経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

祖母に会いたい

私は小学生の頃に比べたら幸せに生きていると思います。祖母が居なくなったからです。
昔から空気が読めず、社会性が無かった為嫌われた瞬間が無いような人生でした。今なら嫌われる理由が分かりますが、あの頃はどうしてそうなってしまうのか悩み苦しんでいました。
しかしそれらは、家よりはマシだという思考で打ち消されます。家にいる方が辛かったからです。

あの人は毎日私の顔を見る度に嫌そうな表情をし、時には溜息、舌打ちをします。それだけで学校での出来事なんて、この人に比べたら些細なことなのだと考え直されます。
小学生の頃の記憶は殆ど無くなってきてはいますが、白いつぶつぶが湧いた腐った納豆が一週間続いた時の記憶、使えない役立たずと言われ続けた記憶は未だに無くなってくれません。

小学生低学年の頃は只々死にたいと思っていました。食い扶持ばかり減らしていく使えない木偶の坊は死んだ方が良いと思っていました。でも恐怖で死ねませんでした。生きているのが申し訳ない日々でした。
しかし高学年になるとそれらは殺意へと変化しました。兄のお陰です。兄は家族を、特に祖母を強く嫌っていました。その事を知った時、家族でも嫌って良いことを知りました。
自分のことが嫌いだったぶん祖母を嫌いになりました。復讐してやりたいと考える日々に変わりました。

大学二年生の頃に祖母が亡くなりました。
当時は今更死ぬのか…と落胆しました。もっと早く死んで欲しかったからです。しかしもうそこまで感情は動きませんでした。復讐とかどうでも良いから只々死んで欲しいとしか思っていなかったです。

祖母がいなくなってから私はより祖母に囚われるようになりました。そもそも私は欠陥人間でした。人様に迷惑をかけ続ける存在です。
だから祖母から受けた扱いは当然だったのだと思うようになりました。それと同時にそんな訳ないと反発する考えが生まれます。
祖母に会いたいです。祖母がいない人生は生きる意味が無いと思います。祖母に褒めて欲しかったです。
そんな訳がありません。私は私の人生を生きたいです。

でも祖母がいてもいなくてもそもそも社会と私は相性が悪いようです。
人間の平均寿命と比べたらたかが20数年生きた程度ですが疲れてしまいました。
自分の人生を生きたいと思う気力も正直薄れています。祖母に会いたいです。

感想1

投稿ありがとうございます。
あなたが抱える様々なつらさと、その気持ちの変遷を興味深く読ませていただきました。特にあなたに大きな影響を与え続けている「祖母」への気持ちはとても複雑なもののように見え、一緒に考えてみたいと思って感想を書きに来ました。

「家にいる方が辛かった」という言葉と、あなたが家で経験してきた具体的な内容を見て、家族(の人間関係)で相当苦労してきたことがわかりました。あなたが「食い扶持ばかりを減らしていく使えない木偶の坊」と自身を認識するようになったのは「あの人」(というのは祖母ですかね‥)にそう教え込まれたからかなと想像し、そうした日々を過ごしていては「死にたい」と思うのも無理はないように感じます。「生きているのが申し訳ない」感覚は自身を責め続けてきたゆえのようにも思えたので、あなたは何も悪くないとお伝えしたい気持ちです。

「死んだ方が良い」や「申し訳ない」気持ちは内側(あなた自身)に向く気持ちと言えるかと思いますが、それが外側へ向くこととなった=「祖母を嫌いに」なり「復讐してやりたい」ほどの強い気持ちになったきっかけが兄だったことはとても興味深いなと感じました。「家族でも嫌って良い」と知った話は、家族は嫌ってはいけないもので、そう思うのは自分が悪いからだと私たちはどこかで思いこまされているからかと思い、大事な気づきを共有してもらったような気がします。
そうした対象であった祖母が亡くなった時に「感情が動かなかったこと」は自然な反応のように私には思えました。もしかしたら、悲しまないのはおかしいなどと周りに反応されることもあったかもしれませんが、何もおかしくないと私は思います。ただ、あなたも書くように「祖母がいなくなってから私はより祖母に囚われるようになりました」といった様子が、文章から伝わってきて、そのぐらつきの大きさがあなたを苦しめているように感じました。その揺れを“どちらか”にハッキリさせたい気持ちがあなたの中にあるかもしれませんが、私としては”どちらも”あってよくて、いっそ「祖母に会いたい」が仮に叶ったとしたら、祖母になんて言いたかったか、何をしたかったかなどを思い浮かべ、気持ちを追加してもいいのかもしれないと思いました。疲れてしまってそんな気力もないかもしれませんが、ここに書きに来てくれたことは、あなたが「私(あなた)の人生」のために祖母となんらかの決着や決別をしたい気持ちの表れでもあるのかなと勝手ながら想像していました(違ったらすみません)。そのため、無理のない範囲で嘘のないあなたの気持ちを表現できる機会があったらいいなと感じます。

最後に、あなたは「社会と相性が悪い」と書いていますが(そもそも生きづらい社会だとは思います…)家で安心や安全を感じられなかったことの傷があなたを生きづらくさせていることもあるのかなと私は考えました。その傷があなたを余計に「疲れ」させていることもあるかもしれないと思いつつ、何より、あなたの「疲れ」はあなたがこれまで必死に生きてきた証のように私は感じています。そのことに対する心からの労いの言葉をかけさせてもらって、感想としたいと思います。改めて投稿ありがとうございました。

