経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
他人に迷惑をかけずに静かに存在を消したい
この春に高校生になりました。言語化がすごく苦手で、思ったことを素直に書いてるだけなので脈絡がなく支離滅裂な文章になっているかもしれませんがご容赦ください。
私は、最近自分が発達障害なんじゃないかとすごく感じるようになりました。ネットにある診断を複数してみてほぼ確実にそうだと思いました。どうにかしたいとはもちろん思いますが、精神科にかかろうにもかかれないんです。
私の親が私が発達障害と診断されたらなんと言うか、怖くて怖くて仕方がありません。たぶん私の子じゃないとかなんて言い出す気がします。
まあでもそりゃあそうですよね。正直自分なんて社会にとっていらない存在なんじゃないかってすごく思うんです。周りの支えがないと生きていけないで自立できない人なんかいらないですよね。人ですらないかもしれません。他人に迷惑をかけるだけのなのに別になにか優れた能力を持っているわけでもない、はたから見ればどこにでもいるような普通の人です。だから正直この社会に生きていること、今まで私を支えてくれた人にすごく申し訳なさを感じています。
あと、最近親にすぐごめんなさいとかすみませんって言ったり、敬語で話している気がします。別にそういいたいわけじゃないんです。口が勝手にそういうように動いてる、そういう感覚です。最近では、母の独り言(ちょっとしたいらだちによるもの)にもごめんなさいと言ってる気がします。多分私が過剰に責任を感じすぎているからなのだと思いますが、どうすればいいのかもわかりません。
私は人と話すのが本当に苦手です。相槌を打つだけで苦労してしまいます。だから友だちと出かけるとかってなったときは妙に緊張してしまいます。その上私は吃音症持ちですから、口を動かすのですら本当に怖いです。ずっと一人でいたいです。誰とも話したくありません。でもなにか誘われたらすぐに断りたいけどそれは迷惑になってしまうんじゃないかと思って断れません。
あと、聞こえていない悪口が聞こえる感覚がすごくします。辛いです。人と話していてもその言葉の裏に隠された意味を毎度毎度気にしてしまいます。それを毎回ネガティブにとらえてしまうのも辛いです。あと目が合うと、あの人は私に対してどんなことを思っているのだろう、と気にしてしまいます。
それにつながる話で言えば、私はもう何も信じられなくなりました。人間不信です。「死にたい」なんて言葉を検索すると「あなたはひとりじゃない」なんて言葉が表示されます。でも実際そんなことを感じたことは一度もないし、そんなの根拠もないただの綺麗事にしか思えません。実際自分と「全く」同じ境遇に陥ったことのある人なんて誰もいないのだし、何もわかっていない人に何が言えるんだと思ってしまいます。
でもここまで書いたことって、やっぱり自分に問題があるんですよね。それなのに人に頼るのってなんか違う気がします。自分の問題はしっかりと自分でなんとかするのが普通ですよね。本当に誰にも嫌な思いはさせたくないんです。他人に迷惑ばかりかける自分が本当に嫌いです。「早く死ねよこの社会のごみが。」なんて思ってしまいます。なんでこんなに社会に迷惑をかける人が生まれてきてしまったのか。こんなやつ存在しないほうがいい。死にたいじゃないんです。消えたいんです。死んだら死体も残るし葬儀もして墓に葬るなんてお金もかかるし、本当に周りに迷惑をかけてしまうので、想像しただけでもう嫌です。自分一人で綺麗さっぱり何も残さずに消えたい。生まれてきたこともなかったことにして存在を抹消したい。今までであった人の記憶から私という部分だけ消し去りたい。お前なんか今すぐに消えてしまえ。そんなことを自分に言い聞かせる日々です。私が消えれば社会も自分もより良くなれるのに。
感想1
投稿を読みました。私は20代になってから発達障害の診断を受けた発達障害の当事者です。私は「なぜ他の人にできることができないんだろう」と悩んで死にたかったので、その診断自体にはほっとした気持ちがあった記憶があります。ただ、あなたの過ごしている環境、とくに親からの眼差しの中には、発達障害や精神科などに対する強い抵抗感や差別意識のような感覚があることを、あなたは受け取っているのかなと思いました。そうだとしたら、あなた自身も、他の人と違う感覚があること自体が、すさまじくダメなことのように感じるとしても無理もないことだと思いました。
