思い返せば、高校生の頃には、とうに私は壊れていたのでしょう。
当時は三つの塾を掛け持ちしていたので、家に帰ると大抵、夜11時をまわっていました。
その時間は、父が叫んでいる時間です。
理由はわかりません。
母は怖い顔で、「お父さんの頭がおかしいと思われるから、家に友達を呼んではいけないよ」と私に言い聞かせました。母の心配は杞憂でした。その頃の私は、頬が痙攣して笑えなくなり、クラスの人の顔と名前が覚えられず、学校でも家でも勉強してばかりだったので、学校の友達など、一人もいなかったのです。休み時間も、学園祭も、もくもくと勉強をして、修学旅行は時間を持て余し、一人きりでディズニーランドを廻りました。1日2〜3回ほど原因不明の嘔吐を繰り返しており、どんなに厚着をしても身体が冷たく、膝掛け毛布を3枚常に持ち歩いていました。
何故私がこんなに勉強にこだわるかと言うと、中学生の頃、絵を描いていた私の前に母が突然現れ、絵を奪って目の前で破り捨て、大声で懇々と言い聞かせたからなのです。
「アンタは顔が可愛くない。愛嬌もない。気働きもできない。力も弱いし体力もない。芸術の才能だって、こんな落書きでイラストレーターにでもなりたいと言うならお笑い種よ。アンタにはな、勉強しか身を立てる術がない。今すぐ勉強しないなら、アンタは女中になるしかない。勉強する気がないなら、ばあちゃんに女中奉公の教えを乞うて来い。なんで泣く?私が間違ってると言いたいから泣くんか?私はほんまのこというてる。間違ってると思うなら言うてみい。ここでけじめつけて勉強もできへん人間なんか、生きていけへんのよ。人生を舐めるな」
どうやら母は、何がきっかけか、勉強に身を入れない私がイラストレーターになると言い出すと思い込んでいたようで、パニックになった様子でした。とはいえ、ひとしきり怒鳴りつけた後は落ち着きを取り戻し、打って変わって猫撫で声で、
「ちょっと優しく叱っただけでわんわん泣くから、可哀想になってしまうわ。ほんまによう泣くなあ、アンタは。お母さんはアンタが大好きやから厳しく言うのよ」
と私を撫でまわし始めました。満足げな母の腕に大人しく抱かれながら、いつか復讐してやる、とそればかり考えていましたが、時間になったので母の送迎で英会話塾へ行き、塾の机に座って初めて、涙を我慢せずに大泣きしました。
そんな風なので、私は勉強の邪魔をされるのがとても嫌いな子どもに育ちました。
高校三年生、いよいよ受験が近づいたある日、部屋で勉強していると、血相を変えた母が、「お父さんが死のうとしている。出てきて!出てきて!」と部屋のドアを叩きました。私は思わず、勉強の邪魔だなあ、うるさいなあ、と思いましたが、それをありのままに伝えるのが良くないことは流石にわかりますから、とりあえず部屋を出て母を宥めました。私が部屋から出ていくと、父はケロッとした様子を取り繕っていました。父なりのプライドだったのか、配慮だったのかはわかりかねますが、父は母が大袈裟に騒いだ、と言って、母を悪者にしました。母は、「ほんとよ!ほんとにさっきまで死のうとしてたんよ!」と喚いていました。私は多分母の言葉が本当だろうな、と思いながらも、なんだかどうでも良くなって部屋に戻りました。
中学の頃の友達が何度か遊びに誘ってくれたこともありました。高校では本当に友達ができなかったので、彼女の誘いは嬉しく、自分にも価値があると感じられる数少ないきっかけの一つとなりました。
それを知った祖父は、受験生をしつこく遊びに誘うような人間とは縁を切れと言いました。私はその友達とも遊ばなくなりました。
勉強して勉強して挑んだセンター試験は10年に一度レベルの難化傾向にあり、目標点数のはるか下でした。勝負できなくはないから第一志望に賭けるか、と塾の先生に聞かれ、私はA判定が出ていた安全牌の大学を選びました。そこは母の憧れの大学で、母はとても満足そうでした。
大学生になり、実家を離れてから、体調はみるみる良くなりました。大学の勉強は簡単で、退屈で、私はやがてモチベーションを失いました。受験の時にもっと頑張ればよかった、諦めなければよかった、とそればかり考えるうちに、また体調の異変が顔を覗かせました。
ゼミの教授の顔が覚えられません。言葉が思うように出てきません。上手く笑えません。息が苦しく、眠れません。そうして再び、朝晩吐くようになりました。財布を1日に5度無くし、私は自分に発達障害があることを疑いました。専門医の診察を受け、軽度のASDの診断を受けました。薬を飲み始めましたが、嘔吐癖がある私の胃には刺激が強く、体重が10キロ落ちて断薬を決めました。
