに生きるのは、こんなにも辛いのか。
今夜もまた、どこにも居場所がない気がして眠れない。
あとどれだけ、不安な夜に耐えれば私は終われるのだろう…
感想1
「氷河期世代」と聞くと、耳をそばだててしまう自分がいます。私は氷河期世代とゆとり世代の狭間ですがバブルの泡に翻弄された家庭で育ち、社会情勢により個人の暮らしの格差が生じていることをぼんやりと感じながら育ってきました。
バブル景気に興じた大人の世界ではお札が立てられるほどの給料や、預けているだけで増える貯金、誰もが我こそと一旗揚げられるような空気感があり、他者との優劣がさらに自分のステイタスを確認する方法だったのかと思います。それが当たり前だった世の中では、子どもの世界でも順位や比較、「普通」という言葉が横行しレッテルのシールだらけではなかったでしょうか。そんな情景を思い浮かべると、あなたの怯えた気持ちに気づく周囲は少なく学校嫌いも理解されることがなく、孤独を感じ辛い日々だったことを想像しました。
私の父親は変わる時代を認められず、まだまだいけると事業拡大を信じ破産の道をたどりました。大人もバブル経済の終わりを受け入れられない中、子どもである自分たちがその渦中に放り出されるとは思ってもいなかったことと共感とやりきれなさも感じます。
ようやく学校から解放された後に、傷だらけの社会に立たされるのはこれまでの大人の責任ではないのか?!と憤りを感じました。そして圧迫面接という名のもと、会社はえらいすごいんだとえばり散らす習慣を手放さなず、形を変えて全部デキル人だけを選抜する、個人の健康よりも利益を優先するブラック企業などを作り出してきたようにも思います。薬を飲みながらも、罵倒されつつも通勤し続けたのは「正社員を手放したら終わり」というあなたの絶望の裏返しだったように思い、社会に聞こえているのかと声を荒げる気持ちとなりました。
資格取得は悪あがきとは思いません、もちろんスキルを身に着ける為でありますが大人になって表彰されることは中々無く、資格取得の賞状など欲しいです。社会に認められるのもそうですが、いつ手のひら返しをされるか分からないこの社会で、自分自身でメダルをかけてあげることは大切なのかなと個人的には思っています。社会から理不尽な扱いをされるからと言って、自分で自分を理不尽に扱っていいとも思いません。これまでのあなたの辛さと共に、あなたの頑張りをまずは労わせて欲しいと思いました。投稿いただき、ありがとうございました。