経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

気力を失って、もう限界です

14歳です。私は親が嫌いで親と同じ空間に居たくありません。
私は物心ついた頃から母親に殴られ、蹴られ、ヒステリックに叫ばれて育ってきました。たまに八つ当たりもありますが、大抵は私が言われたことや母との約束を守らなかったりやってはいけないことをやった時に殴られます。完全に自分が悪いとわかっているけれど、「虐待」という言葉や「親が子供を傷つけていい理由なんてどこにもない」という言葉を学校で習ってもしかして私が全部悪いのではなくて言葉で言う前に殴ってくる母親も少しは悪いのではと考えてしまった小学3年生の時以来私の中学生になった今日まで続く長い反抗期が始まったように思います。それまでは殴られても親に許してもらうことしか考えていなかったけれど、殴ってくる親に初めて怒りや恨みを覚えました。諦めた方が早いし愚かなのはわかっているけれど、どうしても反抗してしまいます。母親の言うことの矛盾点や私に口を酸っぱくして言っていることを母親ができていないのを見つけた時には徹底的にそこを突き、殴られたら少しだけ殴り返し、その分を含めてさらに殴られます。そうしているうちに親への愛情も底をつきました。親も別に常時怒っているわけではなく、普通に仲の良い親子の状態のことも多かったけれど、次第にそれも無くなって怒られる時以外の会話が必要最低限になり親からの愛情が尽きたことを何となく察しました。愛情がお互い枯れたのは知っているはずなのに、殴られるたびに「私はいらない存在なんだ」と感じてなぜか体より心が痛み涙が出て常に思っている死にたい気持ちが特に強くなります。最近ではついに母親に「あんたなんて生まれなければよかったのに」と言われ、それに対して私は「勝手に産んだのはそっちでしょ、私のせいにするつもり?」と返し強がりましたが、自分の部屋に帰ってまた静かに泣きました。いつも私が目の前で殴られても見て見ぬふりでパソコンに向かい週末も家で仕事をしている父親にも「義務教育だから家に置いてやっているが、そんなに嫌なら中学卒業後家を出ていけ」と言われました。私は偏差値の高い私立で中高一貫、大学もついている結構名の知れた学校に通っています。それで学費も安くはないこともあり、金をかけるくらいなら反抗的な娘にいなくなって欲しいのだと思います。

私が反抗的になった原因の一つに6歳差の優秀な大学生の姉の存在があります。姉も私が物心つく前から殴られていて、それを見て私は成長しました。姉はクールであまり表情を変えず、物言いも少しだけキツイですが、私が困っていると助けてくれるしできる範囲で親を諌めたりして守ってくれるし小物などのプレゼントもよくくれるし勉強も教えてくれます。なので私が自他共に認めるシスコンになるのはもはや必然的ですらあります。私はそんな優しくて大好きな姉が殴られることが許せず、姉が親に怒られていたら親の間違いを指摘したり気を逸らしたりしました。時間が経つにつれて姉は親への対応の仕方や宥める方法などを学んで世渡り上手になり、今ではほとんど怒られることはありません。でも、私の中の姉が殴られていた記憶は決して消えていないのでそれも親を憎む理由の一つです。

親から受けた影響は学校にもあります。この前友達と話した時に「私今何を考えてどんな発言したっけ」とふと思ってから何も考えず無意識にキャラに沿った回答をしていたことを認識して、初めて自分が学校で何も考えず、ただ自然に、完全に演技をしていることに気づきました。そして家での素の自分はあんなに卑屈なのに今まで学校でも習い事でもどこでも友達がたくさんできていたのは昔から1人の時以外家でもいつも親の影響で自分に自信がなく自分と正反対のとても明るい人間の仮面をかぶって生きていたからだということにも気づきました。それと同時に深い孤独感を感じました。完全な素で話した友人も心から信頼できる人もいない。私には心から大切に思える人も思ってくれる人もいなかったということです。

