大人になって自分の嫌いな自分になった。
8年前、初めて死にたいと思うようになった。それまで恵まれて生きてきた方だと思う。ある日急に勉強が出来なくなって試験で悪い点数を取った。ただ私が馬鹿なだけなのに、他人を憎んだ。そんな自分が嫌いで、助けてくれない大人が嫌いで死にたいと思うようになった。親はその頃体調を崩した弟をどうにかするのに精一杯だった。心配はしてくれていた、でも最初だけだったかな。
学校に行きたくなくて玄関で泣いていた時も平気で掃除機をかけだして、この人は私を救ってくれないんだって気づいた。それから掃除機の音が嫌い。一度死のうと思ったことがある。途中で人に気づかれて辞めたけど、どうせ人がいてもいなくても死ななかったと思う。死にたくてしょうがなかったけれど、きっと死ぬのが怖くて勇気なんかなかったんだ、その程度だったんだよ。
結局卒業まで言えなくて大学に進んだ。勉強も何となくやってたけど、自分を救うのはこれしかないとも思っていた。大学でも担任の先生や学校の心理士さんに何度も相談した。大学は医療系だったから理解のある人が多くて助かった。でも解決しなかった。その場では安心したり軽い気持ちになれたけど、すぐに死にたい波が襲ってきた。
何とかしなきゃという思いで、病院に就職した。高校からずっと死にたくなったらアムカをしてたけれど、就職して職場ではユニフォームを着るから一切できなくなった。それでも1回か2回はしたことがあって、大きな絆創膏を貼って猫に噛まれたとかやけどしたとか無理矢理すぎる理由をつけていた。今の仕事は上下関係が厳しい世界だし、覚えることも勉強することも沢山ある。1年目はそれこそ仕事もメンタルもボロボロで先輩にも同期にも迷惑をかけた。その事実も死にたいと思わせた。人を救わなきゃいけない仕事なのに私がこんなんでいいのかと毎日思っている。やりがいを感じたりこの仕事好きだと思うことはあるけれど、仕事自体がキツかったり人間関係がしんどかったりするときは今でもある。4月から3年目になってさらに仕事を任される。不安は止まらないしあの時ああすればよかったとか、もう辞めたいってずっと考えてる。退職しない限り終わりはないから。人に迷惑かけるくらいなら死にたい、でも死んでも迷惑かける。昔の私も今の私もこれからの私も何のためにどうやって生きていくんだろう。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
不安
感想2
8年前に「死にたい」が明確に出てきて、それからずっと死にたさが大小の波になり、あなたを苦しめていることを感じました。
でも、”急に勉強ができなくなったある日”も、それまでのしんどさやストレスが気付かぬうちに積もり積もっていた経緯があったのかなと考えました。きっとそれまでも耐えてきたものは多く、苦しさを外に出すことができない状況や環境にあり、それもあって、この苦しさから助けてくれない大人…に繋がるところもあるのかと思いました。
掃除機の音も、その時の親の姿やそれに対する自分のつらい感情が呼び起こされる合図みたいにあなたの中でなってしまってるのかなと想像しました。音や香りによって自分の意思とは関係なく思い出してしまうつらさが私にはあるので、あなたもそんな感覚だったりするだろうか…と思いました。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
読んでいるうちに、学生時代の心の葛藤や、社会人になって責任感や人間関係の悩みに押しつぶされそうになる投稿者さんの姿がぼんやりと浮かんできました。
また、「人の目を誤魔化して自傷行為する」ほどに人を追い詰める現社会に対し、少しばかりの不安感が私の頭の中で見え隠れしているところです。
学生時代は「勉強」に突き放され、支えられていたのかなって、読んでいて感じました。
突然の不調の原因が「勉強」で、大学時代の救いになりえるものも「勉強」だということが、とてもジレンマだなぁと思うと同時に、大学時代に「救いになりえる」と思えるほどにそのギャップを埋めるほどの努力をしてきたんだなと感じました。
仕事が始まってからは環境が大きく変わり、それまでより多くのストレスを抱えるようになったんじゃないかなって思います。これまでストレスのはけ口となっていたかもしれない自傷行為ができなくなることで、ストレスのはけ口がなくなってしまい、さらに精神的なつらさが蓄積して…と無限ループになってるのかな。
投稿者さんにとって、アムカは心を落ち着かせるための手段の一つなのかなって私は感じたのでアムカをやめてなんて言えないけど、なにか別なものでも吐き出せる場所や方法がいつか見つかるといいなぁって思ったりしました。