経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうすればいいんだろう

どうすればいいんだろう

昔から性別に対する違和感があったとかそう言うわけではないと思う。女に生まれたことに対する嫌悪感だとか、自分が男だという認識とか、そういうのはなかった。
ただ、漠然と「男に生まれたかった」という願望だけを持っていた。だけど、僕には姉も妹もいたから、女の子として生きていることに対する違和感はなかったし、嫌悪感も抱くことはなかった。
だからこそ、「男に生まれたかった」はただの願望で終わるはずのものだった。
「男になりたい」と思うようになったのは、性同一性障害を抱えて生きてきた推しの動画を見てからだった。最初は、推しと同じになりたいとか、人と違う存在になりたいとか、そういった、中二病的な考えからきた、時が過ぎれば治るようなものだと思っていた。
しかし、時がたった今でも、男になりたいという思いを消すことはできていないし、女に生まれた嫌悪感すら抱くようになっている。
一応、母に自分のことを伝えたことだってあるが、母は、もう覚えていないと思う。
伝えた時は、「自分らしく生きていてくれればそれでいい」と言ってくれたけど、最近は、僕に女の子らしい格好をさせようとしてくる。
自分が女であることがすごく嫌だ。
歳を重ねるにつれ、女性らしく成長していく体も、自分が女として見られていることも、制服のスカートを履かなければいけないことも。
この現状に耐えられない。
僕は、どうしたらいいのだろうか。

どうしたら

昔から性別に違和感を感じていたわけではないと思う。嫌悪感すらなかったはずだ。
ただ、「男に生まれたかった」という思いだけを抱えていた。僕には姉も妹もいたから性別に対する嫌悪感を感じたことはなかった。
それが普通だと思っていたからこそ、男に生まれたかったという思いは、願望で終わるはずのものだった。
初めて自分の性別に違和感を持ったのは、推しの動画を見たことがきっかけだった。その人は、性同一性障害を抱えて生きていた。
初めは、推しと同じになりたいとか、周りの人とは違う存在になりたいとか、厨二病的な考えだと思っていた。
しかし、時間がたったいまでも、自分は男だ、と言う考えは拭えていないし、女に生まれたことに対する嫌悪感すら抱いている。
一応、このことを母に伝えては見たけど、多分もう忘れていると思う。
話したときは、「自分らしく生きていてくれればなんでもいい」と言っていたのに。
もう、全部が嫌になった。
時がたつにつれて女性らしく成長していく自分の体も、女として見られていることも、制服のスカートを履かなければいけないことも、「女の子なんだから」と言われるのも。
全部全部嫌だ。
こんなことになるなら、生まれてこなければよかった。消えたい。全部、最初から無かったことにしたい。
この現状に耐えていけるほどの強さなんて僕にはない。
僕はこれから、どうしたらいいんだろう。