あなたが発達障害の診断を受けることがあるかないか私には判断することはできませんが、少なくとも私はあなたが苦しんでいることが「あなたの問題」とは思いませんでした。
ニューロダイバーシティの考え方では、私たちの脳の発達の仕方はさまざまでそれに優劣はなく、ただ人数の多い人たちが「定型発達」とされて、その人たちのやりやすい形で社会が作られてきたからこそ、数の少ないタイプの人たちは不便なことが多くなるのだと説明されます。これは障害の「社会モデル」の考え方にも通ずるものだと思うのですが、それは障害が個人の体や脳やその人自身の中にあるのではなく、不便な社会の側にあるという考え方です。
私たちの社会は、なんとなく同調して、なんとなく合わせることを求められることが多いと思います。私は言語化されていないことを読み取れないことが多いので、苦労してきた部分が多々あります。
また、自己責任論的な風潮も強くて「迷惑をかけてはいけない」というメッセージもたくさん飛び交っています。それは不均衡な抑圧のメッセージでしかなく、私たちを苦しめているものだと感じます。あなたはきっと真面目な方なんだろうなと思うのですが、だからこそ「頼るべきではない」「迷惑をかけてはいけない」というメッセージを守らねばならないと思って、余計に苦しみが強くなってしまう部分もあるのかなと想像しました。
ちなみに私はいま私以外にも発達障害やなんらかのマイノリティのほうが人数の多い環境で生活していて、友達も職場の人もいろんな特性のある人がかなり多いです。そんなこともあってか、個人的には「発達障害はだめ」とか「こういうことができないとだめ」という言説に納得のいかない気持ちが強くて、「その人が暮らしづらくなっているとしたら、それは社会の無理解のせいじゃん!」と、どこともわからない社会に対して言い返したいような感覚になってしまいます。それと同じように、あなたがきっとこれまで見聞きしてきた、あるいは感じてきた、自己責任論や「人間はこうあるべき」というような言説にひとつひとつ言い返したいし、あなたにあなたが悪くないことを言いたい気持ちがふつふつわいています。
「周りの支えがないと生きていけないで自立できない人なんかいらないですよね」とありましたが、実はこれは逆なのだと思います。たくさんの物や人や制度にうまいことタダ乗りできている人ほど、自立できているかのように見え、うまく支えを使えない状態にいる人のほうが、自立できていないかのように見えるというジレンマがあることをお伝えしたいと思いました。それは社会の不均衡に過ぎず、ぐらぐらするような支えのたりない感覚があるとすれば、もっと迷惑をかけて、支えられるべきなのに、自分だけでがんばらされてしまっているということなのだと思います。
そんな社会をどうやったらマシにできるのか考えても一朝一夕のことではなく、あなた自身のいまの家や学校の環境でのつらさを直接減らす方法をぱっとは思いつけないのですが……。これまでの経験から人間不信になるのも無理はないと思うので、その中であなたが困っていることを、リアルな人(学校の保健室の先生とか、相談に乗ってくれる人など)に話すのはハードルが高いのかなとも想像しています。その中で、インターネットを介して死にトリにきて、素直な言葉を届けてくれてありがとうございます。
そういえば、最初に 「言語化がすごく苦手」とあったけれど、あなたの思いや感じていることが、もちろんすべてではないにしてもわかりやすく伝わってくる経験談と私は感じました。だから、あなたがなんで「すごく苦手」と思ったのかなぁと気になりました。言語を使う場面はたくさんあって、あなたが人と話す場面でたくさん緊張して苦しんでいることが伺えたので、そういうシチュエーションでのことと「言語化」そのものについての大変さが混ざっているのかなぁとも思ったりもしています。そんなふうに実は全部が苦手というわけではないことも、本当はいろいろあるのかなと思うのですが、たくさんの緊張や不安を抱えながら、一人でそれを紐解いていくのは簡単なことではないと自分の経験からも思います。あなたの抱える思いや感じてきたことをもとに、一緒に研究してみたい気持ちになりました。よかったらまた死にトリにきてください。
