冬が終わるころに緊急入院、夏の始まりに手術したら、術後合併症で再入院を経験した。さすがに堪えた。
繰り返す可能性があると医者に言われたが、とりあえず初回は悪性ではなかったのが不幸中の幸いだったと思いたい。
この経験で得たことは、他者から受けた優しさとか言いたいが、社会が要求する「普通」に付き合わないとこの社会では生きてはならないという強迫である。
薄々は知っていた。少しずつ世の中は良くなっていると信じていた。ただ実際は違っていたようだ。
平凡な男性のように健康的な体を持ち、多様性とかいう言葉に救われる必要のない単細胞な性格だったらどれほど楽だったか。
女性がエンジニアとして働くことの限界を薄々気づきつつある中での入院となったが、この強迫概念と一生付き合わないといけないなら、人間をさっさとやめたほうが合理的である。
メールマガジンの配信停止みたいに実行できれば楽なのに。
退勤後ぐらい、週末ぐらいは仕事のことを考えたくないが、不安でたまらない。
ふと私を痛めつけてきた男らの顔が浮かびやがる。
いつだって私に加害・搾取してきたのはお前たちだ。お前たちの死に様を見れないと私は死ねない。
ただそうやって怒りをエネルギーにするのは体に悪い。もしかしたらこの怒りで体を壊したとすら思うほどである。
無論、これらの思想を近場にいる生身の人間に話したことはない。頭がおかしいと思われるのはわかっているからだ。
友人と呼べる人間はいたのだろうか。わからないが話したことはない。家族にももちろんない。
そういえば愚痴を吐くのは生産性がないのでほとんどしない。
これも原因かもしれないが、私の仕様にはないため、体内に蓄積されてまた何かしらの形で発露するかもしれない。
ああ、それに怯える日々も始まったのか。受難なのか地獄なのか。人生が長すぎる。
感想1
冬からの出来事は、これまで努力や能力でサバイブしてきたあなたにとって、それでもままならない状況を突きつけるようなものだったのかなと想像しながら読みました。当たり前に頑張れば報われる世の中がいいし、いろいろな理由でみんなと同じように頑張れなかったとしても、大丈夫で生きていける世の中がいいと私は思います。でも、全然そうじゃない2026年の現在。よくなっているとしても、あまりにも遅々としていて、揺り戻しも続く中では絶望に傾く気持ちもかなりあります。
加害や搾取の中で歯を食いしばって耐えるようなことは、やはりあってはならないと、あなたの文章から改めて考えています。私自身振り返るとシス男性から傷つけられた経験が多く、自分自身の男性不信・嫌悪の感覚にどう付き合っていけばいいのか、困惑することが多くあります。(本当は属性の問題ではないのに、とも思います。)怒りは大事な感情だけれど、あなたも書いている通り怒りに焼かれることは体に悪いと感じることも多くあります。だからといって、自分の中だけで片付けるなんてあまりにもやりきれないとも思います。
「愚痴を吐くのは生産性がないのでほとんどしない」という文章がとても印象的で、あなたは「生産性」を重視することを深く刻みつけて生きてきたのだろうと感じました。たしかに愚痴は生産的ではないかもしれないけれど、パーツではない個人の感性を取り戻す試みとして、大切なことのようにも思います。「仕様にはない」とありましたが、この経験談はとても内省的で、あなたがあなたの心やあり方を探ろうとしているような感じもしました。それをここに送ってくれたことも生産的ではないとしても、大事な、ありがたいことだと私は思っています。
障害者運動やフェミニズムなど人権運動の歴史に親しむ中で、私はだれか「単細胞」な人間があらかじめ存在するのではなく、社会構造上、力を持たされたものが他者に無自覚になってしまうということなのだと理解するようになりました。それは「健常者」であったり、困窮していなかったり、そういう権力勾配の上でも、同じことが起きてしまう現実があるからです。だからこそこうやって言葉を交わし、それぞれの苦しみを持ち寄りながら孤立せず連帯していく方法を、なんとか考えて実践していかないといけないと思っています。死にトリに参加している人たちと言葉を交わしてきた中でも、自分の問題をただ個人の問題とも属性の問題ともせずに、同じ社会に生きるものたちの問題として語れるなら、他者とつながれるのではないかと希望をもらっています。
だからといってすぐに現実は変わらないとしても、一緒に考えていくことはできるかなと(楽観的かもしれませんが)まだ思っています。そして私自身も健康ではなく痛みやしんどさの中で、怒りと無限の自問自答の中でも、なんとかここにいたいと思っています。また、あなたと言葉を交わすことができたらうれしいです。投稿ありがとうございました。