経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ずっと昔から・・・

小学生のころから、いつも「消えたい」「死にたい」と考えていました。
4年生から卒業までずっとクラス全員に無視され続け、担任の先生に「無視はいじめではない」とクラス全員の前で言われ、毎日毎日なぜ生きていなくてはいけないのかと感じて、今まで生きてきました。
20歳までには死ぬかな?30歳までには死ぬかな?と考えているうちに40歳を超えました。
なので、結婚・出産・離婚・就職人生のいろんなステージを通って今を生きていますが、生きているからしょうがなくやっているという気持ちのほうが大きいです。
もちろんつらいことも色々ありましたが、楽しい事もありました。
ただ楽しい事の後には「あーこのまま消えたいな」って強く感じます。
生きているから、働かなきゃいけないし、どうせやらなきゃいけないなら、しんどいのはヤダなと思い資格を取ったりして、今は残業もなくそこそこのお給料を頂いて仕事をしています。
なので、恵まれた環境だとも思っています。
それなのに、「消えたい」「死にたい」「いなくなりたい」と考えます。
交通事故などで「生きたい」と感じているだろう人がなくなるニュースを見ると、「なぜ死にたい私にはそう言ったことは起きないのだろう」と感じてしまいます。
他の人は嫌な事があった時や辛い状況にあるときに「消えたい」「死にたい」と感じるのだと思いますが、大体いつもそう感じている私はどうしたらよいのかわかりません。
「自殺をしてはいけない」というから「生きている」だけで、かなうものなら早く人生終わってほしい。
寿命も短くていいし、そんなに長く生きたいとは思わない。
そんな自分はきっとこのまま気づいたら50代を迎えるんだろうなと感じています

感想1

読ませていただき、小学生の頃から現在に至るまで、さまざまな苦しみを抱えながら生きて来られたことが伝わり、とても胸が苦しくなりました。小学生の頃からの出来事は短く書かれており、それほど思い出す事も辛い経験だったのでは無いかと思いました。

特に印象的に残ったのは、担任の先生が「無視はいじめではない」と言われた場面です。私は、無視も立派ないじめだと思います。その言葉は、苦しんでいる本人の気持ちを受け止めるのではなく、さらに傷つけてしまうものだと思いました。また、3年間クラス全員から無視を受け続けたことは、想像するだけでもつらく、無視は人の心を深く傷つけ、「自分が悪いのではないか」と思わせてしまうほど大きな影響を与えるものだと考えさせられました。

最後の文章は、特に心に残りました。私は、「生きていてほしい」という気持ちはもちろんありますが、それ以上に「もう苦しまなくていいような社会になってほしい」と強く思いました。苦しみを抱えた人が「助けて」と声を上げられるだけでなく、その声を受け止め、誰一人取り残さない社会を、私たちみんなでつくっていかなければならないと私は思いました。

感想2

坦々と書かれた文章で、自分の感情を発露しているというよりは、自分をすこし近くから見下ろすように観察していて、たくさんの諦念と疲労があって、そこにすこしだけ困惑が滲んでいるような感触を持ちました。
3年間にわたり無視されたこと、それを公然と問題ないこととして扱われたこと、その中で幼いあなたの自問自答は膨らんでいったことを想像しています。その後の人生の中で、世の中で要求されやすいこと(結婚や就職など)をこなしてはいつつも、それが自分の意思かというとすこし距離があるような状況なのかなと感じました。「そこそこ」だと認識はしていつつも、それらによって自分の中の空洞のような部分が満たされるわけではないのかなとも考えています。
あなたは真面目に生きてきた中で、なんというか、世の中のいろいろなことをしかたなしにでも受け入れる、ということがサバイバルスキルだったのかなと感じました。逆に言えば、そうでない部分、たとえばあなた自身の苦しさとか、心地よさとか、あなた自身の感性がどこか置き去りのまま存在しているのではないかとも思っています。それは手当されないままの傷であったり、解決していないままのわだかまりであったりもするのかもしれません。
いまの社会は、立ち止まることや、ひとときうずくまってすごすようなことをあまり許容してくれないような気がしています。それに合わせ続けることを苦しいと思う気持ちがあっても、蓋をするしかないようなこともあるのではないかと私は思いました。だけど本当は、もっと立ち止まって、迷子になって、それでも安心していられるような世の中だったらいいのにと、理想論とは思いつつも願わずにはいられません。
私自身も過去に比べたら恵まれた状況にいると思うし、まったく動けないような状況でもないのに、漠然と「死にたい」は近くにいる気がします。それと決別する必要もないのかなとは思うけれど、すくなくとも自分の中にそう感じている空洞がいまもあるのだということは感じていようかなと思っています。あなたがずっと昔から感じてきたことを「死にたい」「消えたい」とあなたの中に浮かび続けてきた感覚を、あなたが全否定するでもなく持ち続けていることは、なにか意味があることのようにも感じました。私の勝手な感覚にすぎませんが……。
諦念や疲労や困惑といったものは、霧が晴れるようにすっきりとなくなるわけではないのかなと思います。ただ言葉にする中で、もしかしたらなにか見えてくるものもあるのかなと想像しました。壁打ちの場所としてでも、吐き出しとしてでも、なんとなく眺めるのでも、またよかったら死にトリにきてください。

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