経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
黙っているか、フォークを受け止めて
男性中心の環境に女性技術者として入った
高校生の時に性被害経験があり、男女が同じ空間で寝泊まりすることに強い不安がある。周囲にはそのような不安が共有されづらく、「気にしすぎ」「甘え」ととられがち。家庭の中でも、理解よりも「無駄遣いじゃない?」「ちゃんと確認したの?」と責められるような反応が返ってくる。具体的には、雑魚寝の宿泊を回避するため、別の宿泊施設を希望するも、費用や理由を疑われるし、周囲から「Wi-Fiないと無理だからね」と皮肉のような言葉をかけられる
「自分だけが過剰反応しているのか」と苦しんだ(一部の女性先輩だけが、否定せずに受け止めてくれた)
当たり前に守られるべき安全や配慮が、なぜここまで説明を要するのかという憤り。
常に「申し訳なさ」を背負いながら働くことの疲弊。
「自分だけが守られている」と思われる不公平感への恐怖。
それを経験しないでいられるあなたが宿泊費を渋るのですか。
「この会社は女性が強いw」などの一言は、背景や構造を無視した暴力です
私たちが今求めているのは「優遇」ではなく「必要な配慮」です
本当の強さを理解している人は安易にその言葉を口にしない。
理解できないなら黙って立っていてほしい。
_他に持つところはあったのに、どうしてそこを持ったんだろう
箱を運搬しているときに、わたしが下にいて、2メートルくらい上にいる男の人が、私が持っている箱を持ち上げるときに__
その瞬間の疑問が残り続けているのは、事故ではなく意図的な侵入だったと私の体が記憶している。怖かったけど、言えなかったし、自分が悪者にされると思った。一年目のときに業務中に性被害にあった。これらの瞬間的な沈黙と空白はいまはちゃんと高校生の時の性被害体験とちゃんと地続きになっている。
__その後、セクハラ担当委員は、新人歓迎会で私の太ももをさわって下卑た笑いを上げ、その後無事に出世した。信じれる人はいないという絶望と不信感、そして私は私が悪いと言われたら死んでしまうと思って相談できなかった__
飲み会の時に私より年下の若い子がおさわり無料になることは嫌だとちゃんと言える。「避けなさいね僕たちは何もしないからと無言を貫く上司」も嫌。これ以上被害者を出したくないし、誰にも共犯になってほしくない。私も共犯になりたくない。だから参加しない。
その場にいる全員のことを信じれなくなった一年目は眠れなくて大変だったり。どんなにがんばって、誰よりも残業して仕事しても、「女」はどうせ一人の同僚として見てもらえないと言う絶望、味合わせてやりたい。
今でも飲み会は開催されていて、男の上司たちは参加している。私が参加したら当事者にナイフを、居合わせた共犯全員にフォークを突き刺すと思うので飲み会にはでないほうがいい。
〇年目なのに男性社員ほどの激務に追われたことがない(異動させてもらった)から、発言する資格がないような気がしてしまう。本当に大切なのは「どれだけ稼いだか」では発言権が薄いけど、
「何を見て、どう感じたか」「どんな未来をつくりたいと思ってるか」では発言権は自由だと思う。
アクティブバイスタンダー(不適切な行動をその場で止める人)の育成が学校で始まっているらしい。私たちの世代ができることとすれば、特に若い男性社員が、“迎合”するのではなく“距離を取る”ことが許される文化の育成だろう。酒の場での暴力や過度な“可愛がり”が容認されている。このおかしさと無自覚なハラスメントを、わたしにはとめられないから、わたしは壁にフォークを投げている。絶対に私は共犯になりたくない。
感想1
経験談を読ませていただきました。
高校生のときの性被害、そして今の職場での性被害やあなたの気持ちを矮小化するような周囲の発言…どれもあなたを苦しめていることがとても伝わってきました。セクハラ担当委員の人が新人歓迎会の場で触ってきたとなると、誰も信じられない気持ちになるのはあり得ることだと思いましたし、ショックも相当なものだったと思います。
