経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私の幼少期はずっと1人でした。両親は幼稚園の頃に離婚、その後はずっと母と姉2人の4人で暮らしていました。ただ、母はずっと家にいなく、ご飯もインスタントばかりだったのでお袋の味というものは私にはありません。
姉たちも3人の中で私だけ歳が離れていたのであまり仲良くありませんでした。姉は年子なので中学生頃から2人でよくどこかへ出かけていたのですがその頃私は小学低学年。私だけ誰もいない家でお留守番でした。
その時、私が遊んでいたのは1人でババ抜きやスピードなどのトランプ遊び、カルタなど一人で遊んでも全く楽しくないものでした。
母親はたまに帰ってきたと思えば、溜まった洗濯物や汚れた部屋をみて「なんでやってないんだ」「このくらい自分たちでやって」と怒るばかりでした。ただ私は幼稚園の頃は先生たちからペラ子ちゃんと言われるほど話すのが凄く好きな子でした。母親に話したいことが沢山ありました。でも話は聞いてくれず、ご飯も作らずずっと寝ているだけでした。
そこから少し時が経ち、私が中学に上がる前。
母親が彼氏を連れてくるようになりました。今まであんなに料理なんかやってなかったくせに彼氏が家に来る時だけはご飯を作ってくれました。それが私はすごく嫌でした。母の女の部分を見た事、前までは全然家に帰ってこなかったのに毎日のように彼氏と家へ帰ってくること、なにより自分よりも彼氏の方が大事なんだと実感した苦しさで凄く惨めな気持ちになりました。彼氏の方が凄くいい人だったのですがその時の私は「お母さんを取られた」と思いその人のことをとても嫌いでした。
それからは私の居場所はトイレとお風呂しかありませんでした。お風呂に入りながら勉強したり、トイレにぬいぐるみを持っていって床に座り込んでぬいぐるみを抱きしめている自分が今は凄く可哀想に思います。親からの愛情を知らず、誰からも話を聞いて貰えない、毎日のように他人が家に来る、抱きしめてくれる人も慰めてくれる人もいない。そんな可哀想な幼少期でした。今ではおかしいと思いますが当時はこれが私の中では当たり前でした。
そして、中学にあがり私は不登校になりました。母には「早退してもいいから学校に行くだけ行って」と毎日言われました。それでも私は行きませんでした。多分母に反抗したかったのだと思います。散々私の事蔑ろにしてきたのにこういう時だけ言ってくるのやめてと。ただこれが逆効果だったんです。母親から遂に言われてしまいました。「もう私じゃ面倒見れない」って。地の底に落とされた気分でした。もうこの時は死んでやろうとしか思えなかったんです。それからは私だけ父と暮らすようになりました。父は母がいない時にご飯がなくなったら毎回コンビニやお弁当を買ってきてくれたりと離婚後もすごく良くしてくれました。だから父と暮らすとなった時も特に何も思いませんでした。ですが、父にはお金がありませんでした。私が高校生になり、バイトを始めると毎月いるくら貸してくれと言われるようになりました。私は携帯代、交通費、習い事の月謝、お昼ご飯代などは全て自分で払っているので通信制の高校で毎日バイトできると言っても月の3/4は全てこれらに取られているので凄く少ないお金で生活しなければいけないのにそれすらも取られています。毎月自分の給料が入れば必ず返してくれるのですがなんで毎日働いて半年に1回くらいしか休みがないのにこんなにお金がないのと腹が立ちます。
昔も今も私って親に愛されてないんだなと実感して凄くしにたくなります。同時に街中ですれ違うだけの他人に嫉妬してしまいます。親子3人で仲良さそうに歩いている家族には特にです。そんな自分が本当に嫌いです。今の自分も幼少期の自分も凄く可哀想に思います。幼少期の自分を凄く抱きしめてあげたいし、今の自分のことも誰か抱きしめて大丈夫だよと言ってくれるのではと無駄な期待をしてしまっています。
こんなに嫌な母親でも自分の幼少期暮らした人です。やっぱり自分の考えってお母さんに似てるんだと思うことが度々あり記憶を消したいと出来ないことを思ったりもします。今までもこれからもずっと親に縛られるんだと思ってしまいます。最近は幼少期の自分のことを思い出しては泣いてばかりの毎日です。