感想2
読みました。あなたの気持ちがすっと入ってくる、滑らかな文章だと思いました。
コミュニケーションの困難や人に対する不信感で日頃とても疲弊しているうえ、自分を責める声が聞こえるのもとても辛いだろうし、心が休まる瞬間がほとんどないのではないかという気がしました。
また、通院や障害を診断されることについてのスティグマはしつこいものだと感じました。精神科にかかる・かからないにかかわらず、個人の特性や困難はとっくに現れているのになあ、と思います。しんどさの原因を発見して、個人がよりよく生きる方法を探るのに使うのが病院というツールだと私は考えています。病気やケガを放置して、見ないことにしてもそれがなくなったことにはなりません。精神のことについても同様、あるものから目を逸らしたり、蓋をしたりしても何にも楽にはならないと思うのに、そんな空気が蔓延していることにはとても残念な気持ちです。
私は診断される程度ではありませんが、得意・不得意なことのギャップが相当あり、人と比べてちょっと不器用です。自分の気持ちを把握するのが苦手で、コミュニケーションもとっても下手くそです。何かに依存しなければすぐに情緒が不安定になるし、周囲に迷惑をかけまくっている自信があり、強烈な申し訳なさを抱えて生きていました。
ところで、私と「全く」同じ人はいませんが、程度の差はあれど私と似たような境遇だったり、特性を持っている人は数多と存在していると思います。もし、私が「社会に迷惑をかけるから」という理由で消える必要があるのであれば、その私と似たような人々もまた消えなければならないことになると思います。であれば、いったい、どれだけの人が社会からいなくなればよいのでしょう。どのくらいの人々を排除したら社会はより良いものになるのでしょうか?そうだとして、無数の屍の上に築かれた「より良い社会」は、果たして本当に良いものと言えるのでしょうか。
そんなことを初めて考えたとき、私は強い自責から一転して、はっきりと憤りを感じました。私と似たような人は、今までもたくさん存在したと思うし、これからもたくさん生まれてくると思います。この社会は、そのような「正常」からずれた特性も持つ人たちをわざわざ抑圧し・排除しなければ成り立たない社会で、これからもそうであり続けるのでしょうか。社会のあちこちで生じている問題をすべて個人の責任に帰属していては、何も変わらないのになあとやりきれない気持ちになります。
それに、本当に人間がたった一人で完結して生きていけるのなら、社会を形成する必要すらもなくなると思いました。とあるお医者さんが「自立とは依存先を多数持つこと」と言っていますが、私もまさにこれだと思っています。実はこの社会は人間が人間を頼り、頼られ、迷惑をかけ、かけられることで回っているような気がしています。だから、他者に頼って生きていくことこそが人間らしい生き方なのではないか、と最近の私はこのように考えています。
しかし、私がこう言ったところであなたの自責感や消えたい気持ちが楽になるかと言えば、きっとそんなこともないのだろうと思います。ただ、強調してお伝えしたいのは、あなたはあなたの苦しみを一人で抱え込まなくていいし、人を頼っていい大切な存在であるということです。ぜひ、この場所も頼りにしてください。あなたのしんどさが少しでも薄まることを願っています。
感想1
投稿を読みました。私は20代になってから発達障害の診断を受けた発達障害の当事者です。私は「なぜ他の人にできることができないんだろう」と悩んで死にたかったので、その診断自体にはほっとした気持ちがあった記憶があります。ただ、あなたの過ごしている環境、とくに親からの眼差しの中には、発達障害や精神科などに対する強い抵抗感や差別意識のような感覚があることを、あなたは受け取っているのかなと思いました。そうだとしたら、あなた自身も、他の人と違う感覚があること自体が、すさまじくダメなことのように感じるとしても無理もないことだと思いました。