あなたに落ち度があるわけではないと私は思いますし、「職場の人たちと雑魚寝したくない」という気持ちが世の中の人々と比べて必ずしも「過剰反応」というわけではないと私は思います。被害経験の有無や身体の性別に関わらず様々な事情であなたのように思う人はいると思います。必要な人が必要な配慮を得られればいいのに…と経験談を読んでいて私はやるせない気持ちになりました。
「男性(おそらく大体がシスジェンダー男性)ばかりのコミュニティだから」というより、あなたが今所属しているコミュニティ全体として人権意識があまり育っていないのではないか…という印象を私は抱きました。女性という性を持っている人を、対等な人権を持つ人間として職場の人達が扱っているようには私には見えなかったです(ここではあえて男女二元論で書きました)。
身体的にも精神的にも性別が男性であったとしても、世の中にはあなたの訴えを「もっともだ」と納得する人や集団も当然存在していると思います。しかし、そういう人はあなたのコミュニティにはいないまたは少数か、同調圧力に屈して「共犯」状態の人もいるのかもしれないと感じました。あるいは、その環境が「当たり前」と思わされて、結局それを内面化してしまった人たちもいるのかもしれない…という気持ちにもなりました。本当に無責任なんですけど、読んでいて「こういう職場、やめちゃえ」なんてつい思ってしまった私がいました。
あなた自身がしんどい思いをしたこともあって、「これ以上被害者を出したくない」「共犯にはなりたくない」という思いが人一倍強いのだろうなぁ…と読んでいて感じましたし、そこにあなたの強さのようなものを感じました。
「飲み会に行かない」という行動だけでも、職場の飲み会の文化に違和感を持つ若者が「無理に行かなくてもいいのかな」と思う余地を作り出せるのかも…と思いました。「共犯にならない」という振舞いだけではなく、あなたの行動はそういうあなたなりの「助け方」でもあるように、私には見えました。それがあなたの言う「距離を取る」なのかなと私は感じていました。そしてあなたも「距離を取る」ことであなた自身のことを守っているように見えました(何よりもまず自分の身を守り、安全を確保することは大切なことだと思います)。
一人で環境を変えるのは無理でも、もしかしたら世界にたくさんある職場のそれぞれが、新たな価値観や考え方を持つ人たちの力で変わっていく未来があるのかな…と思いました(一方、「もっと早く変わってくれればいいのに」とも思いますが…)。
何回も読み返して、あなたがつけた経験談のタイトルの力強さをひしひしと感じていました。誰かが苦しんでいて助けや配慮を必要をしていることが理解できないなら「優遇」が云々とか一次被害や二次被害にも繋がり得ることを言わずに黙るか、その場に居合わせているのに見て見ぬふりをして声をあげもせずに黙っている「共犯」には「それは違う」というフォークを受け止めてほしい…という気持ちなのかな…と私は読んでいて思いました(違うのであればごめんなさい汗)。
「ナイフ」と「フォーク」のうち、当事者に向ける「ナイフ」ではなく、共犯に向ける「フォーク」をタイトルに据えたところが印象的でした。「フォーク」を受け止めた共犯の人たちが変われば「もっと早く変わる」世の中もあり得るのかなと思いますし、それぞれの小さな積み重ね、声をあげること(実際に言葉にしなくてもいいと思います)が必要なんだろうなと思いました。職場のハラスメントだけではなく学校のいじめ問題にも言えることでもあるのかなと感じました。
「何を見て、どう感じたか」「どんな未来をつくりたいと思っているか」は年齢などに関わらず全ての人が参画できるテーマなのではないかと思いますし、そこに対する当事者意識も大事なのかなと読んでいて感じました。
感想1
経験談を読ませていただきました。