卒論も、就活も、当然上手くいきません。この頃になると、卒業できなければ死のう、就職できなければ死のう、と一区切りごとに目標を立てるようになりました。そうすると、ほんの少しだけ気持ちが楽になったのです。生きるのは長くても30歳まで、と決めたのもこの頃でした。自分の人生は、それくらいで必要十分だと感じるようになりました。
ところが、卒業も、就職も、なんだかんだと乗り越えてしまいました。とはいえ、仕事は当然上手くいかず、残業ばかりしていました。電車を見ると飛び込むことばかり考えました。
休職し、姉に勧められてカウンセリングでトラウマの治療を始めました。1回一万円。貯金はみるみる減りました。
治療の効果か、体調がやや上向いた頃にパートナーと出会い、同棲を始めました。詳しい経緯は省きますが、同棲に反対した母と喧嘩になりました。この時の母の言い分はおおよそ正しかったと、冷静になった今は思いますが、当時の私にとっては、そんなのはどうでもいいことでした。私にとって重要なのは、私の人生の意思決定から母を追い出すことだったのです。
私は徹底して母を罵倒し、恫喝し、アンタなんかいらない、と言い募りました。母は震えながら押し黙り、姉の話では、それ以来軽い鬱状態になったそうでした。
この経験を経て、私は、今の自分ならば母を暴力でねじ伏せられると強い確信を得たのでした。そうして、産まれて初めて、今なら母を愛せるかもしれないと思いました。
暴力で御しうる相手は、なるほど愛おしいものですね。許しを乞うように眼差しを向ける無力さは、それ自体が可愛いものです。母もきっと、こんな気持ちで、母の剣幕に怯える幼い私を見ていたのでしょう。それから約5年間、私は母からの連絡を無視し続けました。
そうまでして同棲を決めたパートナーは、生まれ育った家庭に難があり、明らかに愛着障害を抱えていました。私たちはお互いの穴を埋めようとして側にいましたが、それが原因なのか、そうではないのか、やがて上手くいかなくなりました。私は、パートナーが私との別れを考えていることを察しつつ、気づかないふりをしていました。やがて向こうから別れを切り出されると、1分足らずの話し合いで別れを決めました。勿論別れた当初は、母と縁を切ってまでお前を選んだ私を不実にも裏切った、舐めやがって、と思いましたし、しばらくの間は怒りと憎しみを抱いていました。ですが、お別れをして、気分が晴れ晴れしてもいました。
薄らと気づいていたことですが、私は人と、支配被支配の関係しか築けません。パートナーに対しても、常に「支配しようとするなら許さない」と意思表示をしながら接していました。そして私は、大抵私と同じような問題を抱えた、自他境界線の薄い人を恋愛相手に選ぶのです。
パートナーに限らず、全ての人との関係に対してこの問題はついて回ります。他者からのほんの些細な刺激で、怒りの濁流が私を飲み込みます。過去からの声で命令が下るのです。「おい、今、私は軽んじられたぞ。このままじゃ支配されるぞ。闘え。差し違えてでも勝ち残って、相手を支配しろ」と。命令に抵抗し、かろうじて飲み込んだ怒りは、お腹の中でわだかまって、私の胃を悪くします。こうして溜まり溜まったものが、朝晩に吐瀉物となって出ていくのです。こんな単純なことに気がつくまでに、10年以上もかかってしまいました。
最近の私は、夜になると意味のわからない言葉を叫びます。あの頃の父そっくりです。些細なことで烈火のように怒り、誰彼ともなく捕まえては愚痴をこぼす姿は、あの頃の母にもよく似ています。そうしてどんどん、自分が嫌いになっていきます。
この3月、大学生のころに寿命と決めた30歳が来てしまいました。死にぞこなって、死にぞこなって、私はいつまで生きるのでしょうか。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
3月、かねてから決めていた寿命を過ぎました
感想2
夜の時間に些細なことで烈火のように怒り誰かに愚痴をこぼすあなた自身に、過去のトラウマを見る中で、過去から現在まで改めて整理するように文章を書いてくださったように感じました。ここまで整理できるようになることも簡単なことではなかったのではないかなと思います。