最近ではいつも体も心も鎖で縛られて鉛がついたように重く、頭痛もデフォです。誰かに相談したい気もするけれど、警戒心も強いし素の卑屈な自分を見せられる程信頼している大人もいません。また、小3のときに軽く担任に相談してみたけれど少し話を聞くだけで何もしてくれなかったことも大人を信頼できない理由の一つです。それに相談したら私の中学校の先の大学に通う姉の生活に支障が出るかもしれないことも理由です。正直親の死を願って殺す想像をするこんな汚い心を持つ私に生きている価値はないし解放されるためにも死にたいと思っています。それでも毎日命を削って死ぬ気で生きています。なぜなら私はプライドが無駄に高いので死ぬのは情けないしそんな情けない死んだ姿を友達や親族に恥ずかしくて見られたくないからです。あと、私は数週間後に好きな漫画の展覧会に友達と行くし、今年迎える中3の夏に友達と一緒にニュージーランドへ留学もするし、中学校の卒業式に祖母にもらった袴も着たいし、成人式で振袖も着てみたいし。そんな明るい未来を考えることで極力視野が狭くならないよう、親へのストレスにだけ気を取られないよう頑張って生きてます。でも、家にいるといつもネガティブになってしまうし楽しいことや好きなことを考えても焼け石に水な気もして限界です。早く親との縁を切りたいけど大学を出た方が有利になるとわかっています。というかそもそも大学生や社会人になる前に死ねば関係のない話ですが。死にたい気持ちだけで最近は完全に無気力、何事も深く考えられません。課題も上手くこなすのが難しくなってきました。こんなのでこの先何年も生きていけると思えません。もう疲れました。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございます。
一読して、14歳の投稿者さんに今どんな言葉が届けられるか考え込みました。
物心ついた頃から母親に傷つけられ、お姉さんを守り、父親には見て見ぬふりをされてきた投稿者さんの負った痛みや怒りがどれほどのものなのか。投稿者さんが負った傷口から燃えさかる炎を見るような、そんなイメージが浮かびました。
投稿者さんは「完全に自分が悪いとわかっている」と書いていましたが、子どもが言ったことをしなかった、約束を守らなかった、やってはいけないことをやったから子どもを傷つけるというのは、それをする大人が間違っています。だから、小学3年から投稿者さんが持った反抗心は、当然芽生えるべくして芽生えたものだと、私は思いました。その反抗心が家の中で生き抜く術だったのだろうとも思います。
それでも、愛情が枯れたと思う親に傷つけられる度に投稿者さんの心が痛みを感じていることに、苦しくなりました。私も親を諦めてずいぶん経ちますが、今でも時々、親に丸っと存在を認められたかったな・・・という思いが過るときがあります。親子ってやっかいな関係性ですよね。どんなに嫌いな親でも、学費や衣食住を握られていると、子ども側はどうしても弱い立場になってしまう。反抗心を持ちながら、どこかで従わざるを得ないようなところもある・・・とても苦しい立場だと思います。

そんなストレス過多な家の中と、学校という社会の中で、投稿者さんが仮面を使い分けて生きるのも無理のないことかと思いました。想像するに、投稿者さんが生活する家の中では、ハリネズミが身を守るために体を針で覆うように防御しなければならなかったのではないでしょうか。学校で同じように針を立てたままでは学校でもストレスフルになってしまう、だから無意識でもかぶれる仮面を用意した、それは投稿者さんが学校という社会の中で生き抜く術だったのではないかと思いました。その生き方は孤独で、そして孤高であるように感じます。それが投稿者さんの持つプライドにつながっているのかなと勝手に想像しています。
頭痛などの身体症状も出ている様子なのが気になりました。身近なところでスクールカウンセラーなどに少しずつ相談できたら・・・と思うのですが、大人を信頼できない気持ちもわかります。信頼してもらえるような行動を取っている大人が少ないのだと思いますし、私自身中学生の頃に「身近な人に相談したらいいよ」と言われて素直に相談できたかと聞かれたら、きっとできなかったと思うので。大学を出た方が有利になるという考えもとても理解できますし、お姉さんのこと、友だちと行く予定の漫画の展覧会、ニュージーランドへの留学などなど、行動することの影響を考えつつ、少し先にある楽しみを投稿者さんがいまを生きる力にしているのだろうなというのも想像できます。ただその反面で、投稿者さんが限界感や無気力感を感じているのも心配です。私が人に相談できたのは、大人になって、にっちもさっちもいかなくなってからでしたが、その経験から言えることがあるとするなら、「傷の手当ては早いほうがいい」です。ただ、投稿者さんのようにまだ保護者の庇護を受ける立場とされる未成年が、必要な手当に単身で辿り着く難しさはこの世の中にあるように思います。投稿者さんの少し先を生きる人間として、とても申し訳ない気持ちです。
この経験談では、「大人を信頼できない、家では卑屈」な投稿者さんのまま言葉を打ってくれたのではないかなと思っています。私は、投稿者さんの思うままの言葉を届けてもらえてよかったと思いました。こんな経験をしながら生きているあなたの姿を知ることができたから。私は知ることは、何かが変わるときの初めの一歩だと思っています。もし良かったらまた、今を生きている素のあなたの姿を知らせてもらえますか?焼け石に水でも、ここで言葉を形にすることが、投稿者さんが生きるための何かにつながることを願っています。

