経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

疲れた

僕は高校生です。
頑張ってこれまで周りに合わせてやってきたつもりでした。クラスのみんな僕に話しかけてくれないし、僕から行かないと話してくれません。あっても学校の業務的なことばかりです。それでもみんなからは「友達」と言われます。他のみんなと距離が違うのに。先生にも相談したことがありますが「考えすぎだ」と言われました。僕が話しかけても無視みたいなこともありましたが「僕の声が小さかった」で終わってしまいました。僕は“いじめ”の範囲がよくわかっていないのでいじめだとは思っていないんですけどね。
そして春頃に僕は椎間板ヘルニアになってしまい、秋以降の3か月は行けなくなってしまった日が多くなりました。その間、手術もして一週間入院もしました。その後も痛みが続いたりしていけない日がありました。そのうち、学校の授業にはついていけなくなりました。そして冬休みとあるグループラインでカラオケに行くことにしました。僕がチャットを見れない時間に話はどんどん進んでいって予約までしたらしいです。その人数は7人で、その時話していた子は5人。それでとある子が「AくんとBくんも来れるかもしれないから7人にしておこう」というメッセージがありました。僕はそこの人数に含まれていませんでした。その少し前にも僕が「朝は何時ぐらい?」というメッセージをしましたが既読スルー。何か言ってほしかったです。まるで僕が居ないみたいな…ここまでするなら僕もグループから退出しようかと思いましたが何か言われそうで怖くて結局そのままです。
ヘルニアの後の痛みも家族でわかってくれる人はおらず、先生も信じられない。クラスメイトも頼ることはできない。
僕も勉強もできない。運動もできない。容姿も優れてない。ただただ毎日を無駄に過ごしているだけ。
僕は最近、事故や事件などに巻き込まれてくれないかなど、不謹慎なことを考えてしまいます。自分でこの世からいなくなるのが怖いんです。死にたいけど死ぬのが怖いってやつです。
大人はみんな「人生まだまだこれからだよ。頑張りな」って言ってきますけど、その言葉が辛いです。これまで一生懸命頑張ってきたのにまだ頑張らなきゃいけないのか、と。苦しめてるのはそっちなのに。
でも結局一番嫌いなのは自分なんです。何も行動に移せない自分が嫌で嫌で仕方ないんです。何かしなくちゃいけないと思っても何もできない。辛い。苦しい。もう現実を見たくない。何度も「2次元に行けたらなぁ」って思いました。好きなキャラと会えたら、一緒に過ごせたらどれだけ楽しい人生を送れるだろうかって。でも僕は3次元の人間だから…
なんでこんなに3次元って辛いんでしょうね。
もう、生きたくないです

感想1

「誰か自分のことを受け入れてほしい」「理解してほしい」「仲良くしてほしい」といった気持ちを経験談から私は感じ取りました。周りの人たちと距離がある感じがしたり、理解してもらえている感じがしなかったりで、孤独な気持ちになっているのかなと想像しました。

学校であんまり話しかけてもらえない、仲間に入れてもらえている感じがしないというのはしんどいだろうなぁ…と思います。自分も周りの人に距離をとられていたことがあるので、勝手ながら分かる気がしました(自分の場合は緊張のあまり無愛想になっていて、周りの人に「怖い人かも」と思われていたみたいです)。周りの人たちは距離が近くて仲良くしているのに、自分だけ置いていかれている感覚なのかなと思いました。カラオケの件は上から読んでいって「『ヘルニアで入院もしてたし来ないだろう』と思っていたのかな?」と思ったのですが、それでも「来る?」って質問してくれなかったり、既読スルーされたりするとなると、さすがに悲しい気持ちになるよな…と思います。あなたが書いている通り、私も「一言何か言ってくれればいいのに」と思いました。

また、私としては「頑張ってこれまで周りに合わせてやってきた」という最初の文が気になっていました。どこかずっと馴染めない感覚があって、もう頑張れないぐらい無理してきたのかなと思います。普段の交友関係の悩みやヘルニアの痛さといった場面で、あまり気持ちなどを理解してくれる人もおらず、自分の怒りや悲しみをあなた自身の中で閉じ込め続けてきたのかなと感じましたし、そういうことはいつから始まったのだろうと私はふと思いました。
大人たちは「人生これから」と言っていて、それはもしかしたら「学校以外の出会いもある」とか大人だからこその視点も含まれた言葉なのかもしれませんが、あなたは今つらいのであって、あなたの今のつらさに対しては慰めにはならない言葉だったのでは…と思うところです。私としては「合わせてやってきた」ということは、「周りに合わせないあなた」もいるのかなと気になりました。周りに合わせないあなたってどんなあなたなんだろうなぁと思いますし、あなたのあなた自身に対する自己否定が周りの人と仲良くしようとなんとか奮闘する行動に繋がっているのかなと感じられました。
もしまた経験談を投稿したくなったらぜひ投稿してください。お待ちしております。

感想2

タイトルの「疲れた」というよりも、最後の方に書いていた「結局一番嫌いなのは自分」という気持ちが全体から伝わってきました。自分を否定する気持ちが日常のいろいろな場面で湧き上がってきて、だからこそ疲れてしまったというイメージが浮かんでいます。
私はずいぶんと大人なので、今どきの高校生の誘い合わせて遊ぶ時の雰囲気やLINEを活用したコミュニケーションの作法など、よくわかりませんが、高校年代にはクラスや部活の人間関係でずいぶんと苦労もしたし、面倒なことがたくさんあったと思います。今考えると、そんなこともあったなぁという気持ちになれますが、当時の自分の気持ちをおぼろげにたどると、その時その時で真剣に悩んだり、受け止めたりしていたように思います。だから、先生の「考えすぎ」というのはあくまでも通り過ぎた大人の発想で、今悩んでいるあなたにとっては冷たく感じる言葉だったのだろうと思いました。ただ、今自分が高校生の時のことを考えると、確かに「考えすぎる」ことはたくさんあったと思います。でも、それは無駄ではなく、必要な考えすぎだったように思っています。そうはいっても、それもまた大人になった私が思うことで、やっぱり今苦しいあなたにとっては、あまり役に立たないかもしれません。
あなたが書いてくれた苦しみをじっくり見ると、今の世の中の価値観が強く透けて見えてくるように感じました。例えば、「僕も勉強もできない。運動もできない。容姿も優れてない。」という表現から、勉強ができること、運動ができること、容姿が優れていることが良い評価を受けるための主要な条件であることが伝わってきます。勉強も運動も容姿も一つの評価基準ではあると思いますが、それ以外にも無数の評価基準があり、特定の基準が人の価値を決めてしまうようなあり方は何だか変だなと私は思います。そして、そもそも人を評価して良し悪しを決めてしまうことにも抵抗感があります。できるできないとか、優劣はあるかもしれませんが、あなたを含めてどんな人にも固有の存在があり、その存在は否定されるものではなく、尊重されるものだと私は考えています。しかし、評価なしに存在が尊重される経験が今の社会の中ではとても少なく、実感できる場面がないのが実情であるとも思います。知らないうちに決められた特定の評価だけで判断されることが多く、そうした状況によってあなたの苦しみが作られていると私は感じました。
最後に、二次元に好きなキャラがいるのですね。好きなものはその人らしさの代表だと私は思っています。実際に二次元に行くことはできないですが、空想の中や好きなものに没頭するのは自由だと思います。どうしても考えすぎてしまうことはあるかもしれませんが、好きなキャラと過ごすあなたらしい時間がたくさんあることを願っています。

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