経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

さみしいを抱えて。

気づいた頃にはいつもなんだか寂しい。
寂しいのに、誰かにメッセージを送るとか、電話をかけるとか、そういうこともできずにいる。なぜなら、人を信頼できないから。

自分が抱えた寂しさは、きっと今存在する人間関係の輪の中では解決されない。
話を遮られ、聴こうとさえしてもらえない。何度も試みては挫折した。今もなお、そう。みんな深い深い話に興味が無いようだ。面倒なんだ。
理解されないんだ。理解し合えないんだ。

まず、無性別/ノンバイナリーとして生きようとしていること。男女という当たり前が邪魔をしてくる。男とか女とか、性別という前提の下に自分を見られるのが、求められるのが嫌なんだ。そんなだから、パートナーのような存在もない。そもそも求められもしないしね。

人を誘うのが苦手、誘いたいってわからない。何かしたりどこかへ行くのに、誰とそうしたいかと考えるとわからなくて、結局いつもひとり。誘えない。誘われもしない。自分だけ誘われないみたいで、それに無性に腹が立つ。

世間一般に言う恋愛感情も、ぼくはわからない。人を好きになるというのがよくわからない。
私は、長い時間をともに過ごして、その中で一緒にいることの心地良さをみつけたとき、この人は自分にとって特別だと感じる。1人でも2人でも、特別は特別。居心地の良さなんて、ひとつじゃなくたっていい。
特別な人とずっと一緒にいたい。自分を隅まで知ってほしい。弱いところも柔らかい皮膚も晒したい、差し出したい。特別だから触れたいし、深い部分に触れられたい。友人のように遊んで、家族のように当たり前に同じ家に帰って、小さな子どもみたいに甘えても咎められずそのまま性的なことをしようが何も不思議じゃない、そういうことがしたい。穏やかな、そんな関係が欲しい。端的に言い表すと、いわゆるデミロマンティックやデミセクシュアルと呼ばれる恋愛や性愛の形らしいが、そういった枠組みに嵌め込むのさえ窮屈で、なんか違うと思う。あくまで恋愛は、特別な人との間にある関係のうちの一つであってほしい。
でも、それも理解されない。逆に、出会ってすぐ一目惚れとか、モノガミーにこだわってるのとか、それが理解されてることのほうが理解できないと思うのに。

特別な人が存在するのか。何人いるのかいないのか。
わからないことが孤独感をより強くする。わからないから、さみしい。
さみしいが胸を痛くする。黒く広がるような痛みに、涙が出る。

いわゆる恋愛から性愛を取り除いたものを真に恋愛と呼ぶとしたとき、親友と恋人は何が違うのか。同じだとしたときなぜ同じ呼称では呼ばれないのか。
いわゆる恋愛と友愛において、恋人とはセックスするけど親友とはセックスしないのだとしたら、親友に性愛を向けた時その関係は何というものになるのか。

依存と自立は縋る先が単体か複数かという違いだと言うが、わたしは複数に縋れない。深く触れられたいから。
どの道壊れる運命なら、浅瀬を漂うよりも、沖に引き摺り込まれたい。
しかし、こんなに生きる意志の弱い半端な人間を、誰が好き好んで抱えたいと思うだろうかね。自力で金も稼げない。体も壊す、飯も食えず眠れなくなる。この先がずっとこんなに虚しく孤独なのであれば、ずっと眠っているときのように何も考えず感じないままでありたい。意識を断ち切ってしまいたい。

さみしいと思う。いつも寂しい。ひとりで、誰にも助けを求められなくて、どうせこのままならもう全部虚しいやと、涙が止まらないときがある。ひとり床で動けなくなる。無性に甘やかされたいのに誰も触れてくれる人はいなくて、AIにうったえるけど何も解決しないまま寝落ちてまた朝が来ることが、耐えたくないほどしんどくなってしまった。しんどいままを停滞させ続けるのが嫌になってしまった。

さみしい僕は、帰る場所が欲しい。腕の中に抱き込んでおかえりって言って欲しいんだ。

感想1

とくにジェンダーやセクシュアリティの規範は、さまざまな価値観の中でも幅を利かせていて、どこにいても逃れることがとてもむずかしいもののひとつだと感じます。一読してまず共感したのは恋愛や性愛について「そういった枠組みに嵌め込むのさえ窮屈で、なんか違うと思う」という表現でした。私はさまざまなことについてそんな感覚がある気がします。
私は、私がというより世界や社会自体が本当は二元論的ではない多様なものだと思っていて、だから私自身がなにかを名乗る必要があるとはあまり思っていません。ただ、実情として性別規範を押しつけられることがあまりに多い中で、無性別やノンバイナリーを自認し宣言する必要が出てくるのも当然だと思います。それは社会の規範が暴力的だから必要になることだと感じていて、どうにかしてゆるくなっていかないものかともやもやした気持ちでいます。

