経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

受験をリタイアしたい

はじめまして。拙い文章ですが、最後まで読んで頂けると幸いです。
私は今年受験生なのですが、勉強する時間が周りの子やクラスメイトより少ないと思ってます。勉強時間の確保が難しく、学校も忙しいので自分だけの時間があまりないのです。

私は学校ではいわゆる「優等生」という立場だと思ってます。生徒会や委員長、そして部活を卒業するまでは部長もしていました。休み時間はその担当の仕事や部員の割り振り、呼び出し、話し合いをしてました。

正直とてもしんどかったです。

私にとって休み時間は、授業終わりのわずかな時間ではありましたが友人との憩いの時間だったし、大切なものでした。
しかし毎度毎度呼び出し、話し合い、委員長や部長の集まり…と呼ばれ、とても休み時間とは言えない学校生活を過ごしていました。
家から帰るとその疲れで寝てしまい、勉強がろくにできないのです。
また私は、週2日介護のお手伝いに行っており、主にご飯の用意、片付けを担当しています。
喉を詰まらせないか、ちゃんと食べれてるかなど見張りつつも食べなければならないのでいつも少しだけ雰囲気がぴりぴりしています。
食事の時間も私にとっては楽しみな時間です。しかし全く楽しみではありません、むしろ憂鬱です。
友達にこの話をすると「ヤングケアラーじゃないの」と言われたりするのですが、正直ピンと来てません。
この生活を4年ほど続けているし、他にももっと辛い人がいると思えば私がヤングケアラーだと思うのは烏滸がましいと思うのです。
こんな生活を毎日していると勉強時間が取れるはずもなく日々ストレスが溜まっていく一方です。
私はまだ合格ラインに達してません。まだまだ足りません。
そう思うとやらなきゃ、手を動かさなきゃと思うのですが全く動かないんです。机に向かう気力もないし、モチベも上がらない。燃え尽きてしまっているのです。

この文章を書いている今も、周りの子にどんどん抜かされて、私だけ孤立しているような気がして涙が出そうで。

親の期待も重いし、学校のクラスも友達と離れて最悪だし、もう受験生やめたいです。
勉強しなきゃいけないくらいならしんだほうがマシです。

拙い文章ではありましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。

感想1

あなたが様々なものに追い立てられ強く疲弊している状況を感じました。それでもなお「他にももっと辛い人がいると思えば」といった形で周りとの比較があなたの思考に入り込んでしまう中で、我慢がたくさん積み上げられてきたことを想像しました。それは、そんなふうに処理する以外に、大変な状況をカバーできるものがなかったということなのかなと思っています。

私が子どもの頃はヤングケアラーという言葉がそもそもなかったのですが、大人になって思い返せば、私はケアラーでもあったと思っています。それは私の存在の100%がヤングケアラーであったということではないけれど、数あるラベルの一つではあったんだな、みたいなイメージです。
本来そういう言葉は、しんどさを比較して強い方に与えられるものではなくて、状況のむずかしさに名前を与えることで可視化する役割を持っているのだと思います。
読んでいて、あなたの状態はヤングケアラーと言っていいだろうなと私は思いました。こども家庭庁のサイトにも「ヤングケアラーについて」というページがありますが、その項目に当てはまることが「ヤングケアラー」のひとまずの定義になるかなと思います。でも、それを何年もこなして生きてきたあなたが「ヤングケアラーだ」と言われても、うまくうけとれないのも自然なことのようにも感じました。

学校でも家でも、あなたはずっと周りの期待に応え続けてきたのかなと思います。でも期待はあなたを気遣ってはくれなくて、どこまでも期待は更新され続けられるような状況もあるのかなと想像しています。また、その中で、あなた自身のあなたに対する期待も周りからの期待の影響をたくさん受けているのだろうとも思いました。
頑張って優等生で生きてきていると、綱渡りみたいな感覚になってしまうこともあるのかなと思いました。「一度でも落ちたらすべてが終わってしまう」という恐怖が私は学生時代に強くあったのですが、そう思わせるものってなんだったのだろうなぁと今になって思います。
タイトルに書いてある受験をリタイアしたいという気持ちは、大事な感覚のようにも思いました。受験はリタイアするかしないかみたいな二項対立でもないと思いますが、この言葉はとにかく「疲れた」「休みたい」という叫びみたいに感じました。
人間は哺乳類の生き物なので、栄養と休息が生存の最低限のベースなのですが、現代社会は自分も周りもなんとか誤魔化して、休みを減らして頑張るべきという価値観が強いなぁと思います。そもそも「疲れた」という感覚にも私はなかなか気づけなかったのですが、あなたももしかしたらそういう面があるのかなと思いました。
受験生、やめてみるのもいいと思いますし、期待をぶち壊してみるのもいいと思います。友人との時間や一人で勉強もせずにいられる時間など、あなたにとって安らげる時間が増えることを願っています。

感想2

生徒会、委員長、部長と責任のある立場の中でリーダーシップの力もある方だと感じました。立場も相まって、弱音も吐かずにここまで頑張ってきたのではないかなとも想像しています。特に憩いの休み時間すら、あなたの思うように過ごせないと言うことが何度も続いたり繰り返されることのストレスは、人知れずどんどん溜まって大きくなっていっただろうなと思います。

ただでさえ学校の中でへとへとなのに、介護のお手伝いの日はより気持ちもいっぱいいっぱいになってしまうだろうなと感じました。受験のシーズンになり、周りも本腰を入れる中で休み時間の雰囲気や友人との会話も違ってきているだろうし、周りの雰囲気からどんどん焦るような気持ちになることもきっとありますよね。。

勉強しなくちゃという気持ちと、時間にも心にも余裕がなく思うように勉強ができない状況との矛盾に、とても辛い心境になっていることもよく伝わってくるようでした。「燃え尽きてしまっている」と言う感覚もあなたの中にあるようですが、それはあなたの心身が強制的にシャットダウンして、あなたを休ませようとしている働きでもあるようにわたしは受け取りました。そのくらいギリギリの中で頑張ってきたと言うことなのかもしれません。

例えば、もう少しあなた自身の時間を増やすために、介護のお手伝いを辞めるか、せめて受験が終わるまでお休みか週に1回などにしてもらうなどはできないだろうかと考えてみたのですが、それは難しい状況なのでしょうか。。もしまだ相談などができていなかったりしたら、相談してみてもいいのかな、と思います。(家の中での負担があったら、それも相談して見てあなたの負担が受験の時期だけでも軽減されるといいなとも思います。)

あなただけが頑張るのではなく、あなたが必要なことに対しても周囲が支援やサポートしてくれるような形を考えあったり、話し合ったりできる関係だったらいいなあと。もしあなたが相談をしても、一方的な意見を押し付けられたり、改善策を考えてもらえずに環境が変わらないのだとしたら、それはあまりに一方的ではないかな、とわたしは思います。

1日が24時間や、自分が一人では足りないような気持ちになるなあと。。1日が48時間で、自分が2人いればやり切れるのになあ、と思うことも度々ですが、なかなか叶いませんね・・。今の自分ができる分だけと、バランスをとりながら生きていくのは難しいなあと思います。最近わたしは自分がやりたいことを優先して、しょっちゅうお風呂をキャンセルするようになりました。お風呂に絶対入らなきゃと思っている頃よりは、時間にも気持ちにもゆとりがあるようにも思います。

体は一つ、有限な時間の中で、休みたい、勉強がしたいというあなたの気持ちをより大事にするために、どんなことができるだろう?一緒に考えてみたいなと思いました。

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