とても不安定な子供時代を過ごしました。きっとその時に感じた世界の見方が自傷に繋がってしまったと思います。
小学校ではいじめられていて、通学路の反射する棒に私の名前と死ねと言う言葉がかかれていたのを覚えています。
家は貧しいわけではなかったので、衣食住に本気で困ることがありませんでした。ただ母がとても不安定でした。教育熱心なところがあって、一緒に勉強するんですが私ができないことがあると椅子を振り上げて怒られたりしていました。また、家族とも他の誰かとも揉めた時、先にいきなり土下座して相手に罪悪感を植え付けてなんとかしようとする人で、とにかく話し合いというものが苦手な人でした。父が単身赴任であまり家にいなかったことから色々背負いすぎたのかもしれない。よく知らないけど。それから兄もいて、兄も学校で嫌がらせされてたりしたみたいだし、母の教育を受けていたのでその鬱憤を幼い頃は私への暴力で晴らしました。
たくんさんあったけど、私が一番傷ついたのはバカもブスも死ねもたくさん言われてきたけど、そんなのは本当に瑣末なことで、下校中に私をいじめていた男の子がこっそり私の体を触ったことでした。人は自分の何かを満たしたい時に他人の性を道具にして満たすことがあるのだと知りました。それは一番私の自尊心を削りました。親にも先生にも言えなくて今も誰にも言えてない。
これが私を取り巻く環境だったんです。なので自信がなくて。なんの根拠もないんですが、自分が悪くて人間という存在よりも一段下なのだろうという意識がなんとなく芽生えていました。話しかけてもらえると嬉しくなってしまって私ごときにありがとうございますという気持ちになりますし、人が不機嫌そうだと絶対関係なくてもいったん私が悪いのだろう、キモくて不快にさせているのかもしれない、と考えてしまう。それでも本を読むとかアニメとかゲームとか楽しいことがあったのでこの世界に居場所をもらえているだけ幸せだと思っていました。
中学生になると優しい子がいてくれて目が合うと笑って手を振ってくれる子ができました。そうするとすごく嬉しい気持ちになって今度は幸せなことに不安になりました。なのでその時カッターで足を切りはじめたんです。決して見せびらかしたいわけではなく、本当に痛みを捧げるような気持ちで。先に罰を受けないといけないという使命感でした。何を言っているかわからないかもしれないけど、本当にそうなんです。罰を受けないと素敵なことを受け取ってはいけない気がする。やっておかねばならないことでした。なので腕ではなく服で見えなくなる太ももを切りました。良いことがあると不安で足りない気がしていっぱい切らなくてはならないんです。どんどん増えていきました。
大人になった今は、身体を刃物できらなくなったんですが、精神的に自分はダメなやつだとか思うことである意味罰を受けようとしているような気がします。そうしたら辛かった分幸せになれる気がして。そんな謎の帳尻はないのはわかるんだけど。しないと不安なんですよね。私は自分を罰したくてどうにもならない時に経験談とかをみて、いろんな経験や辛さを私がわかるとは言えないけど、それでもぜったいダメなことされてるのに自分はダメだとか言っている人を見て少し落ち着くのです。同じ辛い思いはしてないかもだけど、処理の仕方はどこかでにるのかなと。ただ経験談の人たちがダメだ罰を受けるべきなんて一ミリも思わないけど。
いま、私は幸せなこともたくさんある人生を生きているんです。ただ変な現実の受け取り方をしてしまったために、幸せだと罰を受けないといけない気がして怖くなるんです。自覚があるのに不安になると自分を傷つけたり精神的にいじめたくなってしまうし、幸せが大きいとこわくなる。幸せだと過去言われた酷い言葉を引っ張り出してでも私はそうなんだとか思いたくなってしまう。自分をダメだと思うと悲しくもなるんですが、でもそれでも何か自分をひどい言葉で否定すればするほど気が晴れたり、疲れてもういいやって気持ちになって怖さがちょっと楽になる。
浮かんできたものをそのまま書いただけなので、よみにくいかも。最後まで読んでくれた人はありがとうです。
感想1
同じ経験や出来事ではないのですが似たような事で「幸せをそのまま受け取るのが怖い」という気持ちを、私も少しだけ理解できるような気がしながら、経験談を読ませてもらいました。読んでいて、いじめやお母さんとの関わり、お兄さんからの暴力、そして誰にも言えなかった性被害まで、本当に辛い時期にきっと誰にも言えずに孤独に戦っていたのかなと想像すると、貴方を守ってくれる人や辛さに気づいてくれる人は誰もいなかったのかと、憤りを感じてしまいます。
いじめや家族からの身体的、精神的な暴力、どれもとても辛かったはずで些細な事ではないのにも関わらず、性被害はその出来事を瑣末と思ってしまう程の出来事だったのだと思うし、そういった苦しさはその当時だけでなく、生きていく中で苦しさが表面化してくるなんてこともとても多いので、そういった苦しさを貴方も抱えて今生きているのだと思います。少しずつ自傷という形は変わっていても、“幸せだけを受け取ることが怖い“という貴方の想いの根本は変わらず、その消えない苦しさも伝わりました。今の「幸せになると怖い」「先に罰を受けなければ」という感覚は、あなたなりに自分を守るために身につけてきたものなのかもしれないなと感じています。人はあまりにも苦しい経験を重ねると、「この幸せはいつか壊れるかもしれない」と無意識に身構えてしまうことがあります。だから、自分から先に傷つけば、それ以上傷つかずに済む気がする。幸せの代償を自分で払っておけば、大切なものを失わずに済む気がする。その考え方は決して楽なものではないけれど、あなたがここまで生き延びるための防衛でもあったのではないかと私は思うと、よくここまで頑張ってきたねと手を取り、貴方を労いたいと思ってしまいました。
それでも今の文章には、「私は幸せなこともたくさんある人生を生きている」と書かれていて、勝手にその一文に安堵した私がいました。苦しさの中でも、自分の今を客観的に見つめられていること、そして自分の受け取り方の癖にも気づいていること。それは決して簡単なことではないと思うし、それだけ自分で自分の思いや感情を考え続けてきたのかなと想像します。社会的には自分を傷つけることは良くないことに捉えられることが多いと思います。それでも、それで自分を保ち、なんとか生きてきたのなら、それは否定される事ではなく、貴方の努力のあり方みたいなものだと思うのです。もちろん、それでも、これから先、嬉しいことや穏やかな時間が訪れた時に、「罰を受けなくても、この幸せを感じていいんだ」と思える瞬間が、少しずつ増えていってほしいと思っていますが、自分に罰を与えてしまう自分を否定せず、そんな自分がいたって良いじゃないかとくらいに思ってもいいよと伝えたいと思いました。私もまとまらずすみません。また、苦しい時は経験談を見たり、投稿したりしてほしいなと思います。