私は、幼少期から周りの人に褒められることが好きで、他人より優れていたいと思っていました。
学校から大学まで、部活の部長や生徒会などに立候補し、リーダーをするのが好きでした。
大学も有名なところに入学し、研究やサークル活動、インターンなど忙しくしていました。
その後、新卒1年目に入社した会社で適応障害となり、休職のち退職しました。
若手もベテラン同様の仕事量があり、泣いて帰る日もありました。
仕事内容、量、勤務形態が自分に合っていないなと感じながらも、自分の踏ん張りが足りないと思い、ひたすら頑張りました。
しかし気づけば会社に行けなくなりました。
昔から常に忙しくいることが大好きで、なんでも「頑張ること」で、自分は認められると思っていました。
しかし、大人になると、頑張るだけではダメなこともあると知りました。
また、通っていた病院で、学生時代から自分の行動について気になっていたので調べたところ、ADHD傾向が高いと言われました。
薬を服用することも提案されましたが、両親に大反対され、ADHDのことは話せなくなりました。
「本来人はいろんな特性を持って生きているんだから、そんなの必要ない」
「今自己肯定感が下がっているから、自分の存在を定義する何かが欲しいだけだ」と親に言われました。
二つ目のセリフが図星な気がして、悲しくなりました。
私は今なんでもない存在なんだと、言われたように捉えてしまいました。
今まで頑張ってきたのに、両親も自分のためにたくさんお金と時間を費やしてきたのに、結局誰の役にも立てていない。今回の出来事によって、自分で自分の今までの人生を無駄にしてしまったなと。
大学時代から気になっていた仕事を、やっぱりやってみたいと思い、必要な資格取得に励むことにしました。退職後は実家に戻り資格勉強をしながら、来年の資格取得までバイトをすると決めました。
それから一度バイトに応募しましたが、書類選考で不採用となり、そこから一気に気持ちが失せ怖くなり、そのあとは応募もできていません。
資格勉強をしつつも、働き出せない自分を責め、暗い気持ちで毎日過ごしています。
今はお先真っ暗です。未来など考えられません。
学生時代は友達と結婚やキャリアについて話すのが好きでしたが、今は話しても楽しくないです。
なぜなら、自分にその未来はやってこないと思っているからです。
心の寿命が早くやって来ると予想しています。
今は、死ねなかったから生きているだけ。
これまで明るく真っ当に生きて来たのに、何もできていない自分が許せない、情けないという気持ちでいっぱいです。
ですが、暗い自分を救う手立てがありません。
ずっと暗い夜道を歩いている気分です。
何もできない自分をどうにかしたいです。
感想1
今までは褒められることを原動力に頑張ることを続けてこられたけれど、会社に入って以降はキャパシティ越えの仕事量を求められる一方で褒めや承認を受け取れず、電池切れを起こしてしまったのかなと感じました。学生時代はテストの得点や順位、部活動、学内活動の成果が成績表に文字になって現れるし、表彰の機会も多く、なんというか、成果をあげられる人にとってはすごくドーパミンが出やすい環境ではないかと振り返って思いました。けれど、社会人になってからは求められる「出来て当たり前」が多くなって、学生時代と比較してそう簡単には褒めてもらえなくなってしまう気がします。
頑張る→褒められるという仕組みを報酬系が学習して、その回路があなたを動かしてきただけに、今回の「頑張ったのに報酬が無い」というケースは非常にショックだったのではないかと思っています。きっと、あなたは最後まで「頑張れば認められるはず」と信じながら心身に鞭を打って、ボロボロになるまで仕事をしていたんだろうと想像していました。
病院にかかってみようとするほど、あなたは昔から何か他の人と違うなと思うことが多かったのでしょうか。私も発達障害がありますが、それを診断されたとき、今までの自分の言動に合点がいった感がありました。雲が晴れたように、「どうして人と違うんだろう」「なんで人と馴染めないんだろう」という問いに一つの答えが出たと感じました。
たしかに、人それぞれに個性はあります。しかし、その個性…特性が本人に困りごとや苦痛を与えることがあります。大事なのは自分の特性と上手くお付き合いしていくことで、薬であなたの困り感が減るのならそれに越したことはないと私は思います。薬を飲むことにならなくても、自分の特性を知れたことはとても良いことだったなあと感じました。私は自分がどんな人間か知ることが、自分のより良い、より楽な生き方を考えることに繋がったので、診断されて良かったと思ったりしています。いろいろ言いましたが、ご両親の言葉に従うのではなく、あなたが望むように、あなたが生きやすいよう事が運ぶように願っています。
文章を読んで、あなたの心の消耗を強く感じます。疲れ切っているはずなのに、バイトをしようとしたり、資格勉強をしたりしてまだ頑張ろうとしているから、ちょっと休んでほしいなという気持ちになりますが、動いている方が不安や焦燥感が紛れるんだろうなとも考えたりします。しかし、心が擦り切れるまでの「頑張り」をしなければいけないと思わせるようなこの社会、本当に理不尽で人に優しくないなと思いながらこれを書いていました。
「頑張る」って言葉は抽象的過ぎて、結局のところ何をどこまですれば「頑張っている」ことになるのかよく分かりません。数字や経歴やらありとあらゆるステータスじゃなくて、今ここにあなたが生きていることそれ自体を認めて、労わりたい気持ちです。