感想1
「人生」というタイトルに、あなたの背中にいまなお重くのしかかっている家族の存在を静かに感じました。文章の最後に「最近は幼少期の自分のことを思い出しては泣いてばかりの毎日です」と書かれていましたが、たとえ過去に起こった出来事だったとしても、あなたの中では現在進行形で続いている苦しさであることが伝わってきました。
「ずっと一人だった」という言葉から始まった幼少期、幼いあなたの目に映っていたであろう景色を想像しながら、胸が詰まるような気持ちで読みました。
まったく同じではないですが、お返事を書いている私も幼い頃に一人で母親の帰宅を待つ時間が多く、コンビニで買ったお弁当やお惣菜をよく食べていたので、勝手ながら共感を寄せてしまいました。友達の家に遊びに行った際は、母親が家にいておやつを出してくれることにとても驚いた記憶があります。自分のことも思い返しながら、当時は「寂しい」とすらも言い出せず、ただただ大人の都合を受け入れるしかなかったように感じています。
幼稚園の頃は、あだ名をつけられるほどお話が好きな子どもだったのですね。「話したいことが沢山ありました」と書かれていましたが、何よりも母親に話を聞いてほしいという欲求は、子どもながらのまっすぐで純粋な願いでもあると感じました。そんな中で、帰ってきたと思ったら一方的に怒られたり、共有したかった日々の出来事や気持ちを受け止めてもらえないことは、じわじわと心を削がれる瞬間だったのではないかと感じています。
今度は一転して母親が彼氏を連れて家に帰ってくるようになって、あなたの中ではより一層の寂しさとともに、嫌悪感が芽生えたのですかね。自分には向けない眼差しや、母親の女性的な部分を目の前で見てしまうことは、なかなかにショックなことだと思います。
「なにより自分よりも彼氏の方が大事なんだと実感した苦しさで凄く惨めな気持ちになりました」と書かれていましたが、自分が欲しかった関心や愛情を突然現れた他人がいとも容易く受け取っているように見えたら、そんな気持ちになってしまうのは当然のことだと感じました。
当時の居場所はトイレとお風呂しかなかった、とのことでしたが、どちらも一人になれる場所であることを想像しました。逆を言えば、それ以外の場所はあなたにとって安心できる状況ではなかったことを語っているように感じました。
「当時はこれが私の中では当たり前でした」との言葉がありましたが、自分に起こっていることが何なのか分からないまま、絶え間なく襲ってくる孤独感と必死に戦っていたことを想像しています。
中学校に上がってからは、これまでの我慢や寂しさが「怒り」になって少しずつ外へ向かっていったのですかね。母親への反抗は、ずっと抱えてきた苦しさに気づいてほしいというSOSサインでもあったように感じました。言葉にならない複雑な思いを一蹴されてしまったことは「地の底に落とされた気分でした」と書かれた通り、この上なくつらい瞬間だったと想像しています。
父親と暮らすようになっても、返してくれるとはいえ金銭的な搾取があり、あなたが一生懸命働いて得たお金をどうして渡さなければいけないのか・・私も一緒に腹を立てながら、思わず悔しさが滲んでしまいます。
いっそ怒りや恨みを思い切りぶつけられれば少しは違うのかもしれませんが、それすらもままならず、一人で葛藤を抱え続けることはなかなか苦しいことだと感じています。
なので、今回ここに書いてくれたことは他に話している人がいるのだろうか、今も父親と一緒に暮らしているのだろうかと、心配とともに気になっている私がいます。
街中ですれ違う親子に対して嫉妬心を抱いてしまうとのことでしたが、そう思ってしまうことも無理のない経験を積み重ねてきたと私は感じています。なので、あまりご自身を責め過ぎないでいてほしいなと思ってしまいます。
これまでのことを書き綴るのは、痛みを伴う作業でもあったのではないかと感じていますが、書いてみてどんな気持ちになったのか、聞いてみたいなとも思いました。
