経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

無意識の希死念慮

この文章には、希死念慮や自傷行為に関する記述が含まれています。
現在、同様の悩みを抱えている方は、無理に読まないでください。ご自身の心の安全を最優先してください。
私はASDグレーゾーンで、現在、就労移行支援事業所を利用しながら就職活動をしています。
私は人に悩みを相談することが苦手です。そして、自分に優しくすることもできません。
その背景には、青年期のトラウマや、過去に積み重なったストレスがあると考えています。

まずは、青年期のトラウマについて、続いて、過去のストレスについて書いていきます。

「青年期のトラウマ」
小学生の頃、仲の良い友人がいました。
ある日、その友人が「一人をベランダに締め出す」という遊び(今思えば、いじめに近いもの)のターゲットにされていました。
私は助けようとしましたが、クラス内で立場の強い子に制止されました。
「自分がターゲットになるかもしれない」という恐怖から、助けることをやめてしまいました。
後日、その友人に「お前はもう友達じゃない」と言われました。友人の立場からすれば当然だったと思います。
その後、仲直りはできましたが、「大切な人を守れなかった自分」への嫌悪感が残りました。
それ以降、同じ過ちを繰り返さないために、「人を助けること」や「誠実であること」を強く意識するようになりました。
しかし、いつもうまくいくわけではありません。
失敗すると、「なんだよあいつ」「期待するんじゃなかった」といった陰口が耳に入ることもありました。

母から「信じてたのに」と泣かれたことも、先生に「がっかりした」と言われたことも、今でも記憶に残っています。

「過去のストレス」
・中学生の頃
受験勉強と部活動に励む日々を送っていました。
通っていた塾は非常に競争が激しく、ついていくのに必死でしたが、思うような結果が出ず、自分に対する苛立ちが強くなっていきました。
そのストレスを紛らわせるために、過激な動画や画像を見るようになり、ついにはカッターで左腕を切る行為に至ってしまいました。
・高校生の頃
高校では一から人間関係を築く必要がありましたが、ASDの特性(当時は自覚なし)もあり、対人関係に苦労しました。
部活動では数人の友人ができたものの、クラスでは孤立が続きました。
また、大学受験が始まり、母に塾通いを強く勧められました。中学時代の経験から嫌だったものの、母に泣かれるのがつらくて、仕方なく通いました。
しかし、勉強に身が入らず、成績は徐々に低下。逃げ場として、ゲームにのめり込むようになりました。
その結果、次のようなスパイラルに陥りました。
1.ゲームにのめり込む

2.睡眠時間が減る

3.授業に集中できない

4.成績が下がる

5.ストレスが溜まる(1に戻る)

さらに、ゲームで思うような成果が出なかったとき、自分を殴るようになりました。

これらの経験から、小学生の頃から希死念慮を持つようになり、成長とともに強くなっていきました。
それでも「自分の問題は自分で解決すべき」と思い込み、誰にも相談せず、一人で抱え込んできました。
その結果、自分でも気づかないうちに、小さなストレスが積み重なり、うまく消化できないまま日々を過ごしていました。
いつしか、自分が何に苦しんでいるのかもわからなくなり、
ただ、「人に相談できない」「自分に優しくできない」という悩みだけが心に残りました。
実は一週間前、私は死のうとしました。
そのとき、希死念慮はありませんでした。ただ、「死のう」という衝動に突き動かされました。
思い返せば、その前から体が急に動かなくなるといった兆候がありました。
恐らく、これまで「自分を変えよう」と必死に努力してきたことの疲れが、限界を超えていたのだと思います。
この出来事は、メンタルクリニックの主治医と、就労移行支援事業所の担当支援員に伝えました。
お二人からは、「生きていてくれてありがとう」と言われ、「これからは自分に優しくして欲しい」とも言われました。
今のところ、希死念慮はありません。
ただ、再び衝動的に行動してしまうのではないかという不安があります。

