経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

親子関係、生きる意味だった勉強

母は特別支援学級の教員をしています。小学校です。
父も小学校の国語教員です。今は関わることがないので、続けているかは分かりません。

母は幼少期から、よく癇癪を起こす私を疎ましく思っているようでした。
幼少期の記憶はあまりありませんが、当時飼っていた金魚の餌を床に落としてしまったとき、母から「私のクラスの子たちと同じように扱えばいいのか」「怒らないで優しく諭せば満足か」というようなことを、繰り返し叫ばれた記憶は今も鮮明です。まだ小学校にも上がっていない年齢でしたが、その時点で、母は私が普通であることを望んでいること、そして私は母の望みどおりには振る舞えないのだということを理解しました。
その後も幾度となく「おかしい」と叱られ、そのたびに、母の望みを叶えられないことや、自分がいかにおかしく普通ではないのか、いかに悪い子どもなのかを認識していきました。

今では発達障害の傾向があると診断されていますが、当時は普通になろうと必死でした。
母親に好かれたい、認められたい、褒められたい、抱きしめてほしい。今でも諦められていません。
ふとフラッシュバックして、当時の気持ちのまま声を上げて、「褒めてほしかったよ、一回でいいから大事って言われたかった。思わなくてもいいからそうやって言ってほしかったよ、ぎゅってしてほしかった。」と泣いてしまうこともあります。
いつになったら諦められるのか分かりません。一生このまま、今さら関係が改善したとしても、もう戻ってこないあの頃の私が、ずっとずっと抱きしめてくれるお母さんを求めて泣き続けるんだろうか、という気持ちさえしてきます。どうしたって大事に思ってほしかった。いい子になりたかったです。苦しい。

父親は昔から育児にあまり関わらない人でした。休日にたまに、家の前でキャッチボールやサッカーのパスをして遊んでくれるくらいでした。
仕事から帰ってくるとお酒を飲み、酔っ払っては私たちを叱りました。
下に弟が二人いるのですが、父に夜中に髪を引っ張って起こされ、その二人が壁に描いた落書きをひとつひとつ見せられて回り、その分だけ叩かれました。誰が書いたかは関係なく、家では兄弟でいちばん年上の私に責任が偏っていました。
弟たちは家事を手伝うとお小遣いがもらえるのに、毎日手伝っている私は、やってもお金はもらえないし、やらないと叱られることもありました。
女だから嫌われているのか。扱いが違うのか。いちばん上だから弟たちよりも責任が重いのか。それともただ単に私が嫌いなのか。いろいろ考えましたが、答えは出ませんでした。
性別が男の子だったら、もう少し母もこちらに構ってくれるだろうかと思ったこともあります。それが原因なのかは分かりませんが、今でも私はスカートが履けません。胸の膨らみがすごく嫌いです。生来のものなのか、「男の子だったら親にもう少し好きでいてもらえたのかな」という執着から来るものなのかは分かりません。ただ、女性らしさというものが、とにかく嫌でなりません。

小学四年生の頃、精神科に連れて行かれました。
母は、おかしい私が嫌いでした。泣き喚いて嫌がったけれど大人の力には勝てず、引きずられて連れて行かれました。
知能検査を受けさせられ、隣で母が私の悪口を言うのを黙って聞いていました。長い間、「ああ、母はこんなに私が嫌いだったのか」「こんなにおかしいと思われているのか」と、ぐるぐる考えながらじっと黙って座っていました。
いつまでも終わらない私に関する否定的な話に耐えられなくなり、病院を飛び出して家まで歩いて帰りました。道も分からなかったので、不動産屋に入り地図を見せてもらったことを覚えています。
それでも連れ戻されたので、母がこれ以上私を嫌いにならないように、いい子でいようと思いました。母が望む振る舞いをする努力をして、母が嫌った私の行動を、自分の口で医師に説明しました。
苦しかったです。死にたいと思いました。
学校ではいじめがあり、家庭では家事をしないと叱られ、弟たちとの扱いにも大きな差がありました。
母は、知能検査の結果を友人に自慢げに話していました。全検査IQ121、言語理解127。大人になってから知りました。何度も自慢していたみたいです。私のことは嫌って褒めもしなかったのに。スマホばかり見て私のことなんて見ようともしなかったのに。
私はそれまでずっと、学校でも規律を守り、規則正しく「いい子」でした。
でも、親も見てくれないし、学校では「ぶりっ子」「いい子ちゃんぶっている」と言われていじめられるので無駄でした。
そこから生活リズムも崩れていき、遅刻ぎりぎりで登校するようになりました。
いい子でいても意味がなかったからです。悪い子になっても、何も変わらないからです。

