経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自己否定が一番の償い

私がいつから死にたいと感じるようになったのか、あまり覚えていませんが、小学三年生ごろだったと思います。私の家は二世帯住宅で、両親と父方の祖父母と暮らしており、共働きの両親が仕事に行っている間は祖父母に面倒を見てもらっていました。祖父母はとても私を可愛がってくれており、幼いながらに私もそれを感じていました。しかし、段々と年齢が上がるにつれて、ある疑問が浮かぶようになったのです。後になって、というか本当に最近気づいたことですが、祖母は過干渉のきらいがありました。私が宿題をやっているとき、絵を描いているとき、とにかく何をするにもじっとこちらを凝視してくるのです。そして、求めてもいないアドバイスや実演をしてくる。それが彼女なりの愛であることはわかります。でも、監視されてるみたいで苦しかった。最初は「見られるのが嫌だからやめて」とはっきり言いました。祖母は「分かった」と口では言うもののやめてはくれませんでした。視線を感じた時に祖母のほうを見ると、パッとテレビのほうを向いてあたかも見ていないかのように装うのです。その時私はなんとなくこの人は自分の意思を尊重する気はないのかな、と漠然と思うようになりました。私が嫌なことは嫌だと言おうと決断してから、私と祖母の仲は格段に悪くなりました。祖母は私の機嫌が悪いとおやつで機嫌を直してもらおうとすることがよくありました。最初のうちは私もそれで気を直していましたが、結局これも私をなめている故の行動のように感じるようになり、「要らない」と断わってみたことがありました。そうしたら「なんで?食べればいいのに」としつこく勧められ、私も負けじと突っぱねていると「そうやっておばあちゃんのこといじめるんだ」と泣き出しました。祖母は姑(私からすると曾祖母)からかなりひどい仕打ちを受けていたらしいのですが、そのことも持ち出して「どうして孫にまでいじめられなきゃならないの」と言われました。私からしたらおやつを要らないと言っただけなのですが、確かに私も言い方がキツかったところはあるなとそこは反省しました。ですが、本当にショックだったのは祖母が祖父に泣きついた末に祖父から放たれた言葉でした。「うるさいな……お前もおばあちゃんの言うこと聞けよ」
そんなようなことを言われました。よく祖父母は喧嘩していて、いつものようにしつこく絡んでくる祖母のことを面倒くさく思った気持ちもあるのでしょうが、私は本当にそれがショックだった。結局私の味方っていないんだ。そう思いました。その出来事があってから、祖母の機嫌を損ねないようにおやつを無理して食べるようになりました。それが常態化すると、ある問題が起きました。お腹がいっぱいで夜ご飯が食べられないのです。夕食は両親と一緒に食べるのですが、私が明らかに食べる量が少ないと「おやつ何食べたの?」と質問されます。私が「食べた」と答えると、父が祖母を怒鳴りつけるのが問題でした。父と祖母は仲が悪く、よく口喧嘩をします。母も祖母と表立ってなにかする訳では無いけれど、お互いにあまり気に入っていないというか、相容れない関係でした。そうなると、母が「おばあちゃんになんか言ってよ」と父に文句を言い、言われた通りに父は祖母を叱り、叱られた祖母は私に「親に私の悪口言ってるんでしょ?」と問い詰める、という悪循環が発生するようになりました。この循環を止めるには私の我慢が必要でした。夜ご飯を無理やり完食し、吐きそうになりながら眠る。やはり子供の本能でしょうか、家族の仲が悪くなるのは辛かったのでこれが最善だと思いました。そのような生活を続けていると段々と体重が増え、やがて私は肥満児になりました。学校ではそのことをいじられるようになり、ヘラヘラしてやり過ごしましたがそれでもやっぱり辛かったです。私はどんどん自分のことが嫌いになりました。本当に自分のことが気持ち悪くてしょうがなかった。しかもその時期は父と母の仲も悪くて、母がよく夜に「実家に帰ろうかな」と私に愚痴を零していました。だから私がここで綻びを広げる訳にはいかないと思いました。でも、辛いものは辛くて、どうしていいか分からなかった。自分の部屋でひとりで隠れて泣いたそのとき、初めて私は死にたいと思いました。冬だったと思います。このまま凍死したらいいと思いました、できもしないのに。死にたさと向き合って生きるのは余りにも苦しい。その生活は長続きせず、私は諦めて祖母を完全に避ける方向にシフトチェンジしました。そうしている間に身長も伸び、小学六年生の頃には肥満児からは脱却することができました。可愛がる対象を失った祖母は流石に少しは反省したのでしょうか、それとも老いのせいかもわかりません。少しずつ私に余りにも過ぎた干渉をしてくることはなくなりました。でも、たまに祖母に顔を見せると決まって余計な一言を言われるので依然として私のなかでは祖母にいい印象はありませんでした。
ここまで長々と書いてきましたが、これが異常であることに気がついたのは高校生の時です。高校一年から二年の間、なんとか学校には行っていましたがずっと死にたいという気持ちがあり、帰宅後や休みの日はベッドの上で何もできなくなるという時期がありました。その時期は食べ物もあまり食べられず、10キロほど痩せました。何に悩んでいたのかも分からなかったけど、とにかく自分が嫌だった、じゃあなんで嫌なんだろう?卑屈な私が形成された理由が祖母及び家庭にあることに気が付きました。それがあまりにもショックでした。そう意識したら急に鮮明に記憶が浮かび上がってきて、既に経験したことにも関わらず新鮮に傷付くことができました。それからは常にそのことが頭の片隅を占有して、授業中や登校中でさえ涙が出ました。それは嫌いな自分から脱する為のトラウマ克服の一歩でもあり、嫌いな自分を罰するための自傷行為でもありました。高校生活の前半は人にも恵まれず(私が恵まれるような態度をしていなかったこともあると思いますが……)、本当に死ぬなら今だと思うようになりました。でも、頭の中の第三者が、「死にたいと思っているお前の思い通りになったらお前がいい思いをするだろう。お前のような生きる価値のない者が、育ててくれた家族を裏切って悲しませることは一番の罪だ。そうやって苦しんで生きているのが一番の償いだ」というようなことを言うので私はただ死にたさを感じながら布団の中で丸まっている毎日でした。
この状況はだいたい一年半ぐらい続きましたが些細なきっかけで段々と抜け出すことができて、今は高校も無事卒業して大学に通っています。高校三年になって、本当に大好きな友達ができたことが大きな要因だと思います、本当にその子達には感謝しています。でも、相変わらず死にたさとは付き合っています。気絶するように寝ないと悪夢を見るのでいつも限界まで起きているし、なんの前触れもなく喉が締まって心臓がバクバクして昔のことを思い出して辛くなることもあります。文章にしてみるとこの程度のことで私は何を死にたいとか言ってるんだろうと思いますが、何年経っても思ってしまうのでそこを責めても仕方ないなと思って諦めました。いちばん気分が落ち込んでいた高校生の時と比べたら、きっと今の私は前進していると思います。ほぼ休まずに大学に行って、アルバイトをして、サークルにも入っていますし、自動車学校にも行っています。暇な時は趣味のお絵描きもするし、好きなアーティストや推しのイベントにも行きます。事象だけ並べればすごく充実しているのに、いつまでも私は不安なまま。それが情けなくて悔しくて、まるで何も進んでいないかのように思えて本当に嫌になる。恵まれているのに「死にたい」って思ってごめんなさい。でも私、本音を言っても怒られない場所が欲しかった。いつも家族の潤滑油を強いられるのが苦しかった。私はいまでも私の輪郭がわからないままだから、いつも他人の顔色を伺う癖が抜けません。私がありのままで生きることは烏滸がましいという意識がいつも心の中にあって、やることなす事自己否定がやめられません。私のことを『明るい子』だと母は言います。いつか本当にそうなれたらいいな、と思いながら死にたさを飲み込んで毎日通学バスに乗り込んでいます。

