幼い頃から人の話を聞くのが苦手だった。
声は聞こえているのに内容がイマイチ理解できない。
同じ内容を文章にしてもらえると理解できることもあるから、やはり耳で聞くことが苦手なんだと思う。
聴覚は異常無し。声は聞こえているのになにを言っているのかわからないのだ。視覚で例えるならインクが液体で滲んだ文章を読まされている感じ。
例えその時聞けていたとしても、その時の記憶は薄らぼんやりしていて霞のようにすぐ消えてしまうのでメモを取ろうにもどうしようもない。
学生のとき、授業では先生が話す内容、テストに出る大事なことを大体黒板に書いてくれていたから学業で心配することはなかった。友達も優しかったから何回も話を聞き返してくる私にちょっと呆れつつも付き合ってくれていた。
ただ、社会人になるとそうはいかなくなる。
上司の指示を聞く時、取引先と会話するとき。
名前だったり、内容を間違えることは許されない。
あやふやな内容でする報告は社内だけでなく、相手の会社にも混乱を招いてしまう。
大学ではなく、わざわざ専門学校にいってまで就いた憧れの職は、職業柄、メモをとる事が難しい職だった。物理的にメモを持ち込めない、メモが出来る状態のときでもあちこちで指示が飛び交っていて、自分の能力では誰が何を言っているのかわからない。
先輩や上司に相談したくても、その元になる情報が聞けてないからそれもできない。
わからないがわからない。そんな体たらくなので仕事の独り立ちができず、同期との能力差はどんどん広がっていった。周りに申し訳なくて、無意識に職場の人と距離をとるようになった。
後輩にろくな姿を見せられない。毎日誰かしらに怒られて、職場で泣いていた。結局適応障害によりその仕事は一年半で辞めてしまった。
数年間無職ですごし、他職業ではあるがやっと仕事が出来るようになったのが半年前。その時はメモが取れる環境なら少しは仕事が出来るようになって、やっとまともな社会人になれると思っていた。
実際、書類作成がメインだった最初の1,2ヶ月は順調だった。少し慣れてきて、電話対応や口頭で飛んでくる上司の依頼を処理するようになってきた頃。歯車が狂い始めた。
取引先の名前がわからない。受けた指示を間違って理解してしまう。メモをしても肝心のメモの内容を間違えている。
報告する時も、聞いた内容が合っているか頭の中で確認しながら話しているためシドロモドロになって結局なにを言っているのか自分でもわからなくなる。上司の時間を奪って、挙動不審で意図のわからない報告もどきをダラダラと話す。
ミスを繰り返すうちに最初は優しかった上司の態度も変わってきてしまった。笑顔が見られなくなって、私がミスをした後は露骨に不機嫌な感情を表にだすようになった。他の社員の態度もよそよそしくなってきた。正直とても話しかけづらい。
また負のスパイラルに陥ってしまった。いや、過去よりさらに悪化している。現在耳で聞く話は9割も理解できない状態である。頼みの綱だった文章も、読んだときに頭に濃い霧が立ち込めたような感覚になりろくに内容が入ってこない。脳みそが機能していない。貰った仕事も8割はミスしている。完全にお荷物だ。
今の私の社内での評価は「人の話を聞けない人」らしい。
上司も私がミスを減らせるように努力してしてくれているが、改善が見られないのでどうしたらいいのかわからない状態だそうだ。
せっかく仕事を教えて貰っているのに何も理解できず、上司達には申し訳ない気持ちで毎日を過ごしている。
正直仕事に対してなにもやる気が起きず、今すぐにでも仕事を辞めたい。しかしそれだと短期離職を繰り返すことになるうえ、何より親、友達に合わせる顔がない。無職に戻りたくない。
こんな中途半端な耳なら、最初から無ければ良かったのに、と身勝手で不謹慎なことばかり考えてしまう。
今の自分が嫌で、つい楽しかった学生時代を振り返ってしまう。あの頃と随分変わってしまった…もちろん悪い方向に。
好きだと言って貰えた笑顔も愛想笑い以外で人に見せることは無くなったし、過去に熱中していた趣味に対して喜びを感じることも無い。過食でブクブクに肥太って、昔の友人にはもう認知して貰えないかもしれない。ミスがバレるのを恐れて嘘ばかりつくようになった。最悪だ。
