経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

化けて出ることもできない

 産まれてからこれまでに、生きる上で不自由を感じたことはひとつもありませんでした。学生時代から勉強や人付き合いが得意で家は裕福、大学を出て総合商社に営業マンとして就職してからも順風満帆で、職場環境・待遇にも何の不満もありません。家庭も持ちました。客観的に見てもそれなりの点数が付けられる生涯だと思いますが、今はどこかリアリティを持って自分の人生を生きているような心地がせず悩んでいます。
 運や環境に恵まれた私は明るく楽しく暮らさなければならないのに、それができません。家族や友人を含め、他人の前ではいつでも笑顔を作っていますが、どこまでが作り笑いなのかもわからなくなってきており、最近は半透明なビニールの幕ごしに世界を見ているような、箱庭の中で動く自分を頭上から眺めているような感覚が常にあります。友人との会食、趣味の音楽・運動・語学勉強など何をしてもうっすらとは楽しめるのですが、どうしても本気になれません。誰しも心根を煮詰めれば何かが鍋底に残るものと思いますが、私の場合は綺麗さっぱり蒸発してしまいそうで空恐ろしいです。
 生きづらさという点に関しても積極的に死にたいと思うような感情の発露があるわけではなく、生きていくためのコストを払い続けるのにいつか疲れてしまうのではないかという漠然とした不安感、何となく死因は老衰ではないだろうなという予感があるのみです。誰もがつらい思いを裡に秘めて日々をやり過ごしている現代で、このようなうっすらとした生きづらさを抱えているだけの私がやたら悲劇を気取って嘆くのも失礼な気がしてしまいます。
 本当に死にたくなる前に、この世に未練を残せるような、心の奥底から執着できるようなものを見つけなければと思っています。今のままでは明日突然家族を置いて死んだとして、化けて出ることもできないだろうな、と思います。

感想1

タイトルに惹かれて感想を書きに来ました。ところどころの独特な表現も個人的にはなんだか好きで、読んでいて(つらさを書かれているのに申し訳ありませんが)興味津々になってしまいました。

あなたはこれまで特に「不自由を感じたこと」がなく、かつ「それなりの点数が付けられる」人生を歩んできたとのことですが、その一方で「自分の人生を生きている」感覚がないため、悩んでいるのだなと感じました。
この文章を読む限り、これまでのあなたは-「点数」や「コスト」といった言葉が象徴するように-どこか効率優先で合理的に生きてきたと言えるのかなと想像しています。「恵まれた」ことで「楽しく暮らさなければならない」と思うところや、「化けて出る」くらいの「執着できる」何かを見つけることにある種の解決を見出そうとしているところなどは、合理的に考える結果導き出されるもののような気が私はしました。それらは否定されるものでは全くないと思いますが、あなたの場合にはそのことで苦しんでいるような印象を受け、同時に、この社会は常に正解や結果=「点数」や「コスト」を求めてくるため、あなたは自分の感覚よりも社会の価値観に沿うように生きてきたとも言えるのかな…と私は考えました(失礼な表現でしたらすみません)。そうだとすると、一度その価値観から離れ、よく理由はわからない(非合理)けどなんだかホッとすることや、あなたが好きなもの、ワクワクするものは何かと考え、味わってみてほしいなと私は感じます(あなたが求める「執着できる」何かは非合理なものの印象でもあります)。反対に、実は「不自由」だったかもしれないことや、「順風満帆」でなくちょっと苦しかったこと、傷付いたことなどがあれば、それを思い返して味わうのもありなのかもしれないと私は思いました。

また、あなたは人生に何を求める人なのだろうと聞いてみたくなった私がいました。たとえば私は人生に変化や成長を求める人だと感じてきたので、もし私が変化のない「順風満帆」(≒安定)な生活をしていたとしたら-周りは「恵まれている」「いい点数の人生」だと評するかもしれませんが-きっとあなたのように悩んでいただろうと思います。そう考えると、あなたが人生に求めているものと、今の生き方とにずれがあるとも言えるのかと思ったので、これを機に、そのことについてじっくり考えてみてもいいのかもしれないと感じます。生きづらさの中には、本当はこう生きていきたいといった思いが潜んでいることがあるような気もするので、あなたの「生きづらさ」を「失礼」などと思うことなく語ったり文字にしたりしてみてもいいのかもしれないと思います。またよければ書きに来てください。投稿ありがとうございました。

感想2

今の自分の感覚に疑問やモヤモヤ、違和感もあってここに書いてくれたのかなと想像しました。順風満帆ではあったけど、もしかしたら以前から「順風満帆に見えてるんだろうなぁ…。」と第三者目線で考えたり(無意識にそうなってしまってたり)そうやってふと自分から離れて”誰か”の視点からきてるようなものがダメージとなり、あなたをつらくさせていたこともあったのかな…と、感じました。そしてそこには、「恵まれてるのだから明るく楽しく暮らさねば。」となる部分に通じるものがあるんじゃないかと思いました。ここで思ったのは、「恵まれてる(であろうと決めつけられてしまった)人はつらさを出すなんておかしい。」と世の圧がある気がしました。でもそれは誰も禁止できないものだと私は思いますし、楽しく暮らさなければいけない”義務”もないと思ったことを、勝手ながら言いたくなりました。
また、書かれていた例えを私なりにイメージしてみました。半透明なビニールの幕ごしだとぼやけてるし、周囲の様子を確認することも、自分がどこにいるかの感覚を捉えることも難しく、不安になると思いました。箱庭の例えでは、自分のはずなのに自分の意思でなく動いていたり、操作されてる感や「何をしてるんだろう?」と、ぼ〜っと感覚が掴めない状態の欠落感と、少しの焦りがある気がしました。(あくまで私の想像でしかありませんが…。)そんな状態で友人と会ったりたり趣味の時間を過ごすのは、あなたの言うように空恐ろしいものだと感じました。でもここでは、自分の感覚をよく見てる(味わっている)方だな、と私が思った部分でもありました。
化けて出ることもできないという表現は、未練の有無だけでなくどこか達観した様子も受け取りました。ここも、箱庭の自分を眺めてるような状態からくるものなのだろうかと想像しています。うっすらとした生きづらさも、失礼だからとそのままにしておくと濃くハッキリとしたものになっていくのではと思いましたし、「つらさを出す=悲劇を気取る」ではなく、ただそこにある事実を述べて自分と向き合っていることでもあるのかなと私は考えました。そして、こうやって外に書き出してみる事で見つかる何かもあるのかもしれないと思います。あなたの感じているものや見ているもの、気持ちを、よかったらまた教えてください。

お返事

失礼ながら自分の考えを整理するために作文を行った側面もあったのですが、温かいコメントを頂き不覚にも涙が出てしまいました。

頂いたアドバイスを参考にさせて頂き、自分の生きづらさと付き合っていければと思います。この度はありがとうございました。

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