中学生の頃の出来事をはじめ、父母・祖父母の言葉に散りばめられた古典的な価値観の押し付け、そして何よりも「勉強すること」と「勉強できるあなた」との歯車が、良くも悪くも噛み合って転がっていた学生時代。父母さんの激しいヒステリックに、嫌でもあなたなりの対応の仕方を確立していたのではないかなと想像します。文章から、あなた自身の感情表現する言葉がなかなか出てこない様子から、感情の感じ方が薄かったり、表現に出にくいところがあるように感じたのですが、英会話塾で大泣きしたことや、嘔吐反応など身体の反応や不調でようやく「無理をしていたこと」に気づけるところがあるのかなと感じました。学生の頃はその不調が何かわからなかったかもしれませんが、実家を離れ体調が良くなったところから見る、それまでのストレスの大きさや自分の状態というものを実感したかもしれません。
軽度のASDの診断を受けられていることから、自分のルールに沿って動く方があなたにとってはストレスのかからない側面があるのではないかなと思ったのですが、家族やパートナーと一緒に住む中で「自分のルール」を全うできなかったりすることのフラストレーションがあったのではないでしょうか。特に親からの支配を受けていた時期は、勉強を邪魔されたくないというあなたの気持ちとは裏腹に、環境も整わず、自分の意にそぐわないことばかりで心身ともに相当の負担を抱えていたのではないかなと想像します。
そんなことを考えていると、あなたの抱える「支配しようとするなら許さない」という意識は、長年に渡る親の支配による拒絶反応に加え、「自分のルールを大切にしたい」あなたの特性の双方から湧き起こっているものでもある可能性を感じました。しかしながら、些細な刺激でもあなたにとっては過去のトラウマをも引き出されるような大きな刺激、抵抗しなければならない命令に感じてしまうというのは、とてもエネルギー消費の激しいことだと思うので疲れやすい側面もあったりするのかな。
「自分のルール」を持つ力のある一方で、自他境界線の薄さを持ち合わせているあなたは例えば人からの頼み事を断りづらかったり、他者のルールが知らない間に自分のルールになっている、自分のルールを他者にも適応してしまう、そんな経験もされているかもしれません。「完璧にこなしたいのに片付けができない」など、異なる性質を同時に持っている場合、自分に憤りを感じることが多いと聞きますから、自分のルールと自他境界線の薄さの間で自分でも気づけないうちに困ったり逼迫したりしているのではないだろうか・・そんなことも考えます。
少し話がそれてしまいましたが、脳が「命令」を感じた時に直接「怒りや抵抗」という神経回路へ結びついている印象を受けています。それは「怒りや抵抗」以外のコミュニケーションを家族に許されなかったこともその神経回路を発達させたのに、大きく関係しているように思います。自分と他者の意見がぶつかった時、お互いの意見を尊重し対話の中で折り合いを見つけ、お互いにとって良いと思える着地点を見つけることが建設的な対話と言われるのだと思うのですが、それが叶わない権力関係やコミュニケーションがあなたの周囲には多かったのではないかなと思うと、価値観の衝突があなたにとっては「対話の機会」ではなく「ストレス」「抵抗」「怒り」「ねじ伏せなければならないもの」になってしまっている・・かもしれないなと感じました(違っていたらすみません)。「支配被支配の関係しか築けない」と書いてくださいましたが、「建設的(アサーティブ)なコミュニケーションが許されてこなかった(学ぶ機会がなかった)」のではないかなと個人的には想像しました。特性による対話や人間関係構築の難しさもあるかもしれませんが、学ぶ機会を通して、円滑なコミュニケーションをあなた自身のものにする力のある人だとわたしは感じています。
わたしは天才に倣って28歳くらいで死にたいと思っていたことを思い出したのですが、30代も半ばになってしまいました・・。明日死のうと思いながら、やり過ごすのもいいのかな。叫んだり、愚痴をこぼしたりするのも必要なら、わたしはいいことだと思います。ただ体への負担は大きいと思うので、あなたが我慢しすぎたり、身体反応が出る前に伝えられるコミュニケーションや、大丈夫な環境や状態を一緒に模索してみたい思いです。
お返事
コメントありがとうございます。どちらもかなり鋭い分析だなと思いました。
