過去の私はずっと報われてない。現在の私ですらも救えないから苦しい。
小学生の時、中学受験を試みた。興味があるわけじゃなかったけど何となく提案されたから。割と優秀な方で、系列の塾のランキングはいつも上位だった。授業は楽しいし、一緒に勉強する友達は面白い。でも、急に抜毛症になった。ついでに毎晩泣くようになった。辛かったとかの記憶は不思議なことに何もなくて、ただ気がついたら自分の髪をずっと抜いてた。わけがわからない。覚えてる限り、初めて心が沈んだ瞬間だったと思う。髪の毛抜くのやめたい。でもそれができない。そんな思いがどんどん肥大化していって、誰かに気づかれたいって思うようになった。だから頭頂部の、つむじのところの髪のひと束をいっぺんに抜くことにした。本当に馬鹿。そんなことして何になるのか。小学校の卒業アルバムの個人写真だってまだ撮ってないのに。それでも作戦は成功して、むしりたてほやほやの、ヒリヒリした頭皮を見た母親に気づいてもらえた。受験がストレスだったと思ったらしい。病院にも行ったけど心療内科の予約は途方もなく先で、その前に受験と塾を辞めた。なんで?って正直思った。塾がしんどかったなんて思ったこともないし。でも色々辞めた途端に髪の毛を抜く行動も治った。心療内科の予約の前に。呆気なかった。あんなに悩んでたものが、こんなにあっさり解決しちゃった。母も父も喜んだ。でも私は喜べなかった。ずっと、悲劇の主人公でいたかったのだろうか。
それからずっと悩みが絶えないような人生になってる。あの時の、12歳の私がずっと今の私の頭の中にいて、解決させてくれないような気もする。
悩まなくていい瞬間なんて、今後一度も来ないのだと感じてしまう。どうすれば救われるんだろう。
感想1
まず、経験談への投稿ありがとうございます。
読んでいて、楽しいと感じていた勉強の裏に、感じ取れない程微細な、だけどとても恐ろしいなにかが覗いているような、そんな感覚になりました。
なかでも、「つらかったとかの記憶は不思議な事に何もない」という部分が個人的にとても印象的だと感じました。
投稿者さんのつらさは、「自覚できない程のつらさがいくつも心を絞めつけて、輪ゴムをかけたスイカのようにはじけてしまう」つらさなのかなと、勝手ながら考えました。(違っていたら申し訳ありません。)「髪を抜くのをやめられない」のは、つみかさなる小さなつらさから身を守るための、心の信号だったんじゃないか、って思います。
「誰かに気づかれたいって思うようになった」のも、心が限界を迎えていて、「誰でもいいからわたしを助けて!」という心からのメッセージだったのかな。
母親が真っ先に「受験がストレスだと思ったらしい」ところから、もしかするとそれまで投稿者さんが楽しいと感じていた塾や勉強が、母親の目線ではつらさを抱えながら行っているように見えていたのかもしれない、と勝手ながら感じました。
塾・受験を辞めて悩みが晴れた時の、両親と投稿者さんの感じ方の違いも印象的でした。投稿者さんが喜べなかったのは、今まで自覚できていなかった「つらさ」が自覚できた瞬間だったからなのかな…。
悩まなくていい瞬間はあってほしいと私も思っていますが、悩むからこそ、その先で色々なことを感じられるのではないか、とも思っています。ものすごくジレンマだなって思います。
意外と、解決する問題って思っているより少なくて、解決しない問題の多くは時間の経過とともに薄れて消えていくものが多いんじゃないか、と思う一方で、忘れたい記憶やつらい悩み・問題ほど強く脳に焼き付いているな、とも感じています。
悩みが絶えずどうしようもなくなってしまった時は、また経験談へ投稿してみてもいいのかな、って思います。
改めて、経験談への投稿、ありがとうございました。