小学五年生のとき、父親を怒らせて足首を持って逆さ吊りにされ、全身を叩かれました。
それ以降、父親に対してひどい恐怖を抱くようになり、食事も安心して取れなくなりました。
中学に上がると、恐怖心はさらに悪化していきました。食事はおろか、同じ空間にいること自体が耐え難い恐怖と苦痛に感じられ、入浴も父親が寝たあと、日付が変わってからシャワーで急いで済ませるようになりました。朝も父親が家を出てからようやくリビングに出て準備をしていました。食事を規則正しく取れなくなり、だんだん一日に食べる量と回数が減っていきました。その頃から心身の状態を大きく崩し、後に双極性障害の診断を受けることになります。
不眠とストレスでひどい抑うつ状態でした。死ぬことしか考えられず、体は動かず、変な呼吸ばかり繰り返し、勝手に流れる涙の止め方も分かりませんでした。人生最大のピンチだったと思います。入院も提案されましたが、親が拒否していたそうです。少しでも楽になるのなら、なんだってしたかったです。苦しかったなあ。

中学も後半、ちょうど二年生の後期から、うまく学校に通えなくなり、不登校になりました。
親がすごい剣幕で叱るので、「どうにかして学校に行かなきゃ」とずっと思っていました。玄関で靴を履こうとするだけで座り込み、ドアノブに手をかけるだけで涙が出ました。家を出ても道が分からなくなり、「学校に行かなきゃ」という思いだけが先行して、頭がパンクして動けなくなりました。30分もかからない通学路を、3時間かけて歩きました。ずっと泣いていました。

三年生に上がってすぐ、父親が家を出ていきました。
夫婦仲も良くなかったそうで、話し合いを重ねた結果、父親が家を去ることになったそうです。
その後しばらくして、毎晩泣いていてうるさい、学校に行かないなら死ね、などの言葉を毎日かけられるストレスから様子がおかしくなったのでしょうか。精神科に連れて行かれ、上記の診断を受けました。その頃の記憶は本当に曖昧で、なぜ連れて行かれたのかも、どんな生活をしていたのかも覚えていません。記憶力には自信があったのですが、思い返すと中学二年生あたりから急激に記憶力や思考力が落ちていった気がします。
その頃いちばんつらかったのは、勉強ができないことでした。
受験生だったのに勉強がうまくいかなくて、何をしていても「もっと頑張らなきゃ」という考えが頭を支配し、他のことを考えられませんでした。お風呂場でシャワーを首の後ろに当てながら、俯いて、止まらない思考にぼーっと泣いてばかりいました。
そのうち病院で「勉強をしないでほしい」と医師に言われ、自分の唯一の価値だと思っていた勉強ができなくなりました。
ずっと、私には勉強しかないと思っていました。勉強はすごく楽しくて、大好きでした。
だから、「勉強をやめてほしい」という言葉が強い否定に聞こえて、「生きている価値がない」と思うようになりました。
結局、親が探してきた通信制高校に、作文だけ書いて入学しました。
担任の先生からも「県でいちばんの公立高校に行ける」と太鼓判を押され、すごく期待してもらっていたので、ひたすらに悔しかったです。
高校は無理なく通えましたが、授業のレベルがお世辞にも高いとは言えず、意味を感じられなくて、授業にはあまり出席しませんでした。