またよかったらお話を聞かせて下さい。経験談の投稿ありがとうございます。
感想1
「人生」というタイトルに、あなたの背中にいまなお重くのしかかっている家族の存在を静かに感じました。文章の最後に「最近は幼少期の自分のことを思い出しては泣いてばかりの毎日です」と書かれていましたが、たとえ過去に起こった出来事だったとしても、あなたの中では現在進行形で続いている苦しさであることが伝わってきました。
「ずっと一人だった」という言葉から始まった幼少期、幼いあなたの目に映っていたであろう景色を想像しながら、胸が詰まるような気持ちで読みました。
まったく同じではないですが、お返事を書いている私も幼い頃に一人で母親の帰宅を待つ時間が多く、コンビニで買ったお弁当やお惣菜をよく食べていたので、勝手ながら共感を寄せてしまいました。友達の家に遊びに行った際は、母親が家にいておやつを出してくれることにとても驚いた記憶があります。自分のことも思い返しながら、当時は「寂しい」とすらも言い出せず、ただただ大人の都合を受け入れるしかなかったように感じています。
幼稚園の頃は、あだ名をつけられるほどお話が好きな子どもだったのですね。「話したいことが沢山ありました」と書かれていましたが、何よりも母親に話を聞いてほしいという欲求は、子どもながらのまっすぐで純粋な願いでもあると感じました。そんな中で、帰ってきたと思ったら一方的に怒られたり、共有したかった日々の出来事や気持ちを受け止めてもらえないことは、じわじわと心を削がれる瞬間だったのではないかと感じています。
今度は一転して母親が彼氏を連れて家に帰ってくるようになって、あなたの中ではより一層の寂しさとともに、嫌悪感が芽生えたのですかね。自分には向けない眼差しや、母親の女性的な部分を目の前で見てしまうことは、なかなかにショックなことだと思います。
「なにより自分よりも彼氏の方が大事なんだと実感した苦しさで凄く惨めな気持ちになりました」と書かれていましたが、自分が欲しかった関心や愛情を突然現れた他人がいとも容易く受け取っているように見えたら、そんな気持ちになってしまうのは当然のことだと感じました。
当時の居場所はトイレとお風呂しかなかった、とのことでしたが、どちらも一人になれる場所であることを想像しました。逆を言えば、それ以外の場所はあなたにとって安心できる状況ではなかったことを語っているように感じました。
「当時はこれが私の中では当たり前でした」との言葉がありましたが、自分に起こっていることが何なのか分からないまま、絶え間なく襲ってくる孤独感と必死に戦っていたことを想像しています。
中学校に上がってからは、これまでの我慢や寂しさが「怒り」になって少しずつ外へ向かっていったのですかね。母親への反抗は、ずっと抱えてきた苦しさに気づいてほしいというSOSサインでもあったように感じました。言葉にならない複雑な思いを一蹴されてしまったことは「地の底に落とされた気分でした」と書かれた通り、この上なくつらい瞬間だったと想像しています。
父親と暮らすようになっても、返してくれるとはいえ金銭的な搾取があり、あなたが一生懸命働いて得たお金をどうして渡さなければいけないのか・・私も一緒に腹を立てながら、思わず悔しさが滲んでしまいます。
いっそ怒りや恨みを思い切りぶつけられれば少しは違うのかもしれませんが、それすらもままならず、一人で葛藤を抱え続けることはなかなか苦しいことだと感じています。
なので、今回ここに書いてくれたことは他に話している人がいるのだろうか、今も父親と一緒に暮らしているのだろうかと、心配とともに気になっている私がいます。
街中ですれ違う親子に対して嫉妬心を抱いてしまうとのことでしたが、そう思ってしまうことも無理のない経験を積み重ねてきたと私は感じています。なので、あまりご自身を責め過ぎないでいてほしいなと思ってしまいます。
これまでのことを書き綴るのは、痛みを伴う作業でもあったのではないかと感じていますが、書いてみてどんな気持ちになったのか、聞いてみたいなとも思いました。
またよかったらお話を聞かせて下さい。経験談の投稿ありがとうございます。