私の一番古い記憶は父と母が激しく怒鳴り合っている光景です。男尊女卑といった思想がいまだ蔓延る田舎で生まれ育ち、子供の頃から息苦しさというか、生き辛さを感じていました。自分が、いわゆる機能不全家族で育ったと思い知ったのは30代に差し掛かってからです。夫婦間は悪くなかったにしろ、私がまだ幼かった頃、家では絶えず罵声が響き渡っていました。
父方の祖母の介護、そのことで伯母から母に対する執拗な嫁いびりを物心つく前から間近で見てしまったことが、今日に至るまでの歪みの原因なのかもしれません。私自身、親戚から「お前が男の子だったらよかったのに」と言われたこともあれば、既に嫁いだ姉に代わって「あなたが〇〇家のために婿を迎えなさい」と言われたこともありました。私は、何のために生まれてきたんだろう。私が生まれてきたことは両親も望んでいたはずなのに、気付いた時には誰も私には無関心だった。唯一、心を許していた兄弟もこの家の異質さを忌み嫌い、地元から逃げて疎遠になってしまった。
誕生日も、クリスマスも、友達は両親が祝っていたのに、私には楽しい思い出が欠落している。暴力を振るわれていたわけじゃない。食事だって満足に食べさせてもらっていた。でも、両親は私に無関心だった。40代になった今でも、幼かった頃の記憶に苦しめられ、まともな人間関係を構築できずにいる。父と母の罵声が耳からこびりついて離れない。死にたい。
感想1
知らぬ間に世間は人の痛みにまで評価をし、支援が必要とか必要じゃないかなど判断材料として取り扱ってくる。そして私達自身も、知らぬ間に自分自身の痛みに大小を付け、大丈夫、マシと傷に気がつかないように過ごすことを優先する。生きていくための工夫でもあるけれど、皮がむけた薄傷は本当は風が吹くだけでもヒリヒリとするはずなのに。あなたの言葉からは、衣食住は満たされていたけれど、ぽかりとできていた空洞がぐるぐると渦を巻き迫ってきて飲み込まれそうになっているそんな印象を持ちました。どの時でもあなたが居るのに周囲は誰かが傷つくような言葉を吐いたり、ぶつけあったりし、時にはあなたに向かい違う何者かになってくれとあなたの存在を否定する言葉を平気で放つ。発散するように無責任に吐かれた乱暴な言葉は、あなたをしっかりと蝕み傷つけていったのだと、そんないくつもの場面を想像します。いくら年月が過ぎ去っても、あの時についたその傷はやっぱりでこぼことしているはずです。体も同じで、古傷が痛むなんて言葉もあるほどです。自分に優しくする、散々世の中にあふれている言葉かもしれないけれど、ここに居て痛みを感じている自分自身がいることを聞いているよと言葉をかけてあげて欲しいそんな気持ちになりました。投稿いただき、ありがとうございました。