これも全部、悪い特性を知っていながら無視した自分の甘えにあると思う。自分が自分を地獄に落とした。
振り返るのも嫌になって最近学生時代の思い出も全て消してしまった。もう何も残っていない。
学歴はない。ろくな職歴もない。根性もない。
若さだけはあると思っているが、果たしてこの無限地獄から逃れるすべはあるのか。
消えてしまいたいが、死ぬことを実行に移す勇気がどうしても出ない。
無い。無い。何にも無い。何もできない。
今はただ、神様がいるのなら一刻も早くこんな出来損ないをなんとかして欲しいと願いながら日々を過ごしている。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
聞こえない、わからない
感想2
人それぞれに得手不得手が備わっているものですが、集団の一員となって共同作業をするとなったとき、その特性に善悪や利用価値が付与されてしまうのは残念なことだと常々思います。多様性・個性を活かそうとの言葉は聞くことがありますが、現状は「みんな一律に、同じように」タスクを熟すことを求められることが多く、人それぞれの特性を生かすことができないどころか、その良さが潰されてしまうような環境に身を置かざるをえないことも多々あると感じ、それもまた非常に惜しむべきものだと思いながら読んでいました。自分にとって効率の良い方法を選択できない、得意でないことをやらなければいけないというのは、脳にとっても莫大な疲労になるし、多くの認知コストを使いながらも他の人と比べて成果に反映されないということは、重いプレッシャーやストレスになってしまうと思います。そして肉体的・精神的に追い詰められ、それによってまたパフォーマンスが下がる…という負のループが形成されてしまいます。あなたはまさに今この状態にあり、心身ともにくたびれ果てている、そんな状況が伝わってくる文章でした。
私は文字の読み書きが得意ですが、それに比べて聞いた音声を言葉に変換して認識すること、自分の考えを言葉にして口に出すことが苦手です。メンタルがしんどいときほど人の話し声を認識できないし、自分の言葉が流暢に口から出てこなくなってしまいます。脳内のコンピューターが重くなり、入力にしても出力にしても、あの待機時に表示されるマルがずっとグルグルしている感じです。あなたの「インクが液体で滲んだ文章を読まされている感じ」、すごく的確な表現で思わず膝を打ちました。そのほかにも、会話の中で感じる困難さがよく表現されていて、随所で「あるある!」と頷いていました。
分からないことは聞き返せばいいと言われたらそうだけれど、何回も聞き返すのはやっぱり申し訳ない気持ちにもなってしまうし、そもそも何て聞き返せばいいのか分からないでグルグルしているうちに相手の会話が終了してしまったり、てんてこまいです。会話というのは即時的なコミュニケーションであり、速く正確な応答が求められるし、一度口にした言葉は文字のように消せないという緊張感があると思っています。書き言葉は一度書けば何度も見直せるし修正できるけれど、筆記や入力には時間がかかり、速さが重視される現場においてはメモを取る時間が取れないことはどうしてもあると思います。
けれど、従業員が働きやすいように環境を整える、頼む仕事を工夫するというのは企業側の義務だし、企業に対して自分の辛さを訴えることはけして悪いことではないと思います。企業側にしてみても、従業員と一緒に働きやすさを考え、労使関係を調整していくこと、それが結果として生産性向上に繋がりうるはずです。もしまだ上司さんに話せそうなら、辞める選択をする前に、聞くことが苦手で口頭での指示が通りにくいこと、電話が苦手なこと、文章の方がわかりやすい、メモが取れるなら安心できるなどの事情も含めて一度伝えてみてもいいかもしれないと思いました。あなたの負担が少しでも軽くなる働き方ができるように心底願っています。