感想2

あなたの経験談を読んで最初に感じたことなのですが、
複数の写真の切り抜きがあって、それを一つ一つ見ていきながら「この時はこうで、こんな風に思ってたんだ。」と、その写真ごとにあなたからコメントをもらってるような、そんな感覚になりました。
そして同時に、家という環境が特につらく、とても居心地の悪いものだったことを想像しました。顔を見る度に嫌そうな表情や舌打ちなどされると、なんだか存在を否定されてると感じてしまうなと私は思います。こんなことをやられていたら、率直にですが心が麻痺していくと思いました。「生きているのが申し訳ない日々でした。」と途中に書かれていましたが、その申し訳なさの中には、こうやって祖母から”否定されてるよう感じさせられてしまった”ことによる申し訳なさも含まれているのかなと考えた部分でした。

私も家族に対して思うところがあるのですが、以前は「家族は大切にしなきゃいけない・嫌うなんてよくないことだ」と思っていた時期がありました。私の場合はその当時近しい人達の家族仲が良かったり、テレビドラマやメディアの影響があったかもしれません。でも、そんなことはないんだと、嫌っていい・苦手でいて良いのだと声を大にして言いたいです。まず家族であれ、別人であり他人だと私は思います。自分の心の中で自然と、大切にしたいと思う時があればそれはそれである意味良いも悪いもないただ一つの感情であると思うし、「嫌いだ」となること(言うこと)も自由であって欲しいし自由だと、今改めて思ったことです。
そして、あなたの嫌いは「殺意」の形として現れたのかなと想像しました。私の中の家族への嫌いは、「苦手と怒り、恐怖、気持ち悪さ」があるかもしれない…とふと考えました。まだもっと出てくる気もしたので、あなたは殺意や復讐心以外にどんなものがあったのか(あるか)を聞いてみたい気持ちになりました。また、自分のことが嫌いだったぶん祖母を嫌いになったことも、納得した部分がありました。自分のことを嫌いでいることは相当なストレスだったと想像しますし、更に祖母の行動や態度から、”自分を嫌うよう仕向けられてしまった”のもあったように感じたからです。なので、ここで祖母への嫌いが膨れ上がるのは無理もないんじゃないかと私は思いました。

反発してくる考えが出てくること、自分の中のそのやり取りでさえも「祖母に囚われている」とあなたが感じる一つなのかなと思いました。囚われている・縛られているからこそ祖母にもう一度会って褒められたり、何か言葉をかけてもらうことでその縛りを祖母に解除して欲しい気持ちと、もう何もかもを自分で解放して、自分のことだけを見て、自分の人生を生きたい想いが両方同じくらいあるんじゃないか…と私が経験談を読みながら感じたものでした。
最初にも少し書かせてもらいましたが、もしかしたら「この時はこうだったけど本当はこうしてほしかった。」など、反発する考え(声)がまだあったりするのかなと思いました。もしあれば教えてほしい気持ちです。またいつでも死にトリに来てください。

お返事1

長文にも関わらずお読みいただいて、そして感想をいただきありがとうございました。

自身の家族に関し、関わり方や考え方について、自分の家庭は少しおかしいと分かってはいても共有できる人がまず少なく、ドラマや小説の様に激しい折檻を受けていた訳でも愛情を受けていた訳でも無く、家族に対する複雑な感情を己の中で解消し昇華してから社会と向き合っていかなくてはならない事実に辟易としていたのかもしれません。

家族を嫌ってはいけない、家族は大切にするものだ、という価値観はそれこそ周囲の人々やテレビの影響が強かったと思います。それらによって、自分が祖母から好かれないのは己がおかしいからだと余計に思い込むことに繋がったかと思います。
祖母は父方の祖母で、私の母親を極度に嫌っていました。母は浪費癖があり浮気性で、ギャンブルを繰り返すような人だったそうです。私が産まれる時点で他の方と不倫をしており、血液検査にて父の子であると判明したため父方に引き取られたのだと祖母に何度も聞かされておりました。その感情が少なからずその女の子供に向くことがあったかもしれません。少なくとも当時は自身の母親はろくでもない人だと教わっていました。そしてそんな人間の子供なのだから、自分が嫌われるのも当然だと思っていました。
父は良くも悪くも無関心でした。教育は全て祖母祖父に任せていたため、父からの愛を感じる機会は少なかったのでしょう。
祖父は家族の中で唯一優しくしてくれる人間でしたが、ある出来事で気持ち悪い人間に変わりました。
私にとって家族は呪いのようなものです。だからこそ執着しているのかもしれません。成人した今でも未だに、他の子のように褒めて欲しいし、無条件に愛されたいのです。
しかしそのような存在は居なかったことを受けいれ前に進みたい、そちらの方が生きやすくなると頭では理解しており、決別したいと思っているのだと思います。

今でも、生まれてくるのが私じゃなかったらもっと上手くやれていたと思っています。生まれたのが私じゃなくて他の人だったら、家族と上手く付き合っていけたのではないかと。私じゃなかったら祖母を不幸にしなかったと。私が生まれてしまったから家族を不幸にしてしまったと思っています。
だからごめんなさいを伝えたいです。そして抱きしめて欲しいです。

己の半生を振り返り、記述する中で頭の中が纏まり自己理解が深まったように思います。
一方的に話をしてしまった形になってしまいましたが、こんな話でも真剣に聞いて下さりありがとうございました。
否定せずにお話を聞いてくださるという安心感で、マイナスなことも正直に記述できたと思います。
本当にありがとうございました。

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