大学進学のタイミングで受験勉強に意識を向けすぎたらしく、再度、勉強にストップがかかりました。不覚!
中学時代に止められて以降、きちんと勉強していなかったので、また調子を崩すかもしれないという恐怖心もあったと思います。勉強が悪いから止められたわけではなく、脳や体を休めるために、セーブしやすいからという理由で勉強について指示があったことは理解していますが、それでも勉強が大好きだった私にとっては苦しかったです。今は少しずつリハビリという形で、一日30分からのように決めた時間内で勉強をやめる、というすごく地道なところから再スタートしています。

そして、今は実家を離れ、基本的には知人の家で過ごさせてもらっています。
親との関係は改善しましたが、いまだに昔の母の印象が強く、発言の裏を考えて怯えてしまうなど、言葉を素直に受け取れないでいます。
時間をかけて、ゆっくりと、母とだけでも和解というか、普通に、親子として会話ができるようになればいいなと思っています。
思春期に親が一人しかいないせいで反抗対象が私になっていて、かなりの嫌がらせや暴力、暴言があった弟も、今は少しおさまってきたのかな、という感じがするので、実家に顔を出してみてもいいかもしれないなと思いました。

私の人生や思考みたいにめちゃくちゃな文章で、読みづらそうで申し訳ないです。
すごく悲しかったり、苦しかったり、つらい思いをしてきましたが、書いてみると、そんなに悲観することでもなかったのかな、とも思いました。
でも、自分の死にたいほど、泣いてしまうほど何度も思った「つらかったよー」の気持ちは大切にしたいです。

感想1

子どもが親(養育者)の影響をたくさん受ける状況がある中で、あなたはあなた自身を否定される経験をあまりにもたくさん受け取ってきたことを感じました。個人的には、ふたりとも教員という仕事に就きながら、子どものさまざまな在り方を肯定できる感じではないことにもショックを受けているのですが(実際学校を見ていても、そういう教員はすくなくないとは思いつつ……)、あなたにとっては家にいる大人であり環境そのもので、それがあなたを理不尽に抑圧し否定するのは逃げ場を奪われることだと思いました。

「私のクラスの子たちと同じように扱えばいいのか」といった言葉からは、すさまじい能力主義と差別意識を感じて、あなたの母をそんな考えに固執させるものは一体なんなんだろうと気になりました。「いい子になりたかった」と書いていたけれど、あなたの母が求めていたのは、いい子というより都合のいい子なのではないかと思えてなりません。また父親に責任を取らせられるのも自分だったと書いてあり、そこにも、なにか一般的ではないルールがまかり通っている状況があったように感じました。
両親の二人も連携できているわけではなく不仲な状況があったのかなと思うと、本当なら、あなたの家庭には第三者からの視点とサポートがあったらよかったのかなと思ったりしています。でもきっと母親さんは(もしかしたら父親さんも?)世間体や恥の感覚に敏感な人だったのかなと思うと、サポートを受け取ることのむずかしさが何重にもなってしまっていたのかなとも想像していました。

私自身も発達障害の診断を受けていて、言語理解が比較的高めタイプです。そして親もおそらくかなり発達特性のある人たちなのですが、親世代を見ていると、自分の特性を自分にも周りにもわかってもらうことなくなんとか生き延びてきて、むしろ特性で困っている人に厳しくなってしまう場合があるのだなぁと感じています。全員がそうではないし、あなたの親がどんな背景を持っているのかはわからないのですが、特性でないとしてもしんどい中で生き延びてきた中で子に不寛容になってしまうということもあったのだろうかと想像していました。

学校に行かねばならないという押しつけられたルールと、いじめやあなたの学校でのしんどさが大きな乖離を起こす中で、毎日を生きていくことはどれだけ大変だっただろうと思います。その中で勉強することはあなたの得意分野でもあり、世の中的によいとされることでもあり、すごく大事なことだったのかなと思いました。でもいろいろなことが否定される中で、自分の「価値」を見出せるのがそれだけのように思えてしまうときには、勉強とちょうどいい距離でいるのも簡単じゃなかったのだろうなと想像していました。

