経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

こんなバカなこと考えてごめん

私とっても偏っててとてもとてもとてもおかしな人間。私ねずっとずっと何かを追い求めてる。「今」に納得しなくてずっとずっともっと幸福になれるように求めてる。この要求は本能として正しいのかもしれないけど、私疲れちゃったよ。人より優れてたいとかよく見られたいとかそうゆうことをずっとずっと願って求めて、でも私はさ現実が絶望なんです。強迫症というやつで、かなり生活を支配されてる。何に関しても「もうちょっとこうして」がひとつふたつみっつ何回も何回も何回も何回も、トイレに行くだけで何工程あるか、どれだけ細部にわたって気を張り巡らすか。私は昔から、小学生の時からずっとずっと精神科に通ってた。始まりは摂食から、うつやら自殺未遂やらずっとずっと今まで。なんなの。キモイよ自分。こんなんだから私はネット越しに見るような世界がとてもとても自分より優れてて、そんな限られた妄想は存在しないのわかってるんだけど芸能人やら芸能界やらのことにとてもとても執着してしまってるんです。ああいいな、認められてるな、関わりを持たれて好かれて叩かれるけどいろいろ構ってもらえてる。ブラック企業みたいな世界だと思う、芸能界って。でもわたしなぜかそこが人間の頂点みたいに思ってしまって、これも強迫観念なのかな、そういうところ、他人が褒められるところに過度に自分もそうなりたいって求めてる。だから毎日4時間勉強してたら苦しくなって今日ずっと寝てた。あぁクズだな。いい大学とかいけたら少し付加価値がつくと思って、自分を保つために、生かすために何かになりたくて、価値が欲しくて努力したら疲れて死にたくなって。友達1人もいない。本当に。なんかね自分が1人なのがよくわかる。死にたい、死にたい頑張っても報われないことが、毎日の強迫野郎のせいでよくわかる。手ボロボロ。痛い。皮膚が死ぬほど手洗いした。

感想1

隣の芝生は青く見えるということわざがありますが、何度見てみてみてもあっちの芝生が青いなと思ってしまうのは錯覚ではないと言い切りたいほど頻繁に起こります。唐揚げ一つとってみても、相手の唐揚げの方が大きく見えてしまう。グラムでは同じだと言われてもにわかには信じられない。

そんな現象(一緒にしてしまいすみません)にあなたはちゃんと翻弄されていることを認め、頭でも理解している様子を文章から感じました。その賢さと素直さにわたしは思わずグッときてしまいました。

唐揚げだったら交換することができるかもしれないけれど、相手の芝や相手とは交換できない、奪えない。きっとあなたは追い求めるものを手に入れようと人一倍必死に努力をされてきたのではないかなと思います。どれだけ手入れをして青々しく芝生が茂ったとしても、やっぱり隣の芝生が青く見える・・。休んでしまう自分を責めながら、上には上がいる現実にも時たま打ちのめされながら、どこまでいけば納得できるのか自分でもわからない。たとえ人に褒められても、すぐに忘れて、否定された言葉ばかり残ってしまうのはどうしてだろう。

他人と比較しないで自分の目の前にある唐揚げや芝生で満足できる、そんな魔法にかかったら幸せなんだろうか。とめどなく頭の中で鳴り響く強迫を忘れて、これでいいね、十分素敵ね、大丈夫って思える経験を一緒にしてみたいなと思いました。

感想2

「今」に納得せず、もっと幸福になれるように求める。同時に、求めることで気力体力が削がれてしまい、休みたくなる。そういう欲求が同時に来てしまって、どちらも本心だからこそどうしていいかわからない現状にあるのかなと、読んでいて感じました。
私個人の話になってしまいますが、私は自分にとってどういう状態が幸せと言えるのか、自分がどこにどのように進めば幸せに至ることができるのか、いまいち明確化できていません。何をもって幸せとするかは人によって変わると思うので、あなたと私の追い求める幸せは違う所にある可能性も大いにあります。でも、幸せになりたくてもがいていることや、幸せへの道中で暗中模索するような感覚を味わっていることは共通しているような気がしました。そう思うと、自分の幸せって何なのかを具体的に考えてみて(あなたの場合は、芸能界が人間の頂点と思えるのはなぜか、という所にヒントがありそうだと勝手に感じました)、その考えたことが時に地図や道しるべのような役割を果たしてくれることもあったりするのかなぁとふと思いました。
それから、あなたも記していた通り、「求める」という行動や感情は本能的な側面があると私も思います。加えて、「休みたい」も生き続けるための本能の一部のように思えます。褒められる自分になるために毎日4時間勉強するという取り組みは、あなたの思いを形にしようとする行動力が感じられますし、時にその取り組みを中断することがあっても、今まで積み重ねたものがきれいさっぱりなくなることはないと感じます。もっと言うと、休みたいという欲求もまた、あなたを保つ、生かす働きがあるのではないかと私は感じたので、休む自分を責めなくてもいいのではないかと私は思ったことを、最後にお伝えしたいと思います。

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