近年ニューロダイバーシティという言葉が普及しつつあり、脳や神経系までにも個人差があることが明らかになっています。よって、音を聞き取る→言葉に変換する→それに対する応答を考える→言葉にして話すという複雑なプロセスを完遂する時間、完遂しやすさにも当然個人差があるのだけれど、それが周知されずに不可視化されているのが悔しいながらも現状です。人それぞれ特性があり、それに基づく得意不得意があるのは当たり前、環境に適応できない特性を持つ個人が悪いと問題を自己責任化するのではなく、様々な個性を持つ人それぞれがその能力を発揮できる環境を作っていくように風潮が変わっていってほしいです。
感想1
人から「おはよう」と挨拶をされた時に、「おはよう」と返事をするまでに、お・は・よ・うという音を認識し、まとまった音を感覚神経・脊髄を通り、脳で意味のある言葉として認識し、どのような表情や声色で返事をすれば人間関係がうまくいくかなどの情報まで処理してまた脊髄と運動神経を通して筋肉に伝達してようやく返事ができるようで、それらの情報伝達と命令を多くの人は0.1秒でやってのけていると聞いたことを思い出しました。その反応の全てがうまくできると言うのは、とてつもなく至難な技だなあと思ったことがあります。
音を言葉として認識する伝達運動の苦手があなたの中にあるとすると、視覚情報の意味を認識し理解することで補ってこられたと言うことになり、あなたの地頭の良さを感じています。学業において問題がなかったこと、また憧れの職業に就くための努力ができること、それらはあなたの優秀さを物語っていると思います。
あなたのおっしゃるように、社会に出ると教科書や板書やノートというものが失くなり、視覚情報ではなく聴覚情報で処理しなければならない場面に遭遇します。自分の苦手なことを強要されるような、そんな日々が続く中でも、あなたは適応障害を患うまで、環境に適応しようと努力したことが伝わってきました。
わたしはあなたとは逆というべきか、視覚の文字情報を脳に保管して処理するのが難しいです。机上の勉強はてんでだめで、テストは本当にできず、学生時代には点数など殆ど取れませんでした。一方で感覚で処理するのが得意なようで、居酒屋のアルバイトをした時に大量に注文されるドリンクを体で覚えることは卒なくできました。
こんな風に、できること・できないことが環境によって苦しくなったり、楽になったりすることがあるのだな、と改めて発見させられている思いです。しかしながら「できることと、できないことにむらがある」というのは周囲に理解してもらうのも、自分が理解するのも双方において苦労することだなと思います。
このむらは、最近でいうLD・SLD(学習障害・限局性学習障害)の一つと言われます。「読むこと・書くことが苦手」は有名かもしれませんが、「聞くこと・話すこと」の困難を抱える人がいるのも、冒頭の伝達運動の膨大な量からも当然のことと言えます。
何度も聞き直してしまうことは、周囲からは集中していないと思われたり、やる気がないと誤解されやすいかもしれませんが、聞けていないのではなく、聞き取るのが難しいだけなんですよね。口頭の指示だけではなく、視覚的な指示があれば仕事をするのにも支障がないはずです。
多数派の当たり前に固執せず、それぞれが生活や仕事の上で感じる難しさや特性を、気づく機会を作りながら、それぞれに合わせた設計や配慮のある社会や学校になればいいなとつくづく思います。個々の特性に合わせて配属・指示したり、業務を遂行することができれば、どれだけの社会のエネルギーが増すことだろう。それがマネジメントだとも思います。ただ、そのためには自分の難しさを自分自身が理解しながら、周囲に伝え理解してもらうことが欠かせないことでもあるかもしれません。最近ではテクノロジーの進歩によって生活におけるLD・SLDを補われている方もいると聞きます(例えば視覚情報を読み上げてもらう、聴覚情報を文字起こししてもらうなど)。
「悪い特性を知っていながら無視した自分の甘え」と表現してくださいましたが、わたしはそうは思いませんでした。特性を知っていながらも、こなせる他の能力と環境があったからこそ、これまで困らなかったのだと思います。障害はその人のものではなく、人との間や環境に生まれます。自分自身で気づいた得手不得手を伝えながら(必要であれば専門機関も利用しながら)、あなた本来の優秀さを発揮できる環境(そしてわたしのようなものにとっては学校の在り方も)を、社会が一丸となってつくれたら、そんな風に思いました。