経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

50代以上の安楽死、数万円とかで許可して

50代、女性、子供なし、離婚歴あり
こんな風にきっと、カテゴリーわけされて、意味のない人間だとされる、私の人生。
もう、疲れたので、最後ぐらい安らかに死にたいのです。
人のためにと頑張って働いて、23時30分終電ギリギリまで働いて、朝8時30分出社して、数年で鬱になり、退社。その後もなんとか、今の会社に入っても、45才物覚えが、わるいとか、覇気が、ないとか言われて、資格を取れる部署は若い20代しか入れてもらえず、5年勤めてしまいました。
絶望しかありません。
労働人口が~とか言うけど、奴隷がいなくなったら困るってだけでしょ。
頑張って働いた事しか思い出せない、人生が苦しい。でも、50才では転職も出来ず、部署異動もさせてもらえない私は、無能扱い。山程の雑用をこなすのに時間におわれ、若い子達には嘲られ…苦しいのです。
最後ぐらい、苦しくなく眠る様に、やっと開放されると思いながら死にたい。
どうか、50代以上の安楽死、認めてもらえませんか?

感想1

投稿を読ませてもらいました。
投稿者さんがいかに自分をすり減らしながら頑張ってきたか、そしてその頑張りがいかに尊重されず消費されてきたかが文章から感じられて、投稿者さんの『死にたい』気持ちがひしひしと伝わってきました。
自分は「消費されたくない」「使い潰されたくない」と感じる一方で、そうならないためには「消費する」「使い潰す」側に回るしかないように思えてきて、今の働く場にはどこにも自分の居場所がないように感じてしまいます。そうするとやっぱり『死にたい』に帰結する他なくなってしまいますよね……。そうしたやりきれなさを誤魔化すための言葉が「やりがい」なのかな、なんて個人的に思ったりします(そして、平気な顔をして働いている人たちの中にも騙し騙しやっている人がそれなりにいるのではないかと疑っています)。
投稿者さんのお話を聞かせてもらって、やっぱり(今の世の中では)働きたくない、だからといってそのために死を選ばされるのは癪だ、という気持ちが自分の中で生まれつつあります。じゃあそれ以外の選択肢……が今思い浮かばないことに申し訳なさがあるのですが、ここでみなさんの経験談を読ませてもらいながら、もう少し頭を悩ませてみようと思います。
最後になりますが、経験談の投稿ありがとうございました。よろしければまた投稿お待ちしています。

感想2

「自分の」ではなく、「50代以上の」安楽死を認めてほしい、という言葉に、投稿者さんがいかに年齢で括られて苦しんできたかが伝わってくるように思いました。そして、今の社会がいかに年齢やカテゴリーで人を括ったり、無碍に扱ったりしているのかと思うと、自分がこれからその年代に突入していくことへの不安、社会に対する絶望感がどうしても湧いてきてしまうな…と、やるせない気持ちになっています。
やる気があれば、スキルがあれば、という言葉を聞くことも多いですが、投稿者さんのように懸命に働く行動力と意欲を示しても、汲み取られない現状があることがもどかしいなとも思います。人をカテゴリーで分けたり、嘲ったりして、一体誰が幸せになるのでしょう…。
職場によっては違うのかもしれないと思いつつ、一方で最初に書いたような風潮を感じざるをえなかったりすると、転職しようと行動したり、そこで気力を保ち続けるのも、どうしたって疲れてしまうよなあと感じました。
働き方が多様になっていくだけでなく、働く人の多様さ、「働かない」「一旦休みたい」ということの多様さも、認められる世の中になってほしいと思わずにはいられませんでした。
投稿ありがとうございました。

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