感想1

祖父母と両親に板挟みされ、まさに「潤滑剤」としての機能を押し付けられていたと思いました。幼い頃からずっと、家族の顔色を窺わなければいけなかった習慣があなたの骨身にまで染みこんでいく様子が分かりました。祖父母・父母全員の関係がギスギスしている家では、とても安心して居られなかっただろうと思います。人が怒鳴り合っているのを日常的に見聞きしているだけでも心がゴリゴリ削れるものだし、家庭内は今度は誰と誰がぶつかるか一触即発の雰囲気が漂っていたことでしょう。

おばあさんの受けてきた姑からのいじめは気の毒だとは思うけれど、それとあなたとは全くの別問題です。しかも、自分の意思を表明して行動を拒否するのは人として正当な行為であって、いじめでもなんでもありません。おばあさん自身も色んなトラウマ的な経験をしてきて、あなた以外の家庭内のメンバーとも不仲であって、拒絶に対して敏感になっていたのだと思います。それゆえに家の中での最後の味方となってくれそうな人である、あなたに強く執着していたのかなと考えました。しかし、自分の可哀想な姿を人質にして人をコントロールすることは良くなかったし、あなたにしたことは明らかなバウンダリーの侵害で、とりわけまだ自他境界の曖昧な子どもに対してはやってはいけないことだったと思いました。
おやつを強要するという行為は、「お腹が苦しい」という身体の辛さと、「言うことに従いたくない」心の辛さを無視して行動するということが毎日繰り返されることであなたの感覚・感情と行動が切り離されてしまった、象徴的な出来事だと感じとりました。私は満腹になるまで食べさせられたことはないけれど、口に合わない料理を食べなければいけない時期が長かったので、身体の「もう食べたくない」という悲鳴を無視しながら食事を続けなければいけない苦しさが生々しく理解できる気がします。

