経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自己中、自業自得

自分について考えていたら偶然見つけました
きったない文章ですが少し吐き出させてください

周りから何をされているわけでもないし、なんなら本当にいい人たちばかりで、優しくて、なのになんで私は死にたいと思ってるのか、思ってしまってるのか、ほんとうに、そんな自分がとにかく嫌で、この立場に生まれたのが私じゃなかったらなぁと、よく思います

中1くらいから死にたいなぁとか思い始め、中2、3で一旦落ち着いたものの、昨年高1になり希死念慮がまた戻ってきました

どう考えても人に優しく特別扱いしてもらいたいから自傷とか、こう、病んでるふりをしてるというか、本当に贅沢な上、バカなことしてる自覚はあります 学校には行けてるし、学年順位も1桁、部活も充実しているし、友達にも恵まれていて、愚痴る相手もいるし、どう見てもどんな面から考えても間違いなく私は幸せなんです 幸せなんです わかってます でもふと気づいた時に、ああまた悲劇のヒロインぶりやがって、とか特別扱いしてほしいだけのくせに、このクソガキ、とか思って、余計自分が嫌いになります

惨めで、本当に惨めで、本当に人として終わってる自覚はあります 何をしているんだろう、と思います でもこんなことしてる時点で人間よりはむしろ害悪ブヨブヨの汚い肉塊に近い存在の私がそんなこと周りの人様に言うことなんてただの迷惑でしかないだろうし、言ったところで私はこの先死にたい以外ないだろうし、自分が望んでそうなったようなものなんだから自業自得というか、なにしてるんだろうと

どうせ社会に出てもすぐダメになっちゃうだろうし、人に迷惑をこれ以上かけないうちに死ぬのがベストなのはわかってるんですが死ねない 怖いわけでもないのに

人の目が気になって仕方ないんです
だからLINEすら怖いし、目立つことも怖い 誰かが顔をこっちに向けることさえ怖くなる時があります 仕草とか見た目とか行動が全部が論外みたいに酷い、本当に自覚はあるから、外面も中身もこんな何もない、出来損ないみたいな肉塊を周りはどう見てるんだろうとか、なんで普通に接してくれるんだろう、優しいな、すごいなって 私が私みたいなとんでもないやつにあったら絶対に近づきたくないと思うので そんなことをいつも考えてるから一人でいるような感覚が常にあります 友情とか、恋愛感情とか、自分が相手をどう感じているのかすら自己中すぎてわからないんです 笑えますよね

どう考えてもありえないほど自己中心的な理由で死にたいと思ってる私みたいな正真正銘のクズもいます
もしこの文を読んでくださっている方がいるのなら、貴方は私の数十億倍はマシだと思います
皆様が少しでも楽になりますように

お目汚し失礼しました

感想1

読んでいてまず思ったのは、つらいと感じたときに、それをどんな理由でも否定する必要はないということです。「学校には行けてるし、学年順位も1桁、部活も充実しているし、友達にも恵まれていて、愚痴る相手もいる」ことが、つらくないことの証明になるわけではないと思いました。私も同じではないですが友達はいてある程度の部分には愚痴ることもできいたけれど、学校に無理せずいけるタイプではなく、毎日いつのまにか疲れていたことを覚えています。といっても当時は、私も恵まれている自分が希死念慮を感じるのは変だし、つらいと言ってはいけないという思いが強くありました。だから、本当に疲れていたと気づけたの自体、もっと大人になってからです。
「人の目が気になって仕方ない」というだけで、たぶんすごく消耗すると思います。学校って集団で、しかもさまざまなコミュニケーションややりとりがあって、私にはとても大変な場所でした。そしてそう感じるのも無理もないと私は思います。気を張り続けている中で、自分の心までわからなくなってしまっている部分もあるのかなと思います。

