経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
今まで頑張ってきたこと、我慢してきたことが何も報われないような気持ちになっている
そんな気持ちを誰かに話したくて声を掛けても、相手にも余裕が無いのか聞いてもらえなかったり、理解されなかったり、正論で返されたり…
必死に周りの顔色を見て心地よく生活してもらえるようにしているのになんだか虚しいし、今まで自分がしてきた事は何だったのかと思ってしまう。
見返りを求めるつもりは全くなかったけれど、実は見返りが欲しかっただけなのかと自分自身にも失望している。
支えるだけで良かったはずなのに、支えられたいと思ってしまう自分が情けない。
家族の事では、妻は趣味で知り合った異性と毎日連絡を取り合い恋愛でもしているかのような雰囲気を出し、子ども達に関しては成長していく中で、変化を受け入れられない部分がある事に、変化についていけない自分だけが取り残されている(自分の感覚が異常なのかと思う)ような気持ちになっている。
家庭を円満にしようと尽くしてきたが、今まで自分がしてきた事は何だったのかと感じている。
自殺したい感覚はないが、不慮の事故とかで死ねたら楽なのにと思うし、痛みも何も無く消えてしまいたい気持ちになっている。
感想1
自分一人が生きていくだけでも大変なことだと感じますが、そこに誰かの生活や居場所が乗っかってくるプレッシャーは比にならないだろうなと思いつつ、自身の身を粉にした行動や生活に対して別の現状が広がっている投稿者さんの胸の内を想像していました。
私は親の立場になったことがないので正確にその大変さや気持ちを推し量ることはできないのですが、家族やその生活のために投稿者さんが頑張ってきたこと・我慢してきたことというのは、ここには書ききれないぐらいのことがあったのだと思っています。
それは、「見返りを求めるつもりは全くなかった」ともあるように、最初はただ純然と親として、責任をもって、がむしゃらに続けられるものだったのかもしれませんが、感じる違和感はそうは思わせてくれずに次第に自身のこれまでを疑いたくなるような気持ちに変遷していったのかなと思いました。
私自身が「親として」と書いてしまっていますが、「親であっても一人の人間」ということを考えると、家族に見えないところで自身が感じていること、頑張っていることを何となくでも家族に想像してほしい、伝わってほしいと思うのは人の性としては自然なことと言える気もします。
一方で、妻さんや子どもさんたちはどう思っていたり、どんな考えを持っているのか?や「投稿者さんの言う“見返り”とはどんなもの・ことを言うんだろう?」と率直に気になってしまった私がいます。というのも、投稿者さんが「自分の感覚が異常なのかと思う」とまで感じてしまう家族の立ち居振る舞いに一体どういう考えや価値観があるのかは想像することしかできませんし、そこに至るまでにどんな関係の積み重ねがあったのだろうと気になったからです。投稿者さんの求める(求めてしまっているかもしれない)という「見返り」も労いや労りなのか、はたまた円満に尽くしてきた自身の価値観をそれぞれが尊重、あるいは従ってほしいということでもあるのかなと勝手ながらに想像してしまいました(違っていたらすみません。。)。
いずれにしても、家族と言っても、いや家族だからこそお互いの言動やそれに基づく気持ちや思いが伝わりあっていないことも多分にあり得るのかもしれません。それは理解しようと思っても時間がかかるものなのかもしれませんし、死にたいとまで思う気持ちを抱えながら向き合うには一朝一夕でできることではないのかもしれません。ですが、少しずつでもお互いの胸の内を知れる時間があれば今よりは抱える負担も軽くなることもあるのかなと思いました。
感想2
わたしは幼い頃に教会に通っていたこともあり、異性やパートナーに対する意識がわかりやすくいうところの、古風なところがあります。インターネットで話題になるオープンリレーションシップや、報道される離婚や不倫などのニュースにドギマギする自分と、「自分はしないが、お互いがいいならいいのでは」と、否定も肯定もせず、当たり障りのない言葉で表現している自分というのがいます。