自分の特性と他者関係については、相手の距離感が心地よくないと思った時は、我慢して合わせずに、少し離れることも大事だな、と最近考えています。
私は基本的に、人から興味を持たれにくいですが、人生でたまーに、私に強烈な興味を持って、異様な距離感で近づいてくる人が現れます。だいたいは、相手もちょっと変な人ですね。例の元パートナーとか。求められるのは嬉しいので、相手の気持ちに則ろうと頑張りますが、大抵碌なことになりません。
そもそも私は、親密な関係そのものが苦手なのかもしれないです。大抵お別れした後のほうが元気だし、別れた後に誰かと付き合わなきゃ寂しい、みたいに思ったことがありません。家族とか、恋人とか、苦手なのかも。
普通の友達が欲しいなら、たまに自分から連絡することと、相手に興味があるという態度を示すこと、の2点だけで結構なんとかなるな、というのは最近の学びです。経験上、深い関係を築かなければ衝突することもないので、このくらいが丁度いいのかもしれません。
結局一番辛いのは、自分自身との関係性ですね。私の感情はいつも嵐のようで、渦中にいる時はパニックです。実際には、私の目の前に困難なんてなくて、単に脳で分泌されている物質の作用に振り回されているだけかもな、と考えることもあります。
自分とは距離が取れないのが厄介なところ。とっとと縁を切りたいものです。
感想1
経験談ありがとうございます。
これまでの人生でどれほど多くのものを抱えながら歩んでこられたのかと思うと、胸が締めつけられるような気持ちになりました。家族との関係で傷ついた経験だけでなく、その出来事が人との接し方や考え方にまで影響していったことから、過去の出来事が今にも深くつながっているのだと感じました。
学生時代は、家庭にも学校にも安心して過ごせる場所がほとんどなかったのではないかと思いました。家では父親の叫び声が続き、学校でも友人と過ごす時間が少ない中で勉強に多くの時間を使っていたことから、当時はどんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろうと考えました。 高校生の頃には三つの塾を掛け持ちし、顔や名前を覚えられなくなったり、嘔吐を繰り返したり、身体の冷たさまで感じていたことから、どれほど無理を重ねていたのかが伝わってきました。
特に、お母さんに絵を破られた場面は強く印象に残りました。自分の描いたものを否定され、さらに自分自身まで傷つけられたとき、どれほどの痛みがあったのだろうと思います。その直後に「大好きだから厳しく言う」と抱きしめられたことから、愛情と傷つけられることが同時に起こり、境界が分からなくなるような戸惑いがあったのではないでしょうか。
幼い頃から家庭の中で多くのものを抱えてきた一方で、中学時代の友人やお姉さんのように支えてくれる人もいたことには少し安心しました。そして、「今なら母を愛せるかもしれない」と思えたことから、これまでの親子関係では、愛情と「相手を思い通りにしようとすること」が深く結びついていたのではないかと感じました。
「支配する側と、支配される側」という関係についても考えさせられ、「支配されたくない」という思いが強くなるほど、相手に支配される前に、自分も人を傷つける側になってしまったことに苦しんでいるのではないかと思いました。自分の中に父親や母親と似た部分を見つけ、「自分が嫌いになっていく」と書かれていたことに「そう感じてしまうのも無理もないよ」と感じました。過去から自分を守るために身につけたものが、今は自分自身を苦しめているようにも伝わってきました。
最後に、パートナーとの関係や人との関わり方を読んで、過去の経験がその後の人間関係にも深く影響しているのだと感じ、相手に支配されることを恐れる一方で、自分も相手を支配しようとしてしまう。その繰り返しの中で、人とつながること自体が苦しくなったのではないかと思います。
それでも、自分がなぜ人との関係で苦しんでしまうのかを振り返り、「支配・被支配」のパターンに気づいていることは、大きな変化なのではないかと思いました。
私も人との関係で苦しくなったときは、自分の気持ちだけでなく、相手がどう感じているのかにも目を向けるようにしています。そうすることで、自分も相手も大切にできる関わり方を心がけています。
長くなりましたが、これからの先の人生も、どうかあなた自身の歩幅で生きていけますようにと、遠くから願っています。