「自己中心的」という言葉をあなたはとても悪いことのように書いていたのが印象的でした。自己中、たしかに世間の評判の悪い単語かもしれません。でも、私は自分が中心なのって当たり前じゃない?と思ったりもします。私たちは当然、自分のために時間を使い、力を使い、自分の体調や心に照らし合わせて休んだり、楽しんだり、怒ったり、悲しんだりする権利があります。それは学校に行くことやいい成績を取ることよりももっと基本的なところにある、私たちの権利です。同時に、周りの人のことも忘れないようにしようねというのは、社会の中で私たちがずっと考えなければいけないことではありそうです。でもそれは自分にいい方法や過ごし方がわかった上でないと、逆にむずかしくなる気がします。
私も学生のころから希死念慮がありますが、それは私にとってはつらい状況の中で夢想する逃げ場所のような意味も持っていた気がします。私たちには本当はたくさんの逃げ場所があるべきと思うのですが、なんだかそれがたりてなくて、つらくてもじっと我慢させられてしまうシチュエーションが多い気がします。 あなたも、きっとこれまでとても我慢してきたんだろうなと思いました。
そう考えると、あなたがするべきなのは、むしろ自己中の練習なのかもしれないと思ったりもしました。なんだそれって感じですが、私たちは生きている限り自分を中心にしか、社会や人を見ることができないと思います。だからこそ、その中心がどんなふうに感じて、どんなことを知っていて、なにを知らなくて、どんなふうにしていると楽なのか、知っていく必要があると思います。(でもなぜか、学校ってそういうことを全然教えない気がします。ふしぎです。)

それから、「こうだから悪い」「こうだからダメ」などの指標でいい悪いを決めると、気づかないうちに、自分に似た誰かまでダメな人として決めつけてしまうむずかしさもあります。あなたはダメではないし、だれもダメではないです。友情も恋愛感情も、人によっていろんな感じ方があるし、感じない人や、感じ方が違う人もいて、そのだれもがダメでも間違ってもないです。ただ世の中にあれはダメ、これは間違い、こんなのは迷惑という言葉がたくさんありすぎて、みんなビクビクしてしまう状況はある気がします。私はこういう言葉のほうが気をつけないといけないものだと思っています。あなたはきっとそういう視線や言葉をたくさん見聞きして、八方塞がりな気持ちになってきた部分もあるのかなと想像しています。
その中で楽に過ごすのも簡単ではないと思うのですが、あなたがどうかあなたを閉じ込めすぎず、穏やかな気持ちでいられる場所や時間が少しでもあるといいなと思っています。

感想2

あなたの置かれている状況と気持ちがよく伝わってくる文章だと感じました。まるで言葉が溢れ出しているような文章の勢いから、あなたはいろんな気持ちを堪えながらここまできた人だと思いました。
人の目が気になることだけでも、かなりしんどそうだと私からは見えました。目線すら怖くなってしまうときがあるのだと、あなたは常に緊張していて、なかなかリラックスして人と接することができていないのではないかと想像します。
いつも一人でいる感覚、私自身も覚えがあります。周りに人がいるのに寂しいなんて、自分でも何が何だか分からなくて混乱します。自分に自信がなくて他人との関係に積極的に入り込めないと同時に、周囲との間に境界を引くことで、他人に攻撃されるリスクから自分を守っているのではないかというふうに思いました。また、感情や自分が相手をどう感じているか分からないという点は、自分の気持ちを無意識に押し込めてしまって、自覚することが難しくなってしまっているのではないかという気がしました。

どんな育ちでも、どんな環境にいても、すでにたしかに感じている自分の辛さ・しんどさを無視したり否定したりする必要はないと思います。それに、自分の気持ちを押し殺していると、やり場のない気持ちで心がいっぱいになって、もっとしんどくなってしまうと思います。実際私はそれで長らく苦しんだので、もう誰にもそんな思いをしてほしくない気持ちです。
人は、どうしても自分からは離れられないものですし、他人中心で生きていても、自分の人生の軸がブレてしまってしんどそうです。他人を慮ることは可能ですが、それもあくまで自分視点であり、どこまでも自己中心性が付き纏うものだと思います。自分中心(という言葉に良くないイメージが付与されているのがダメなのかも?)というか自分を尊重し、大事にいたわる経験は、他者との関係でも良い方向に発揮されると思います。自分の心身、自分の感じることをそのまま大事にしながら、しっかり自分を抱きしめて生きていてほしいし、私もそう在りたいです。
吐き出すのはとても大事だと感じます。気持ちに押しつぶされる前に吐き出して、人に縋って、心が少しでも軽くなったならそれに越したことはないと私は考えていて、みんなが辛さを我慢せず、弱音を吐き合える雰囲気が社会のなかに広がっていったらいいなと常々思っています。

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