高校生のときの性被害、そして今の職場での性被害やあなたの気持ちを矮小化するような周囲の発言…どれもあなたを苦しめていることがとても伝わってきました。セクハラ担当委員の人が新人歓迎会の場で触ってきたとなると、誰も信じられない気持ちになるのはあり得ることだと思いましたし、ショックも相当なものだったと思います。
あなたに落ち度があるわけではないと私は思いますし、「職場の人たちと雑魚寝したくない」という気持ちが世の中の人々と比べて必ずしも「過剰反応」というわけではないと私は思います。被害経験の有無や身体の性別に関わらず様々な事情であなたのように思う人はいると思います。必要な人が必要な配慮を得られればいいのに…と経験談を読んでいて私はやるせない気持ちになりました。
「男性(おそらく大体がシスジェンダー男性)ばかりのコミュニティだから」というより、あなたが今所属しているコミュニティ全体として人権意識があまり育っていないのではないか…という印象を私は抱きました。女性という性を持っている人を、対等な人権を持つ人間として職場の人達が扱っているようには私には見えなかったです(ここではあえて男女二元論で書きました)。
身体的にも精神的にも性別が男性であったとしても、世の中にはあなたの訴えを「もっともだ」と納得する人や集団も当然存在していると思います。しかし、そういう人はあなたのコミュニティにはいないまたは少数か、同調圧力に屈して「共犯」状態の人もいるのかもしれないと感じました。あるいは、その環境が「当たり前」と思わされて、結局それを内面化してしまった人たちもいるのかもしれない…という気持ちにもなりました。本当に無責任なんですけど、読んでいて「こういう職場、やめちゃえ」なんてつい思ってしまった私がいました。
あなた自身がしんどい思いをしたこともあって、「これ以上被害者を出したくない」「共犯にはなりたくない」という思いが人一倍強いのだろうなぁ…と読んでいて感じましたし、そこにあなたの強さのようなものを感じました。
「飲み会に行かない」という行動だけでも、職場の飲み会の文化に違和感を持つ若者が「無理に行かなくてもいいのかな」と思う余地を作り出せるのかも…と思いました。「共犯にならない」という振舞いだけではなく、あなたの行動はそういうあなたなりの「助け方」でもあるように、私には見えました。それがあなたの言う「距離を取る」なのかなと私は感じていました。そしてあなたも「距離を取る」ことであなた自身のことを守っているように見えました(何よりもまず自分の身を守り、安全を確保することは大切なことだと思います)。
一人で環境を変えるのは無理でも、もしかしたら世界にたくさんある職場のそれぞれが、新たな価値観や考え方を持つ人たちの力で変わっていく未来があるのかな…と思いました(一方、「もっと早く変わってくれればいいのに」とも思いますが…)。
何回も読み返して、あなたがつけた経験談のタイトルの力強さをひしひしと感じていました。誰かが苦しんでいて助けや配慮を必要をしていることが理解できないなら「優遇」が云々とか一次被害や二次被害にも繋がり得ることを言わずに黙るか、その場に居合わせているのに見て見ぬふりをして声をあげもせずに黙っている「共犯」には「それは違う」というフォークを受け止めてほしい…という気持ちなのかな…と私は読んでいて思いました(違うのであればごめんなさい汗)。
「ナイフ」と「フォーク」のうち、当事者に向ける「ナイフ」ではなく、共犯に向ける「フォーク」をタイトルに据えたところが印象的でした。「フォーク」を受け止めた共犯の人たちが変われば「もっと早く変わる」世の中もあり得るのかなと思いますし、それぞれの小さな積み重ね、声をあげること(実際に言葉にしなくてもいいと思います)が必要なんだろうなと思いました。職場のハラスメントだけではなく学校のいじめ問題にも言えることでもあるのかなと感じました。
「何を見て、どう感じたか」「どんな未来をつくりたいと思っているか」は年齢などに関わらず全ての人が参画できるテーマなのではないかと思いますし、そこに対する当事者意識も大事なのかなと読んでいて感じました。