経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

『やらなきゃいけないこと』に追われる

30代前半元気な小学生と保育園児2人の母であり、フルタイムパートで働くワーママです。夫は週末は休みですが、朝早く夜遅いので平日はフルワンオペです。
仕事も大変ですが、人間関係は比較的恵まれています。夫も休みの日は家事育児をしますし、なにより優しいと思います。持ち家でお金持ちではありませんが、貧乏でもないと思います。

恵まれていると思います。でもただただ毎日やることに追われるのがつらいです。
四時前に起き、家中の掃除やら早寝の子供たちのために夜ご飯を作り、7時代には送っていき、体力勝負の仕事をし、お迎えの後は二時間以内にお風呂や食事などを終わらせて、子供と一緒に気絶するように寝ます。まだまだ一緒に遊びたい年頃です、もっとかまってあげたいと思いますが、私がやらなきゃ誰もやりません。ごめんねごめんねこれが終わったら一緒に遊ぼうと声をかけながら、急ぎながら家事をして、あー今日も見たかったYouTubeの動画一本も見れなかったなと思いました。 

週末は平日遊んであげられなかった分家族で遊び、たのしいですが、やっぱり寝る時間などりずむがくずれると子どもが不機嫌になるので、時間に追われながら色々終わらせます。

強く子どもに話しかけたり、八つ当たりのようにしてしまいます。ごめんねと謝ります。
仕事でも子供が体調崩したり休んだりでいつも謝ります。
仕事が休まずあずかってくれる義母にも謝ります。
やることが終わらず家事をやってくれる夫にも謝ります。

私が悪くないです、なのに謝らないといけません。

やることにおわれ、いつも頑張ってます自分の時間ないです、でもみんなに謝り倒さないといけないのに疲れました

何も考えず、ただ一日中布団で寝てたいです好きな時間に起きて好きな時間にご飯を食べたいです。
誰とも関わらりたくないです。

夫も子どものことも愛してます。
でもただただやることに追われる生活
に疲れて、ずっとしぬ妄想をしています。
次の日が来るのが怖いです。
起きた瞬間からやることに追われるのがいやです。
どうしたら明日が来なくなりますか?

感想1

他人事とは思えず感想を書いています。自分の時間が欲しいけれど、それは子供を放っておきたいわけでもなく、放っておくことにも罪悪感があったり、家事育児はやらないと結局溜まって後の自分にのしかかってくるだけだから、「一旦、休んだら」なんて言葉も救いの言葉にならず、というループから抜け出せず、誰にこのどうしようもない、誰のせいでもない苦しさを吐き出せば良いのかわからなくなる。そんな想いを感じました。
協力的な夫や義母がいて恵まれている環境にあるのに、こんな弱音吐いてはいけないと周りと比べ、もっと頑張らなきゃと張り詰めているような気がしました。実際、どれだけ協力があって実働が減っても、あなたの心がケアされなければきっと苦しいよなあと私は思うのです。子育てをしながら働くということは、少しずつ働きやすい方向に社会は変わってきていると言いながらも、全ての職場が快く休ませてくれるわけではなかったり、会社が容認していても働く同僚や上司、個人の想いまでは簡単に変容できないものです。社会が働くことを推奨しているならば、働く人みんなが自分の事情に合わせて働きやすい環境であるべきで、あなたが苦しさを抱えるのは、そんな社会や環境が整備されていないことにも課題があるのだと思います。
(少し私の話をさせてください)私はですが、自分が“母だから“と休むことが当たり前のように振る舞われると、休んでも良い仕事だと軽んじられているような気持ちや、普段から限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを出して働いていることを誰も知ってくれていないようななんとも言えない孤独に襲われることがよくあります。あなたにも似たような思いがあったりするでしょうか?そして謝り倒すことに疲れてしまい、「何故自分が?」と無気力になる想いが痛いほど身に覚えがあります。
周りに感謝する気持ちは間違いなくあって、謝りたくないわけでなくて、ただそれは日々の中で当たり前のようになり、ただその度に心は少しずつすり減っていっているということをあなたの身近な人に理解して欲しいなあ、と私は思いました。“母”である前に、あなたは一人の人間でもあって、自分だけの時間軸で過ごしたいと思うことは、こんなに頑張っていれば当然のことだと私は思います。どんなに汚くても週1度しか掃除をできない私には、毎日4時頃に起きて家族のために動き続けているあなたを想像すると、本当にお疲れさまですという言葉しか出てきませんでした。またよければ吐き出しにきてくださいね。

感想2

私自身には子どもがおらず、自分の親との関係も悪かったので「親の在り方」についてとてもシビアに考えていました。「子どもを持ったなら親としての責任を果たすのが当たり前」と。ですが子どもが生まれた兄妹や友だちの姿を見ていると、「親が親として在る」ということは当たり前ではないんだなと感じるようになりました。親の役割を必死に果たそうとしている一人の人間が、ただそこにいるだけなんだと考えるようになってきました。私が人の親になれる可能性は低いので、おそらく親の立場を経験することがないまま一生を終えます。だからこそ、こうして誰かの「親として在ることの苦しみ」に出会うと、よくぞ表現してくださったという気持ちになります。自分が知らない苦しみを教えてもらうことで、同じ社会を構成する一人として生活しやすい社会システムに何が必要なのか、自分にできることがあるのかを考えるきっかけになると思うからです。
大変な状況は人それぞれ、家庭それぞれにあるとわかってはいますが、親という役割ほど24時間365日、自分以外のことで必死になることも人生の中でそうそうないだろうなと思います。自分のことではないのに謝ったり、自分のためじゃない家事をしたり、自分のためだけじゃない仕事をしたり・・・感情的にも体力的にも自分以外に割くリソースが多すぎて、本当に「やらなきゃいけないこと」に常に追われ続ける毎日なんだと思います。それはどんなに人や環境や経済的に恵まれていても変わらない事実なんだろう思うのです。
何も考えず、人と関わらず、ただ一日寝ていたい。それを真実叶えることが難しいことを、なんとなくあなた自身はわかっていて文字にされているように感じました。本当に誰とも関わらず横になっていても、完璧に自分を誰かから切り離すことが困難なことをあなたは知っているような気がしたのです。それでも文字にするほど、日々が精一杯なのだと思います。精一杯な中で、やらなきゃいけないことをしっかりやろうと動き続けているのだと思います。
この国は働くことを勧め、子を持つことを勧めますが、子を持ち働く人への支援や環境整備が十分追いついていないことは親でない私にもわかります。それでも、この社会を構成する一人として、働きながら子どもを育む方々に何ができるのか、何を実行していけるのか、考え続けたいと思います。
勝手ながら、「疲れた」と、「もう嫌だ」と、言葉にすることを大切にしていただけたらと思います。誰に気を遣うことなく自分が感じていることを言葉にすることは、自分の気持ちを大切にすることにつながると思うからです。よければここを、そういう思いを言葉にできる場所にしていただけたらと思いました。
経験談の投稿、ありがとうございました。

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