オペミスをした。疲れた。今の業務が嫌になる。つらいです。生きていくのがつらいです。なぜこのような業務をしなくてはならないのでしょうか。疲れました。なんだか笑える日が来るのでしょうか。どこかに旅に出かけたいです。仕事のことを忘れて。みんなよく笑顔で業務出来るのはなぜでしょうか。休みが早く来てほしい。逃げるのも勝ちだと思います。笑える職場が来るのでしょうか。疲れました。疲れました。眠れないのが多々あります。早く起きて仕事に向かうのが馬鹿らしくなります。このまま消えたいです。死にたくなる時も多々あります。どうしたらいいのでしょうか。嫌になる。嫌になる。疲れたという言葉を何回言えばいいのでしょうか。楽な人生とは何ぞや
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
嫌になる
感想2
生活やお金のための仕事とはいえ、「なぜこのような業務をしなくてはならないのでしょうか」とあるように、「嫌になる」という言葉は「こんなことをするために生きているわけではない」とさえ思えるような辛さからポツリと零れ落ちた言葉のように感じました。
日々、心身を削る仕事やその業務に対する気持ちは、疲弊や好転した未来、逃避したい気持ちや周囲への疑問など、辛さが切実だからこそあなたに様々な未来を想像させているのかなと思えました。
ただ、現実は残酷とも言うべきか、頭の中に浮かんでいる考えすらも覆いかぶさるように塗り替えていき、ただただ、疲れや眠れない日々をあなたに強いているように感じました。そんな日々や生活に身を置いている(置かされている)と仕事への意欲はもちろん、消えたい・死にたい気持ちが湧き上がるのも不思議ではないですし、嫌になりながら疲れたと言いながら「楽な人生とは何ぞや」と自問自答にも似た言葉が浮かぶのも自然なことのような気がします。
毎日をがむしゃらに生きながら、「自分にとっての楽」を考えたり、形にしていくのは簡単なものではないのかもしれません。しかしながら、たとえ今は現実的ではないにせよ、あなたの中でいくつかの考えが浮かんでいるなら、流れに身を任せてそれに乗ってみるのもありでしょうし、もう少し頭の中で考えに耽る時間があってもいいのかなと思いました。
感想1
体力も精神も全部まるごとしんどい中で、「仕事」や「人間関係」といった社会の中での動きにどうにか調子を合わせて踏みとどまっているあなたを想像しました。逃げるが勝ちもおおいにありだと思いますし、環境を変えるのは「逃げ」というよりは「方向転換」だと思ったりもするのですが、つらくてもその場で頑張る、変化は大変(難しい)という風潮の社会は、いったい誰のためにあるんだろう?とやるせなくなります。
私自身は「なぜ?」と考えだしたらキリがない(気がしてしまう)から、自分の疲れも社会のあれこれも他人の様子もなるべく見ないように、目を背けて生きている気がします。でもあなたの「なぜ」や「こうしたい」はとても真っ当だと思いましたし、その声があなたの中から強く聞こえているのなら、無理に封じ込めなくてもいいのではないかなと勝手ながら感じました。