私は双極性障害を患ってます。
衝動的に物を買い、暴飲暴食をし、ギャンブルをしお金を湯水みたいに使う貴族気分になる私。
死にたくなって、泣き叫び、自傷行為をするこの世の中でもっとも自分が不幸だといいたい私。
そんな2人の人が居るんじゃないかってくらい躁状態と鬱状態の波が激しい私、毎月支払いの不安に支配される。
後先考えず湯水のようにお金を使い借金までして残った物は請求書と滞納して利用停止になったスマホだけ。
ギャンブルの高揚感も一瞬のもので、食べ物もその時だけ満たされて消化されてしまう。
形に残るものに使ってない、本当に必要なものには使ってない。
鬱状態を拗らせて半ばクビになって職を転々として20代を消化し続ける日々。
自分の感情がコントロールできなくて積み重なってく請求に自分で自分を追い詰めてく。
こんな不安と一生一緒ならすっと人生を終わらせるのも手なのではないかと思う。
家族と絶縁して、悲しむ人は誰も居ない。
連絡も取れないスマホは私が消えた事も誰にも伝えれない。
良くも悪くもネット社会の今はスマホが止まれば誰とも繋がってない孤独感を強く感じる。
私は今誰とも繋がってない。
このネット回線もずっとは使えないから、これを書き終えたらまた誰とも繋がってないスマホと2人きりです。
鬱もなく働くことが生き甲斐になるような、社会が楽しいと思えるような私に来世は生まれますように。
感想1
ネット環境が限られている状況の中で、あなたがここに経験談を書いてくれたこと自体に、とても意味があるように感じました。読んでいて、ただ苦しさを吐き出しているというよりも、「私はここにいる」と誰かに伝えようとしている気持ちが伝わってきたからです。
あなたは「躁状態の私」と「鬱状態の私」がまるで別人のようだと表現していました。衝動的にお金を使ってしまう自分と、全てを失ったような気持ちになる自分。その振れ幅の大きさは、周囲からはなかなか理解されにくいものなのかもしれません。けれどそのどちらの状態にも共通して「安心したい」「苦しさから解放されたい」という願いがあるように私は感じました。特に印象に残ったのは、スマホが止まり、誰とも繋がっていないと感じている部分です。題名ではお金の不安を書かれているけれど、私にはそれ以上に孤独の苦しさが伝わってきました。症状によって生活が不安定になり、仕事やお金、人との繋がりまでもが揺らいでいく。その苦しさは単なる金銭的な問題ではなく、自分の居場所や社会との接点が少しずつ失われていくような感覚なのではないかと想像し、その恐怖感を1人で抱えているのだとすれば、生きていくことすら怖くなって当たり前だと思いました。来世は違う自分に生まれたいという願いの奥には、それほどまでに今を生きることが苦しかった時間があるのだと思います。だからこそ、今こうして苦しさを言葉にしてくれたこと自体が、とても大切なことのように感じました。経験談をありがとうございました。