読んでいると、祖母を起点とするトラブルが頻発し、あなたが祖母のメンタルケア役を担うことで衝突を和らげようするという構造が浮かんできました。あなたは祖母一人だけではなく、祖父母の仲、父母の仲も気にかけて過ごしていたのだと思います。
「家族の仲が悪くなるのが辛い」というのが子どもの本能とあなたは書いていましたが、これは言い得て妙だと思いました。子どもにとっては家庭が唯一の帰る場所であり、基本的にそこにしか帰る場所はありません。大人は子どもに比べて行動力があり、家に帰りたくなければ一晩別の場所で過ごすことも難しくはないと思います。子どもは自分の居場所を守るため、身を挺して家庭の安全の犠牲にならざるをえない仕組みがあると考えました。私の家も不仲で、自分を押し殺す一方、他の家族同士のクッションとなって、身を削りながらも居場所を死守しなくてはならなかったです。メンバーの調整役を家庭内で一番立場の弱い子どもが請け負わなければならない、その役割が染みつき、家族関係から人間関係のモデルを作り出し、成長してもその癖が抜けなくなっていってしまう悲しいシナリオが今もどこかの家で演じられているのだろうと思います。

ずんと落ちてしまった時期もあったけれど、今はそこから抜けているとのこと、ひとまず良かったと思います。これから少しずつ、「ありのままの自分で大丈夫だった」を増やしていくことが大事になってくるのかなと思いました。大好きなお友達の前では比較的無理せずに振舞えているのかなと想像しています。付き合っていて気持ちが楽な人たちとだけ一緒にいて、そうではない人たちからは(たとえ家族であっても)極力距離をとることも、立派な境界線の引き方、自己防衛だと私は思います。
相手の気持ちを察して先回りで行動しなくていい、自分の気持ちを大切にしていい、本音を言っていい、そんなことを一つ一つ積み重ねながら確認して、だんだん肩の力を抜けるようになったらいいなと感じました。これまで一人で十分頑張ってきたのだから、もう一人で抱え込まず、お友達や大学の相談室、このサイトでも、頼れるものに頼ってほしい気持ちです。『明るい子』などの他者の言葉や視線に規定される・望まれるあなたではなく、あなたがありたい、自然体のあなたでいられたらいいなと思いました。

感想2

両親と祖父母の、崩れかけのギリギリの緊張の中で、あなたがその均衡を調整せざるを得なかったような状況を感じながら読みました。あなたは自分の意思を感じながらも、それを押し殺してでも周りの緩衝材にならないといけなかったということだと感じています。それは子どもにやらせることではなくて、そこにいた大人の責任だし、あなたはやにも悪くないのに……という気持ちと同時に、私自身も親の仲介役をやって病んだ子どもだったものとしては、自分を責めたくなる気持ちもわかる気がしています。

ここに書いてある言葉は、もしかしたらリアルタイムではうまく言葉にならなかったり、説明できない感覚だったりした部分もあるのかなと想像しました。それを何度も鮮明に思い出しながら、苦しさの中で、自分なりに感覚を探り、言葉にしてきた過程があるように感じたのでした。
「本音を言っても怒られない場所が欲しかった。いつも家族の潤滑油を強いられるのが苦しかった。」という二文は端的でもっともな願いだと思います。そんなの、本当なら当たり前の環境であってほしい、子どもが育つ場所はすべて安全に子どもが自分の心を否定されず、あり方を肯定される場所であってほしい。だけど、それが全然当たり前じゃない中で、自分の現実を当たり前のものとして受らなければならないことは、それ自体が大きな負債のようにも感じます。
自分を押し殺すことを正当化せざるを得ない中で、自罰的な感情や自分を責める声が大きくなっていった部分もあるのかなと思いました。私も家を出て相当経つのですが、いまだに自分が加害者だという感覚になることがあります。頭では、そう思う必要はないとわかっていても湧いてきてしまうのは、ある意味では慣れ親しんだ思考回路だから仕方ない部分もあるのかなと、思ったりもします。

私自身の大学時代はアルバイトや趣味や人間関係などひたすら過活動で考える時間をなくすようにして、それでも入り込んでくる希死念慮とまだ全然うまく付き合えずにいたように思います。大好きな友達のことや趣味の時間があることにはホッとした気持ちになると同時に、だけどそれだけでは解決しない部分も大きいのだろうと感じています。足場の不安定な中でなんとか立ち続けているような感覚もあるのかなと想像しました。

私はこのサイトに関わる仕事をしているのもあって「死にたい」と思うことや「死にたい」と言うことが、特別扱いも否定もされないのになれる中で、死にたい気持ちと敵対しないでいられることが増えた気がしているのですが、世の中ではまだまだ希死念慮なんて口にしにくいもののような気がします。死にたい気持ちも含めて、本音を口にできて、そう感じる心を否定されないような環境がこれから世の中にもっと増えていけばいいと思っています。
それと同時に、まだそういう環境があなたのまわりに十分になかったら、ここにまた来てほしいし、思う存分……というのも変化もですが、思うまま言葉にしてほしいと思いました。
死にトリを見つけて、経験談を投稿してくれてありがとうございました。

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