経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
はじめまして。
私は現在うつ病の治療中で、最近やっと抗うつ薬の量が安定してきました。おかげで希死念慮は少なくなったものの、梅雨だからでしょうか、色々考えが巡って「生きていたくない」という結論に行き着いてしまい、苦しくて文字に起こしています。
現在大学1年生の私は、サークルもバイトもしていません。昔から何かを休む自分が本当に許せなくて、学校や部活は、泣きながらだろうが執念で行き続けていました。この特性上一回所属すると休むことも抜けることもできないだろうなと思い、サークルにはいっそのこと入らないという選択をしました。バイトに関しては、両親が無理してやらなくてもいいよと言ってくれているのもありますが、一番は社会が怖いからです。怒られるのも誰かが怒られている場面を見るのも苦手、注意やアドバイスでさえも「嫌われた」と思い込んですぐに泣いてしまう(内容は関係ない)、想定と違うことが起こると頭が真っ白になってしまう、人を頼れない、その結果失敗する、並行作業ができない等……私はHSPの指摘も受けているのですが、HSPは気質であるため治りません。なのでこの苦しみと生きづらさとは一生付き合っていくのでしょう。
友達からたまにバイトの愚痴を聞きますが、愚痴に昇華できていいなと思ってしまう始末。きっと私だったらその場で泣いてしまうし、行きたくないと思っても休んだり辞めたりすることを自分が許せなくて結局続けるだろうし…………… どうしてこんなに社会に適応できないのかなと思ってしまいます。自分を守るという意味ではこの選択たちは良いのかもしれませんが、いずれ社会に出ないといけないのに。果たしてこの世界に、私が働ける場所はあるんでしょうか。
大学を卒業したら社会に出て働かないといけない。誰にも嫌われたくないのに嫌われるようなことしかできない。自分のお金や時間を自分で管理しないといけない。若干のトラウマのせいで恋愛もしたくない。でも結婚したり子どもを産んだりするであろう周りを見て苦しくなるはず。親が歳を重ねるのも見たくない。ずっとずっと今のままでいてほしい。仮に定年まで働けても、その後は自分の衰えを感じながら生きないといけない。これからの人生辛いことばっかりなのに、どうして生きないといけないのかと思ってしまいます。どうして生まれたのかと思ってしまいます。生きていたくない。命を絶ちたいというよりかは、暗い部屋で毛布に包まったままいつまでもじっとしていたい感覚です。
死にたいと思うことが少なくなって、ようやく趣味を楽しめるようになって、ごはんを美味しく食べられるようになったのに。
わたしはえらいから泣かない。と思えば思うほど、涙が溢れて止まらない夜です。
感想2
お返事を書いている私も、毎年梅雨の時期に調子が崩れることが多く、思わずタイトルに惹かれました。
お天気のように、自分の力だけではどうしようもない、ままならないしんどさが横たわっていることを感じています。
休むことを許せない性分があるあなたにとって、毎日行くことが前提にある学校や部活は、なかなかに大変だったのではないかと思いました。「休む」ということが、あなたにとってどんな意味合いをもつのだろうかと考えながら、休むことで生まれる不安や罪悪感を、誰かや何かのせいにするでもなく、まるごと自分で引き受けてしまうような、そんな苦しさを想像しました。
大学のサークルは、本格的な活動から気軽に参加する雰囲気までさまざまあるように思いますが、「自ら選んで参加する」という部分は学校や部活とは異なるように思いました。
HSPの指摘も受けているとのことでしたが、多くの苦労を重ね、自己否定の刃を絶えず自分自身に向けてきたあなたにとって、自らの意思でどこかに所属したり、他者と関わる場所に参加していくということは、途方もない不安とプレッシャーの始まりにもなり得ることを感じました。
社会が怖いと感じることは、私自身も覚えのあった感覚だったので、他人事とは思えない気持ちで読みました。周囲を飛び交う他者の感情群に揉まれながら、思ったことや感じたことをありのまま表出してはいけないような空気感、湧き上がる感情を整理したり吟味する間もないまま次の場面がやってくることなど、あなたが感じている生きづらさと同じではないかもしれませんが、自分を後回しにして常に外に向かってアンテナを張り巡らせることは、心身ともにエネルギーを消耗することだと思います。
「どうしてこんなに社会に適応できないのかな」と書かれていましたが、「これくらい普通」「当たり前」といった価値観で自分のままでいることを阻んだり、苦しさを片付けてしまおうとする社会の側にこそ、問題があるのではないかと私は思っています。
私たちのこころに内面化された「社会」は、本当はそれぞれの生き方がある私たちを比較や競争の土俵に乗せ、不安を煽ってくるようにも思います。
そんな中をサバイブしていくのはなかなかに大変で、「暗い部屋で毛布に包まったままじっとしていたい」と思うのは無理もないことだと感じています。
つらつらと思ったことを書き連ねてしまいましたが、またよかったら声を届けてほしいなと思っています。投稿ありがとうございました。
感想1
読んでいて、自分のことをとてもよく理解していて、その感覚を言葉にすることが上手な方だなと感じました。「怒られるのも、誰かが怒られている場面を見るのも苦手」「注意やアドバイスでさえ嫌われたと思ってしまう」「休むことを自分が許せない」。一つひとつの言葉から、自分の苦手さを曖昧にせず、丁寧に整理しながら生きてきたことが伝わってきました。その一方でHSPは気質だから変わらない。その前提があるからこそ、大学卒業や就職、恋愛、親の老い、自分自身の老いまで、これから先に起こる出来事を一つひとつ思い浮かべ、「きっと自分は苦しくなってしまう」と未来まで見通してしまっているようにも感じました。本当はまだ起きていない出来事なのに、その苦しさまで先回りして抱えてしまうのは、とても疲れるだろうし、これから先を不安に感じてしまうのも自然なことなのだろうと感じました
「休むことを自分が許せない」という感覚は、昔からあったと書かれていましたが、その背景には何かきっかけがあったのでしょうか。泣きながらでも学校や部活へ通い続けてきたことは、もちろん無理を重ねてきた苦しさもあったと思います。でも私は同時に、どれだけ辛くても投げ出さず、自分なりに踏ん張ってきた力でもあるように感じました。社会では「頑張りすぎは良くない」と言われることもありますが、私はその粘り強さまで否定する必要はなくて、貴方の力だとも思うのです。だからこそ今必要なのは、“頑張ること”をなくすことではなく、“休むことも頑張り方の一つ”くらいに、あるいは“休む日も最初から生活の一部なんだ”と思える日が少しずつ増えていったらいいな、と思いました。真面目な人ほど、休むことを怠けることだと受け取ってしまいますが、でも人は休むからまた動き出せるのであって、今も少し休んだからこそ少し回復していると感じているようなので、休むことも生きていくための大切な力なのだと思います。最後の少しだけ回復してきたことを感じているという一文から、苦しさばかりに目が向いているように見えて、その中でも確かに回復してきた部分があることを、あなた自身がちゃんと気づいている。その変化は決して小さなことではないと思います。「私はえらいから泣かない」と自分に言い聞かせていますが、泣く夜があってもいいじゃない。泣く事で貴方の辛さが一緒に少しでも排出されるのであれば、私は泣くことは全く悪いことではないように感じました。どうかこれから先も、自分を守る選択を責めすぎず、少しずつ安心できる時間が増えていくことを願っています。