学校でも、家でも辛いです。
学校を休みたいと、父に言いました。すると、父はこう言いました。
「学校はさ、ちゃんと行ってくれないと。甘えているんじゃないの」
その日は、父がちょうど会社を休みの日で、甘えじゃないかと、言われました。母にも、学校を休みたいと言ったとき、冷たくあしらわれた感じがしました。休みたいといったとき、振り向いてもくれない。怒ってもくれない。無視された気分です。
いつも優しいのに、なんでこういうときだけ、
「そんな時もあるよね」
と言ってくれないかな、と思います。甘えかもしれませんが。
そんなことの積み重ねで、生きていることの喜びがなくなりました。
気持ちを伝える手紙も書いてみました。だけど、読んでもらえない。もう私の味方はいないのかも…と泣いて、死にたい思いでいっぱいの日々です。
私はどうすればいいのでしょうか。
私は、なんで生きているのでしょうか。
私に味方はいるのでしょうか。
学校事情についてはありません。
長文で、文脈が変ですが、許して下さい。
だれか、私の気持ちをわかってくれる人はいますか。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
誰が私の味方ですか
感想2
私自身社会人ですが、会社に行くことが億劫になり休みたいと思うことはあります。
上司や同僚からは「甘えじゃないの?」「頑張れるでしょ」「子供じゃ無いんだから」などの声かけがあり、「明確な理由がなくても休みたくなる時、日があって良いじゃないか」「甘えという感情が悪いことなのか?」と怒りのような感情を抱いたりしながらも自分自身に言い聞かせています。
心のどこかで「そんな時もあるよね」と、言葉をかけてもらいたいと思いながら。
自分の気持ちを伝えたときに、無視されたような気分になるって、凄く寂しく辛かったんじゃないかと想像しました。何かあったの?って一言があるだけであなたの気持ちはずいぶん違ったのかなとも自分なりに思いながら読みました。
自分の想いを手紙にし、読んでほしい、自分の想いを解ってほしいと思いながらも、読んでもらえてない状況が凄く辛く切ない気持ちになりました。
あくまでも自分だったらと仮定して書きますが、親に手紙を書くことを諦めない、自分の最大の味方は自分だという思い、行動をするかなと。
今、そしてこれから歩む人生の中で、あなたにとって味方になってほしいと思えるような人を探す、出会うことが生きる、生き続ける意味になるのではないのかなと個人的に思いました。(自分勝手な解釈で申し訳ありません)
感想1
ささいな優しさや気遣いが身近に感じられないなかで「少しの理解でいいから誰かから向けられたい」、そんな気持ちが込められているように感じながら読みました。
「休む」や「休日」や「休息」など、身体と心を落ち着けるための言葉としてさまざまなものがありますが、どこか「適切に」、「決まったタイミングで」というものが勝手に紐づいてしまっているように私自身常々感じています。本当はそんなことないし、それこそ誰もが風邪やその他色々な理由で休むことだってあるはずなのに、なぜかそこに誰もが納得するようなものがないとその時ですら休めないような圧を感じる気がしてなりません。
「甘えているんじゃないの」とあなたに言いながらも自分は休みだったという父親に対しては思わずツッコミそうになってしまう私がいますし、「自分はよくてあなたはダメ」とあなたが言われているようにも感じて、「それはさすがに理不尽なのでは?」とも率直に思ってしまいました。
「いつもは優しいのに」と感じていることには、全てをないまぜにして親を見ないようにしているあなたのまなざしがあるのかなと想像しつつ、だからこそ本当に身体や心が辛い時にそれをすくいとってくれない苦しさもまたあるのかなと思っています。
近しいからこそ伝わりあわない思いがあると私自身思いますし、親には親の価値観もあるのかもしれません。ですが、手紙に書いて伝えるなど、あなたなりに何とかして伝わってほしいと思いながら模索しているその気持ちや思いが、親にしても親でない存在にしても少しでも伝わることがあってほしいなと思います。