あなたの文章を読みながら、あなたの感覚はわたしにとっては心地よいものに感じました。やっぱり人間ってそうありたいものだよねと弱い自分が顔を明るくしながら、どんなものを見聞きして触れれば、あなたのような心を持って生きられるのかなあとその要因を知りたい気持ちにもなります。
見返りはいらない と、人に優しい人間になりたいと思う反面、どうがんばってもお腹が空いてしまう自分の弱さを思い知らされるのもまた事実で、やっぱり自分も食べなければ、優しくい続けることは難しいのかもしれないと考えたりもします。もっと言えば、特定の人でなくてもいいから、誰かに優しくしてもらわなければ、自分もやさしい気持ちで人に接し続けるのは難しいのではないかとも。
社会も人も目まぐるしく変化する時代、家族の形が影響され変化するのも自然なことかもしれません。それでも、時代だけでなく、自分の家族にも取り残されるのはとても寂しい気持ちになるなと思います、
わたしはアサーションコミュニケーションができているだろうか?と時たま人や家族との関係性を振り返ったりします(もしよかったらアサーションと調べてみてください)。相手を尊重しつつ自分の意見や気持ちを率直に伝えるコミュニケーションスキルのことなのですが、自分が相手を責めることも、相手に自分が責められることもなく(またどちらかばかりが我慢することもなく)対等で建設的なコミュニケーションができたら、時代があっても自分たちの家族の形でいられることができるだろうか。(実際は感情的になり喧嘩になることも多々ありますが・・。)
あなたがあなたらしくいられる場所や人が周りや身近にいたらいいなと切に思いながら、また息が詰まりそうな時にはいつでも書き込みに来てほしいです。
感想1
自分一人が生きていくだけでも大変なことだと感じますが、そこに誰かの生活や居場所が乗っかってくるプレッシャーは比にならないだろうなと思いつつ、自身の身を粉にした行動や生活に対して別の現状が広がっている投稿者さんの胸の内を想像していました。
私は親の立場になったことがないので正確にその大変さや気持ちを推し量ることはできないのですが、家族やその生活のために投稿者さんが頑張ってきたこと・我慢してきたことというのは、ここには書ききれないぐらいのことがあったのだと思っています。
それは、「見返りを求めるつもりは全くなかった」ともあるように、最初はただ純然と親として、責任をもって、がむしゃらに続けられるものだったのかもしれませんが、感じる違和感はそうは思わせてくれずに次第に自身のこれまでを疑いたくなるような気持ちに変遷していったのかなと思いました。
私自身が「親として」と書いてしまっていますが、「親であっても一人の人間」ということを考えると、家族に見えないところで自身が感じていること、頑張っていることを何となくでも家族に想像してほしい、伝わってほしいと思うのは人の性としては自然なことと言える気もします。
一方で、妻さんや子どもさんたちはどう思っていたり、どんな考えを持っているのか?や「投稿者さんの言う“見返り”とはどんなもの・ことを言うんだろう?」と率直に気になってしまった私がいます。というのも、投稿者さんが「自分の感覚が異常なのかと思う」とまで感じてしまう家族の立ち居振る舞いに一体どういう考えや価値観があるのかは想像することしかできませんし、そこに至るまでにどんな関係の積み重ねがあったのだろうと気になったからです。投稿者さんの求める(求めてしまっているかもしれない)という「見返り」も労いや労りなのか、はたまた円満に尽くしてきた自身の価値観をそれぞれが尊重、あるいは従ってほしいということでもあるのかなと勝手ながらに想像してしまいました(違っていたらすみません。。)。
いずれにしても、家族と言っても、いや家族だからこそお互いの言動やそれに基づく気持ちや思いが伝わりあっていないことも多分にあり得るのかもしれません。それは理解しようと思っても時間がかかるものなのかもしれませんし、死にたいとまで思う気持ちを抱えながら向き合うには一朝一夕でできることではないのかもしれません。ですが、少しずつでもお互いの胸の内を知れる時間があれば今よりは抱える負担も軽くなることもあるのかなと思いました。