感想1

二件読ませていただきました。
初めに書かれていた、「男に生まれたかった」という思いは、そう感じる出来事がこれまでの中で多々あったりもしたのか、そうじゃなくてあなたの言うようにただただ漠然とそう思ってたのかな…と私なりに色々考えながら感想を書いています。
初めは「推しと同じに」などそういう気持ちも確かにあったかもしれないけど、その推しが一つのキッカケとなってくれて、あなたがずっと抱えていた”自分の性別の感覚の答え”を見つけたのが、今のあなたなのかな、と私は読んでいてそう思いました。しっくりくるもの(考えや体感)を見つけた分、今の身体への嫌悪感がじわじわと出てきている状況だったりするのかな…と想像しました。
「自分らしく生きていてくれればそれでいい」と母から言葉をもらった時、あなたはどんな風に感じたのでしょうか。そこについてあなたの気持ちが書いてなかったので、ふと気になりました。でもそう言ったはずなのに”女の子らしい格好”をさせようとしてくることにあなたは矛盾を感じてしまったり、嫌な気持ちだけではなく戸惑いや不安、不信感も抱いてしまうんじゃないかと思いました。自分の身体のことで悩んでいるのに、こうやってまた別の部分でも苦しんでしまうことは、相当なストレスがかかることだと私は思います。
制服も、スラックスを選択できる学校が増えてきてはいても少なく、そしてまだまだこの社会では”女らしさ・男らしさ”の基盤で物事や考えが動いている気が私はしていて、それを要所要所で感じるたびに違和感があります。
あなたの感じる「嫌だ」の気持ちは尊重されていいものだと私は思うし、苦しさやつらさも、自由にまたこうやっていつでも書き込んでほしいです。そんな風に思いながらふと考えたのですが、連携しているサイトで「生きづLABO」というものがあります。そこの質問コーナーでセクシュアリティについての質問が複数寄せられていたので、あなたにとって何か発見になったりしないだろうか…と勝手ながらそう思いました。URLを貼らせてもらうので、もし良ければですが、見に行ってみて下さい。
https://ikidulabo.lifelink.or.jp/directorstag/sexuality/
(ここでは既に「#セクシュアリティ」でまとまったものだけが見れるようにしてありますが、ほかにも色々あります。)
投稿、ありがとうございました。

感想2

文中に書かれていた「全部が嫌になった」という感覚に思いを寄せながら、何度も読ませていただきました。からだのつくりや特徴が生物学的にあらわれる以上、日々の生活、体調、そして人との関わりといった「生きる」行為の中で、性別を意識する心を完全に切り離す(無視する)ことは難しいと思います。なのできっと言葉にする以上に多くの場面で、投稿者さんは自分の性別と向き合っている(向き合わざるを得ない)のではないかなと想像しています。そのくらい、生きる感覚とつながりの深い事柄だと捉えています。
そして年齢を重ねていくと、今まで以上にからだの変化を感じるところがあったり、周囲の大人や同級生同士での見え方・見られ方も「男」「女」に沿って分かれていったような記憶があるので、そういった自分の心の外側で起きること(けれど自分の心にダイレクトに影響するようなところ)によって性別に対する違和感が顕著になっていく、その過程に投稿者さんはいるのかなとイメージしたところでもありました。

そういった意味では自分自身の変化だけでなく、いわゆるジェンダー的な側面も関係してくると思うので、自分の身近なひとたち(環境)が性別をどんなふうに捉えるかというのも大切な要素なのかなと感じます。投稿者さんの周りでは「男女」という考え方が強かったりするでしょうか…。周りの人が悪意をもって押し付けているわけではないとしても、自分にとって違和感・抵抗感を覚える状態が続くのは、すごく圧迫感があって消耗することだと思うので、毎日スカートをはくときに投稿者さんが押し殺している気持ちを思うと、どうにも心が苦しくなる私がいます。制服自由化の動きで少しジェンダー観はほぐれるのかなと考えつつ、それ以上に性別のことで悩んだとき、その苦しさをどう取り扱うかがもっと柔軟に選べる(話したい人は話しやすく、話さないとしても周りに何か言われないような…)ようになったらいいなと私は感じました。
投稿者さんが母親さんに話をしたときのことについて、(詳細はわかりませんが)「自分のことを伝えた」と書いてあったのが、個人的になんだかいいなと思いました。性別という枠組みはどうしても強く社会に根付いているけれど、そもそも「自分のこと(誰かにどうこうされるものではないこと)」で、だからこそみんな違うし、分かりやすいものでなくてもいいんじゃないか、と気づきをもらったような感覚になりました。
よければまた死にトリを訪れてみてください。改めて、投稿ありがとうございました。

お返事

読んで頂き、ありがとうございます。
周りの人には簡単には話せない内容なので、話を聞いてもらえて、書いたことに対する感想までいただけて嬉しいです。
わかって欲しいけど、同情して欲しいわけじゃない。
これは、我儘でしょうか。

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