感想2

長い時間をかけてあなたの中に溜まっていった苦しさ、孤独感、そして葛藤する思い…それでも何とか前に進もうとする力が入り混じっているような文章だなと読みながら、あなたの中にあるパワー(地力の強さ)を感じています。タイトルにある「気力を失って、もう限界です」となるのは無理もないよ…と心の中で思わず呟いてしまいました。
親に対する怒りや失望は、単純に「反抗期」というよりかはこれまでの経験で積み重ねられた結果で、それがただの親子のすれ違いでは片づけられないほどの深さがあるのではないかなと思いました。学校で情報を得た小3の頃から、あなたの世界の見え方は大きく変わったのだと思いますし、それまで無条件に信じていた親の“当たり前”に疑問を抱き反抗が始まったのは、反発ではなく「自分の尊厳を守るための抵抗」だったのではないでしょうか。殴られることを受け入れるのではなく、それに怒りを持つことは、本来なら自然な感情ですが、でも、それが許されない環境で育ったからこそ、反抗するたびに自分の存在が否定されるような気持ちになり、余計に心が傷ついていく…この矛盾が、あなたを長く苦しめてきたように私は感じました。
読んでいて印象的だったのは「親も別に常時怒っているわけではなく、普通に仲の良い親子の状態のことも多かった」という一文で、親(本来子を守るべき大人)に理不尽に傷つけられてきた人の複雑な感情が表れていると感じました。殴られたり罵倒されたりする一方で、ふとした瞬間には普通の親子のような時間もあり、そのギャップが、親を完全に悪者にしていいのかどうか、自分の感じていることが本当に正しいのかどうかをわからなくさせているのではないかと思ったのです。私自身も、親からハッキリ虐待とは言い難いですがかなり精神的に蝕まれてきたので、あなたのように親に対して怒りや強い感情を抱きつつも、自分が悪いのかもなどと相反する感情が自分の中には存在しているので勝手ながら共感を覚えています。確かに自分の中には明確な感情があるはずなのにそれを受け止めてもらえなかったり、それを上回る感情をぶつけられることのほうが多いことで抗ってはいるものの結局は強力なもので押し潰されてしまっているようなイメージが浮かんできて、親の言葉に強がって返したものの「自分の部屋に帰ってまた静かに泣きました」という一文に本当はそのままの存在ごと認められたい、そんな悲痛な思いが込められているように感じ(違っていたらすみません)、自分までなんだか悔しい思いで胸が詰まる感覚になってしまいました。
お姉さんのことやそのほかのことを考えると、相談するということ自体に不安を感じてしまったり抵抗感があるかもしれませんが、こうして思いや考えを言葉にすることで少しでもあなたの中で整理ができたり、違う視点から見えてくるもので視野が広がるようでしたら匿名で相談できるSNS相談もあるのでそういったものを活用するのもありなのではないかなと思ったりしました。
あなたの抱く生きづらさは、決してあなた自身の問題ではなく、絶対にこうだとは言い切れないところもありますが社会の仕組みや家庭の環境が作り出したものからくると私は思います。親から逃げる手段が限られ、支援を求めても「大したことない」と見過ごされ、相談する相手もいない…だからこそ、今のあなたの苦しみは、社会がもっと真剣に向き合うべき課題だと思いますし、私自身も自らの経験からそうなってほしいと願っていますしこの社会で生きる一員として考え続けたいことだと改めて感じました。
心があまりにも傷ついたとき、人は「何も感じない」ことで自分を守ろうとするものだと思うので、課題がこなせなくなるのも、深く考えられなくなるのも、それはあなたのせいではなく、心が限界に近づいているというサインなのだと思います。難しいことは承知の上で、今はとにかく心を休める時間をなんとか確保してほしいですし、あなたにとっての心の休息場の一つとして死にトリがあれたらなと思いました。またよければいつでも思いを置きにきてください。お待ちしています。

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