感想1

投稿読ませていただきました。幼い頃から、あなたはいつもどこか「正しくありたい」「人を傷つけたくない」という思いを持ちながら、誠実に自分と他者を見つめてきたのだろうと想像していました。その根底には、幼少期に経験された「友達を守れなかった」という後悔と痛みが横たわっていて、それが今もなおあなたの中でじわじわと広がっていているようなイメージを抱いています。その出来事が、ただの過去の一幕ではなく、今も人格形成の芯のようなものに根を下ろしているのだということが、文章からひしひしと伝わってきました。助けたいという思いはあっても、いざ学校という集団の中で声の大きい人(集団の中で力のある人)の影響はなぜか絶対的なものとして蔓延してしまうもので、そこに抗えなくなってしまうのは私も学生時代に経験して痛いほど共感ができる部分で、過去の自分の行い含めて正当化をするわけではないのですが、あなたがとった行動は必ずしも咎められるものではないですし、無理もなかったのではないかなと私はどうしても思ってしまうのでした。
ただ、そうした空気感にさらされ続けると、自分の中にある“誠実な考え”が簡単に裏切られたように感じたり、かえってつけ込まれたり残酷な現実を突きつけられる感覚を持つことになるのかなと感じます。あなたの中の「まっすぐさ」が刃になって、逆に自分自身を傷つけてしまっているのかなと想像していました。特に、その時に言われたお母さんや教師の言葉は、深く心に刺さるものだったと感じますし。それは単なる失敗やすれ違いではなく、「自分という存在が否定された」と感じてしまうような重さがあるのではないかと、読みながら思いました。
中学・高校時代のこともまた、苦悩してきた日々が鮮明にそして切実に伝わってきました。塾の競争、母の期待、孤独な教室、ゲームへの逃避、そして自傷行為…どれもが、ストレスの出口を塞がれた空間の中でどうにか呼吸しようとする苦しさが表現されているように感じます。
発達特性による、特に人間関係のつまずきは自分ではなかなか気づけないこともそうですが、そもそも周囲の理解が十分ではないことで、自分ばかりが”普通“ではないと責められ、自分でも自分を責めることに繋がるものだと私は思います。この日本社会が抱える「空気を読む文化」や「和を乱さないことへの強いプレッシャー」は、それを苦手とする人々にとってとても息苦しいものなのだと、この社会に対する生きづらさについて改めて考えさせられました。死に向かう気持ちも希死念慮があったわけではなく、ただ衝動に突き動かされたという言葉に、理屈や理性では語りきれない身体的・精神的疲弊の深さが滲んでいるように感じています。「もうこれ以上、自分を変えようと頑張れない」という、悲鳴とも諦めともつかない感情がそこにあるのかもしれないなと…。
また、主治医や支援員の方からの言葉が印象的ですが、そう言われた時、あなたはどのように感じ、どう受け止めたのかなと気になりました。もし機会があればお聞きしてみたいです。
「人に相談できない」「自分に優しくできない」と一見自分にとってマイナスな表現かもしれませんが、そう思うということは、自分を見つめ直そうとしている証であるように私は感じました。社会はまだ、あなたのような苦しさを感じている人にきちんと目を向けられていなく、「理解を求める前に、理解される側が変わるべきだ」という空気も根強く残っているように思います。それは正しい社会の在り方とは言えないと思いますし、あなたがこうして声を言葉にしたことは、この社会を少しでも変えるためにも意味のあるものだと思いました。そして、そうした声が届く場所が、もっともっと増えてほしいとも強く思います。
今この時も、不安を抱えながら一日一日を越えているとは思いますが、また死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてほしいです。投稿ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。
冒頭の配慮の言葉が象徴するように、文章全体からあなたの誠実さが伝わってきました。それは「私以外は誰も傷つけたくない」といった信念・正義感のようにも私には見えています。その信念・正義感の強さは、他者を守ろうとする、あるいは大事にしようする力として発揮されてきたものの、一方では、“あなたにだけ”は「優しくしない」といった形を取って、あなたにダメージをもたらす諸刃の剣となっているようにも見えました。その思いの強さはどこからきているのだろう…と、一緒に考えたい気持ちになっています。

「青年期のトラウマ」と「過去のストレス」として分けて書かれた内容は、どちらも今のあなたを形作った経験なのだろうと感じました。
小学生の頃の経験は「恐怖」を伴うもので、あなたに傷(「トラウマ」)をもたらしただろうと思います。その経験をあなたは「守れなかった」「嫌悪感」として受け取っているのだなと理解しつつ、それは「守れなかった自分」を”許せない”気持ちへとつながっていったのではないかなと私は想像しました。印象的だったのは、人はみな完ぺきではないのに(なので「いつもうまくいくわけではない」のは当然と思います)母や先生をはじめ、周りの人はあなたを完ぺきな人だと認識しているかのような反応を示しているところでした。そのことが示すのは、あなたが相当がんばってうまくやってきたであろうことと、かなりのプレッシャーをひとりで抱えることになったであろうことのように私は思います。努力が評価されることや、完ぺきかのように振舞えることには、一定数の喜びのようなものももしかしたらあったかもしれませんが、次から次へと完ぺきにこなさないといけないと感じさせられることは、かなりの負担をあなたに蓄積させていっただろうと想像します。

中学・高校生になると「競争が激しく」なり(これは社会の問題だと私としては感じます…)かつ、人間関係が複雑になることから、プレッシャーはより強力なものとなってあなたに覆いかぶさっただろうなと想像しました。「思うような結果」が出ないこと、「孤立」、「逃げ場」のなさなどは、あなたをひどく苦しめ、何が何だかわからない、どうしたらいいかもわからない状態に追いつめただろうと思います。それが「体が急に動かなくなる」といった形で表出されたのだなと思いました。そうした現実から唯一離れられる世界が「ゲーム」であったものの、それすらもあなたを鋭く縛り付ける方向へ働いたのだな…と感じ、勝手ながらあなたの苦しさに思いを馳せています。

こうしてあなたの経験を見ていくと、あなたが「自分の問題は自分で解決すべき」と思い込むのは、あなたの生きる術だったと言えるように私は感じました。何より、周囲がそれをあなたに求め続けてきたと言えるように思ったので、もしそうであれば「相談」など当然できないでしょうし(「相談」は自分の不完全さをさらけ出す行為だと私は思うので)自分に厳しくすることが立ちはだかる壁を乗り越え続ける術だと考えても当然のように私は思います。ただ、「限界を超えていた」ことにあなたは気づいて、その苦しさをここに書きに来てくれたのだと思うので、書き終えて、そして感想を受け取った今、あなたはどのような気持ちでいるだろうかと気になっています。また、あなたがつながった主治医や支援員さんからかけられた言葉をあなたはどうとらえただろうか(そんなの無理と思ったのか、そう考えてもいいのかもと思ったのか、よくわからないなのかなどなど…)と、私は関心を抱いています。私としても、あなたが自分にこれまで厳しくしてきたことを労い、あなたという”他者”に対して、たまにでもいいので安心やご褒美(ケア)の時間をあげてほしいなと感じたと書かせていただいて、感想としたいと思います。またよければ書きに来てください。

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