私は、中1の頃に母親が自殺したショックでうつ病となり、高校までに完治したものの、大人になって再発しました。
現在30歳で再発してから2年が経過します。
心療内科へ通院して様々な薬を処方されてきましたが、効果がありません。
最近、益々鬱が悪化して、集中力や判断力も低下して、頭の中で1日中『死にたい』という言葉がぐるぐると回ってます。
身だしなみも疎かになり、家の寝室のベッドから出る事さえしんどい状態です。
死にたい事しか考えられないです。
週2でバイトしてますが、バイト中も死にたいの言葉ばかり頭の中を支配してます。
こんなに辛い思いするなら死んで楽になりたいです。
夢や希望もない中でこれ以上生きるのは私には耐えられません。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
しにたい
感想2
身近な人、それも肉親が自ら命を絶ってしまったことのショックは計り知れないものだと思います。何歳のときの出来事だとしても「辛い」の言葉では足りないほど辛すぎるけれど、とりわけまだ12、3歳の柔らかい心を持ったあなたにはあまりにも大きなことだったと感じました。
喪失や落ち込みからの回復のプロセスは一方通行ではないのだと感じます。あなたには心の傷の痛みが和らいだ時期もあるけれど、日常の中でふと思い出されることが何度もあったのかもしれないと思いました。高校に通って、大人になって、環境が変わって、仕事をしたり独り立ちしたり色々なイベントを経て、身体や心に疲れが溜まっていったのかなと思っています。そして2年前に、徐々にか急激にかは分からないけれど、古傷が開いてしまったように気分が落ち込んでしまったのかなと想像していました。
残酷だし理不尽だけど、落ち込みや希死念慮は帰ってくることがあります。私は一度精神的に落ちて以来、落ち込みとちょっとの回復を繰り返していて、高校の教科書で見た三角関数のグラフみたいなテンションで生きています。グラフは下がったら上がることが確定していて先行きが分かるけれど、現実はそうはいかなくて、一度落ちたら二度と戻れないのではないかという不安をずっと感じています。どうしたらいいのかは未だによく分からないけれど、とにかくしつこい希死念慮から逃げて、逃げて、逃げるしかないんだろうと思います。いっぱい休んで、いっぱい寝て、医療に頼って、制度に頼って、人に頼って、このいつ止むか分からない大雨をやり過ごすことができたらいいなと願っています。
感想1
文章から、苦痛の中で絞り出したような言葉の切実さを感じました。中学生のときのお母さんの自殺のことからいまに至るまで、完治とはいっても、重たいものを背負いながら生きてきたのではないかと思いました。うつ病にもさまざまな背景があると思いますが、たくさんの重荷や苦しさが回復しきることのないまま積み重なっていく中で動けなくなってしまうことはあるように思います。起き上がるのもしんどいのにバイトにむかうのは、傷口をさらにすり減らしてゆくような苦しさがあると思います。
私も「死にたい」という思考促迫状態が朝から夜まで止まらなかった経験があります。そのときは仕事にも行けなくなり、ひたすらベッドの中で強迫的な思考に脅かされながら、頓服薬でむりやり眠ることをくりかえしていました。その中で頭はともかく体が休息できたのでしょうか、すこしずつ落ち着いた記憶があります。私たちは、うまく休むことや自分を労って回復することをなかなか学べない世の中で暮らしているように思います。だけどへとへとな心身はたくさんの誤作動を起こして、自分でもどうしていいかわからなくなるから、私たちは生き物である限り、自分なりの休息とケアを必要としているのだと思います。
いまあなたはどうしているでしょうか。眠れてるでしょうか。体は緊張してこわばっていたり、手足が冷たくなっていたり、呼吸がしづらかったり……そういうこともあるかもしれません。休むこと自体高いハードルだとも身に染みつつ、それでも「もう十分すぎる」と思うくらいあなたにはたくさん休んでほしいです。そして気が向いたら、また死にトリにアクセスしてください。