今のあなたは親のいる家を離れ、精神的にもすこし距離を取れているのかなと想像しています。知人の家では落ち着いて過ごせているのでしょうか。そうだったらいいなと思いつつ、そうはいってもこれまでのしんどさが簡単に解決するわけでもないよなぁ……と想像しています。
「自分の死にたいほど、泣いてしまうほど何度も思った「つらかったよー」の気持ちは大切にしたい」という言葉に心から頷きつつ、そんなふうに、あなた自身のことを考えるに至った過程にはどんなことがあったのだろうな(いろいろなことがあったのではないかな)と考えていました。気持ちを解決することがあなたの目的ではないかもしれませんが、それでもあなたがしんどい気持ちになったときに、愚痴ったり、とりあえず吐き出せたりする場所があったらいいなと思っています。
網羅的な応答はできていないと思いますが、私なりに読んで感じたことを率直に書いてみました。投稿してくれてありがとうございます。あなたがこれまで生きてきて感じたこと、考えていることを、また聞けたらうれしいです。

感想2

今は母と距離を置いて、少し落ち着いて生活しているとのこと。最後の「つらかったよー」の気持ちを大切にしたいと思えるまでには、本当にいろいろなことがあったのだろうと思いました。子どもの頃のたくさんのエピソードはどれも、その頃のあなたの願いがストレートに描かれているのが印象的でした。あなた自身は「めちゃくちゃな文章」と書いていましたが、私には自然と湧き出てきた気持ちや光景が独自のリズムを奏でているような、ステップを踏んでいるようにも思えるような、そんな気持ちになりました。そうはいっても、子どもの頃に経験した数々の出来事は子どものあなたにとっては過酷なことばかりで、その中を生き抜いてきたことに心から労いの言葉を送ります。同時に、何があっても生き抜いてきたのは、あなたの何がそうさせたのだろうと考えました。それは、何度か出てきた勉強なのでしょうか。子ども時代の逆境を生き抜いてきた人から、「勉強は裏切らないから。頑張れば頑張っただけで結果が出る」と聞いたことがあります。あなたにとっても、勉強はどんなときにも変わらずそこにあり、努力をしただけ報われる、母にも認められる分かりやすく打ち込めるものだったのかもしれません。
世の中では親子というのは特別な関係であり、いい関係でいなければならないとか、関係性が何かと問われることがありますが、私は親子であっても、しょせん自分とは別の人間との関係で、他の人間関係と同様に相性があるだろうと思っています。子どもの頃のあなたのエピソードを見ると、もっとも身近な特別な大人である母に認めてほしいと願う子どものあなたのシンプルな願いと、母が想定するいい子のイメージとは合わなかったあなたの個性のミスマッチが大きくあったように思えました。子どものあなたの認識では、自分は母が望むようないい子ではなく、普通ではないなど、子どものあなたが悪いような理解をしていたのかもしれません。でも、私は子どもを一人の権利主体として考えたときに、子どもの頃のあなたは個性豊かに懸命に生きた一人の子どもであり、否定される存在ではないと思います。しかし、残念なことにまだまだ日本では子どもの個性を大切にしたり、のびのびとした子どもの自由なその子らしさを尊重するより、大人が思い描くようないい子(大人にとって都合のいい子)になるよう適応を迫られる場面が珍しくありません。あなたの母が望む子どもがどのようなイメージだったかわかりませんが、子どもの願いを受け止めずに、一方的に理想を押し付けてダメ出しをするのなら、それは子どもの問題ではなく、大人側の問題だと私は思ってしまいます。あなたの母もそれなりの事情があるかもしれないと想像しつつも、子どものあなたが悪くはないことだけはどうしても伝えたくなります。
最後に、あなたがこの先、どんな道を歩もうとしているのか気になります。大好きな勉強は学生時代に限らず、いくつになってもできると私は思いますし、これからの人生でもあなたの糧になるかもしれません。親子関係もそれぞれで、変化があるのも自然ですから、距離や関わり方を選ぶこともできます。どちらにしても、この先もあなたのリズムとステップで歩むのだろうと私は思いました。また、いつでも思いを綴りたくなったら書いて送ってもらえたらと思います。

一覧へ戻る