「半年以上継続して努力したことはありますか?」新卒で就活をした時、とある企業の面接でこう聞かれた。
漢検やTOEICなどの試験勉強を工夫して頑張ったエピソードを話したが、どうも面接官が渋い反応をする。質問にはスムーズに答えたし、おかしなところはなかったはずなのにと身構えていると追加で質問をしてきた。
「その時誰かからアドバイスをもらったりしたんですか?」
自分で目標を立て、アプローチを工夫して結果を出したと答えると相手はますます難しい顔になった。そして最後はこんな質問が飛んできた。
「えっと、誰かからアドバイスを受けて成功した体験はありますか?」
ここまで来てようやく相手の意図が分かった。つまりその面接官は一人で努力した経験ではなく誰かに助言を貰って成長したエピソードが聞きたかったのだ。
私はとても悲しくなった。漢検もTOEICも、周りの友人は受けていないか私の方が点数が高かったのでアドバイスを求めるべき相手すらいなかったから。それに最初の質問は「半年以上継続して努力したこと」だったはず。他者の指導を受けて成長した話が聞きたいのなら初めからそう言うべきではないのか。私は相手に質問にきちんと答えたのに興味を持ってもらえなかったどころか頼れる人がいない中でも自力で努力した経験ごと否定された気持ちになった。
環境というのは自分の意思ではどうにもならない要素がある。頼れる人がいないのは私のせいではないはずなのに。このエピソードに限らず、頼りたくても頼れない環境の中で必死に自分の手でなんとかする力を伸ばしてきたのに。なぜ私ががっかりされなければならなかったのか。
心の傷も、日常のちょっとしたお願いも、頼ろうとしたら拒絶された経験が何度もある。周りに人がいて、ちゃんと声を上げて、それでも手を貸してもらえないことは私にとっては当たり前。どうしても頼れない環境もあるのだと、世間には知っていてもらいたい。周囲の人間から助力を得られないのは個人の責任ではない。
環境のせいで孤独な戦いを強いられた人が差別されない社会であってほしい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
それって私のせいですか?
感想2
私は新卒での就活をドロップアウトをした人間ですが、当時の就職面接や就職活動を振り返りながら、あの当時でも意味がわからなかったけど「今考えてもやっぱりわからない」というような理不尽を思い返しながら、どこか自分を重ねて読ませていただきました。
面接という自己PRの場で、その瞬間はもちろんそこに至る経緯や自分が磨き上げてきたもの(こと)を話すのは至極真っ当なことのように感じました(というか企業側もそれを聞いて精査してるんじゃないのかと思ったり。。。)。それで言うと、たとえ(相手からすれば)思った事とは違う答えが返ってきていたとしても、怪訝な顔をするのはいくら雇用する側とはいえ相手に失礼な気がしますし、それなら最初から(投稿者さんも感じたように)奇をてらわずに正確に意図を伝える方が面接という限られた時間内で行うコミュニケーションとしてはよほど自然な気がします。
「半年以上継続して努力したこと」が最初の質問だったとするなら、なおのこと投稿者さんのとった答え方には違和感はありませんし(おそらく私でもそう答えます)、それでも納得のいっていない雰囲気や態度だっとするなら、ともすればそれは「誰かに助言を貰って成長したエピソード」というものが、「ここの会社に入ったら上司や先輩の助言通りに動ける人間になれますか?」という意味にもとれるように私には思えました。
完璧なコミュニケーションや完璧な意思疎通は必ずしも出来るものではないのかもしれません。しかしながら、(いくら質問や言葉のあやがあったとしても)環境や周囲に頼らず(頼れず)に自身の土台や背骨になるものを自力で道を切り拓いてきたことをどこかおざなりに返されたら、たとえそ他意はなかったとしても自分を否定された気になるのも当然な気がしますし、「なぜ?」や「自分のせいなの?」と頭に疑問が浮かんでしまうのも仕方のないことのように思えました。
履歴書に書かれた経歴や何かしらのライセンス、少ない時間内での「自分という人間」を表現しなければいけない「面接」という空間ではどうしても表層的な部分しか知られずに、その人の背後を知ろうとしてもらう、見てもらうというのは難しいことなのかもしれません。ですが、それによって投稿者さんが必死に築き上げてきたもの、環境や境遇など人生と真剣に向き合ってきた時間がなかったこととされるわけでは決してないと私には思えますし、(投稿者さんも書かれているように)そういったことや背景も含めて軽視されない、蔑ろにされない社会になっていってほしいなと思いました。投稿ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。
面接官の質問には、もし私が仮に面接を受けている立場であったとするなら、あなたと同じように自分で頑張ったことを答えると思います。何故かというと、私の中に「社会は自立した人材を求めているという勝手な思い込み」があったためです(今は意外とそんなことないかも?と思っています)。そもそも、企業が何を求めているかは、企業が提示している情報以外を知る手段が面接を受ける側にはないと感じる所もあり、面接官の質問に対し正直少しいじわるだな、あなたの言う通り「企業が知りたいことをそのまま聞いてほしいな」と感じてしまう私がいます。面接官の質問に対しあなたが誠実に答えたことはしっかり伝わってきましたし、また、あなたが自身の置かれた環境の中で最善を尽くして乗り越えてきたもの、それらをあたかも無きもののように扱われたこと(そのように感じさせる振る舞い)に対し憤りの感情に近しい、何かもやもやとしたものが湧いてくる思いです。
「誰かに頼れないことは当人のせいではない」と私も感じます。声を上げても手を貸すかどうかはその周囲の人たち次第で、私たちが手を貸すことを強制できるものではないと感じるからです。少し冷たいようにも感じますが、あなたの言う通り環境によって大きく変わる部分だと感じます。手を取り合い、互いに助け合いながら乗り越えていくことが理想なのかもしれないと感じますし、いずれその理想が現実となってほしいとも感じます。現状、環境的な要因も含め自身で何とかするしかない、という方が理解される社会であってほしい、そうやって乗り越えてきたこともその人の強みであるということを知ってほしい、と心から願います。
改めて、投稿ありがとうございました。