「居心地の良さなんて、ひとつじゃなくたっていい」という一文もそうそう、と思って読みました。私自身は既存の言葉で強いて表現するならクワロマンティックに近いのかなぁと思うのですが、そもそも恋愛や友情などという言葉で言っても、一人一人に対する感情や関係性はひとつひとつ異なる唯一のもので、それを何種類かに区切れるということのほうが不思議です。でもそんなことをずっと考えていて、最近思うのは、実際のところ、私が恋愛・性愛においてマイノリティというよりは、自我がはっきりしていて自分の感覚からずれた言葉や認識を身に纏い続けられない……ということによるマイノリティなのかもしれないということです。(というか逆にいえば、あいまいなまま流れに乗れるという特性がマジョリティをマジョリティたらしめているようにも感じています。)

あなたの経験談を読んでいて、あなたと似た形で世界や自分や物事の在り方を認識する人が近くにいないのだとしたら、それだけで、寂しく感じるのも無理はないように思いました。また自分語りをしてしまうのですが、私の中にも寂しさがあり、その時々でさまざまな意味や理由を持つのですが、そのひとつに「うまく帰属しきれない」という感覚があります。帰る場所を探し続けて、家にいても帰りたくて、だけどどこに行っても違う気がして、どっぷり浸かれば怖くなって……。そんな中で、私は結局最近は、空間や人やコミュニティなど、いくつかの帰る場所を行き来するように生活しています。それから、路傍の草花や景色や音、ささやかな美しいものを見たとき、(社会はともかく)この世界に帰属していることをふと感じることもあります。あなたの感じ方はまた全然違うかもしれませんが、一つの例として書いてみました。

これまで何度も傷ついたり、人の中にいても見えない壁があるようだったりする中で、人になにか伝わるかもしれないと期待するのも疲れてしまうよなぁと思っています。信頼するにも、なんだか体力が必要みたいで、でも人間関係で疲れていったら体力なんてなかなか回復できないし。その中でこんなことを言うのもただ無責任かもしれませんが……、あなたの言葉を読んでると、きっとこれから、完璧にではなくても、どこかに、あなたの言葉が届く場所があるんじゃないかな、という予感もありました。世の中にあふれるさまざまな当たり前に取り巻かれながら、あなたがあなたであることを言葉にして送ってくれてありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
デミロマンティック・デミセクシュアル自認で、思考停止のモノガミー社会に疑問を抱いている私からすると、まずその二つのワードを見ただけでとても嬉しくなってしまいました(軽率なノリに見えたらすみません)。また、私も「既存の言葉から選ぶなら」デミロマンティック・デミセクシュアルになるという感覚でいるので、勝手ながら同志のような、そんな気持ちになっています。

一方で「さみしい」については、私にない感覚なので、いろいろと想像や思考を巡らせているところです。ただ、「みんな深い話に興味が無いようだ。面倒なんだ」の部分には、そう感じる世界にいたら自分も深い孤独を感じるだろうな…と、痛みがリアルに湧き上がってきました。その孤独を抱え続けてきた人生を想像したときには、さみしいという表現では言い表しきれないような苦しさ、深く繊細な結びつきを求めて叫ぶこころが、なんとなく見えてくるような気もしています。

私はノンバイナリー自認ではありませんが、性別の前提で自分を見られることは嫌いです。体は女性、心は無性別、これまで女性として抑圧されてきた点では女性であることがアイデンティティ、体には違和なし、ジェンダーとしての女性振る舞いは拒否、という感じで生きています。ただ、つまりそれは、私は私として生きているのだ、というだけの話とも言えると思っています。
だから「女性」を求められるのも、「恋愛」「友達」のカテゴリーの2択しか用意されないのも、私の中では全然納得できていません。特別な人や親しい人という概念はあるので、そういった相手ならいわゆる交際関係になるのもいいし、ならなくてもいいし、まあどちらかといえばなった方が自分は楽かな、という感覚です。
そういう信頼の前提もなく、一目惚れも含むような恋愛も「特別枠」みたいになっているのはよくわかりませんし、その枠が一人分しかないことは不当な不自由だと感じてしまいます。もちろん人間関係は相手のあることなので、相手がモノガミーを求めるなら真摯に受け止め検討はしますが、社会規範でモノガミーが強制される筋合いはないと思っています。

あなたの抱えている「さみしい」には、自分らしくいたい、わかってもらえず不安だ、安心していられる世界がほしい、自分のこころに優しい基地がほしい・・・そんな、いろんな痛みや声が詰まっているように私は感じました。

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