あなたが発達障害の診断を受けることがあるかないか私には判断することはできませんが、少なくとも私はあなたが苦しんでいることが「あなたの問題」とは思いませんでした。
ニューロダイバーシティの考え方では、私たちの脳の発達の仕方はさまざまでそれに優劣はなく、ただ人数の多い人たちが「定型発達」とされて、その人たちのやりやすい形で社会が作られてきたからこそ、数の少ないタイプの人たちは不便なことが多くなるのだと説明されます。これは障害の「社会モデル」の考え方にも通ずるものだと思うのですが、それは障害が個人の体や脳やその人自身の中にあるのではなく、不便な社会の側にあるという考え方です。
私たちの社会は、なんとなく同調して、なんとなく合わせることを求められることが多いと思います。私は言語化されていないことを読み取れないことが多いので、苦労してきた部分が多々あります。
また、自己責任論的な風潮も強くて「迷惑をかけてはいけない」というメッセージもたくさん飛び交っています。それは不均衡な抑圧のメッセージでしかなく、私たちを苦しめているものだと感じます。あなたはきっと真面目な方なんだろうなと思うのですが、だからこそ「頼るべきではない」「迷惑をかけてはいけない」というメッセージを守らねばならないと思って、余計に苦しみが強くなってしまう部分もあるのかなと想像しました。
ちなみに私はいま私以外にも発達障害やなんらかのマイノリティのほうが人数の多い環境で生活していて、友達も職場の人もいろんな特性のある人がかなり多いです。そんなこともあってか、個人的には「発達障害はだめ」とか「こういうことができないとだめ」という言説に納得のいかない気持ちが強くて、「その人が暮らしづらくなっているとしたら、それは社会の無理解のせいじゃん!」と、どこともわからない社会に対して言い返したいような感覚になってしまいます。それと同じように、あなたがきっとこれまで見聞きしてきた、あるいは感じてきた、自己責任論や「人間はこうあるべき」というような言説にひとつひとつ言い返したいし、あなたにあなたが悪くないことを言いたい気持ちがふつふつわいています。
「周りの支えがないと生きていけないで自立できない人なんかいらないですよね」とありましたが、実はこれは逆なのだと思います。たくさんの物や人や制度にうまいことタダ乗りできている人ほど、自立できているかのように見え、うまく支えを使えない状態にいる人のほうが、自立できていないかのように見えるというジレンマがあることをお伝えしたいと思いました。それは社会の不均衡に過ぎず、ぐらぐらするような支えのたりない感覚があるとすれば、もっと迷惑をかけて、支えられるべきなのに、自分だけでがんばらされてしまっているということなのだと思います。
そんな社会をどうやったらマシにできるのか考えても一朝一夕のことではなく、あなた自身のいまの家や学校の環境でのつらさを直接減らす方法をぱっとは思いつけないのですが……。これまでの経験から人間不信になるのも無理はないと思うので、その中であなたが困っていることを、リアルな人(学校の保健室の先生とか、相談に乗ってくれる人など)に話すのはハードルが高いのかなとも想像しています。その中で、インターネットを介して死にトリにきて、素直な言葉を届けてくれてありがとうございます。
そういえば、最初に 「言語化がすごく苦手」とあったけれど、あなたの思いや感じていることが、もちろんすべてではないにしてもわかりやすく伝わってくる経験談と私は感じました。だから、あなたがなんで「すごく苦手」と思ったのかなぁと気になりました。言語を使う場面はたくさんあって、あなたが人と話す場面でたくさん緊張して苦しんでいることが伺えたので、そういうシチュエーションでのことと「言語化」そのものについての大変さが混ざっているのかなぁとも思ったりもしています。そんなふうに実は全部が苦手というわけではないことも、本当はいろいろあるのかなと思うのですが、たくさんの緊張や不安を抱えながら、一人でそれを紐解いていくのは簡単なことではないと自分の経験からも思います。あなたの抱える思いや感じてきたことをもとに、一緒に研究してみたい気持ちになりました。よかったらまた死にトリにきてください。