私は中学1年生です。ソフトテニス部にも入ってます。私の学校は私立中学で、そこそこ頭良いい学校です。前までの私の将来の夢はソフトテニス日本1でした、その夢を叶えるために私立中学を受験しました。この後こんな絶望的するのも知らずに、、私は小学校5年生の時にいじめを受けていました。そこから人の視線が怖くなり人前で喋る事が出来なくなってしまいました。6年生になっても友達はいないまま卒業してしまいました。けれど、私立中学に入って環境が変わって、日本1になるために頑張らなきゃ!という気持ちと、友達をたくさんつくろう!と、とてもワクワクしていました。でも、現実はそう甘くなかったのです。中体連期間は毎日部活。きつい練習もあればコーチからの罵声。絶対に勝たなきゃいけないというプレッシャー3年生が最後というプレッシャーがとてつもなくあり、1度気持ちが爆発してしまいました。そこから、もう始まっていたのです。10月下旬。次は1年生全員が先輩達に悪口を吹き込むということがおこりました。1年生は私を入れて3人います。その3人に対して先輩(中学3年生と高校生)が、「1年生ってマジうざいやつばっか。」や、「一旦死刑にしよっかw」などと1年生の目の前で言われました。それで、先生に相談し、この問題は解決しました。けれど次は、学校で私の悪口を影でたくさん言われているとの事でした。例えば、「カンニングしてる。」や「休みすぎ」、「どうせ活躍も何もしてないくせにアスリートクラスに入ってくんな」等です。凄く傷つきました。自分の努力も知らないでこんな事言われてたと思うと、もう頑張る意味が無いんじゃないかと思ってしまったのです。そこからどんどん学校に行きたくないし、朝学校に行くとなると泣いてしまい、学校に行けなくて出席日数が足りなくなって、部活の大会に出れなくなる、、でもそんなこと言われても行けないものは行けないし、部活にだって出たい。たくさん大会に出たい。コーチを見返したい。日本1の夢も諦めたくない、でも辛い、死にたい。もう頑張れない。これが現状の私です。私は頑張れって言われるのが1番嫌いです。勇気出してとか、切り替えて!とか、いける!とか、そんな言葉求めてない。行きたくないって言ってんのにそれを批判して更には心を壊そうとしている。そんなの絶対に違うはず、もっと色々な手があるはずだと信じています。なので私は将来、精神科になります。私と同じまたはそれ以上苦しんでいる人がいる中でほっとけない、助けてあげたい。私の人生は辛くて苦しくてもう死にたいけど誰かを助けたいという気持ちは誰にも負けないと思います。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私の人生
感想2
あなたが今感じていることをまずは書いてみようと思ったのか、はたまた書かずにはいられなかったのか、とにかく噴き出してくるような勢いを感じました。大小さまざまな気持ちのしぶきがたくさん飛んできているようなイメージが浮かんでいます。これまでいろいろなことに目標をもって頑張ってきたあなたにとっては、頑張ることが難しくなった今は不本意なのかもしれませんが、私は読んでいてこれから生きていくうえではとても貴重な経験をしているように思えました。
あなたの経験談を読んで私は「頑張りたい」「頑張りたくない」の違いについて考えています。人にとって「頑張りたい」も「頑張りたくない」も同じく自分の大切な気持ちなのに、しばしば「頑張りたい」は歓迎されたり、褒められたりするけれど、「頑張りたくない」は言ってはいけないと思われたり、サボっているとか楽をしようとしているとかあまり歓迎されず、改善を求められることが多いように思います。だから「頑張りたい」は自分も周囲も気づきやすいけれど、「頑張りたくない」とか「もう無理」とか「しんどい」は自分でも気づきにくく、体が動かなくなったり、泣いてしまうなど他のことでようやく気づくこともありそうだと思いました。あなたの場合も気持ちが言葉になるより先に、心と体がちゃんとSOSのサインを出している様子がよくわかりました。
そう考えると、私たちの社会では暗黙に「頑張ることはいいこと」「頑張らなければならない」という固定概念が想像以上に強いことを再認識します。あなたが自分の経験から、「頑張れ」と言われるのが1番嫌いだと強く思うことも、そんな社会に気づいているからかもしれません。そんなあなたの感じる力、考える力をとても頼もしく感じます。
最後にあなたの人を助けたい強い気持ちはあなたが自分自身を助けたいという気持ちと重なっているように私は感じています。誰かを助ける、誰かの力になるということと、自分を助ける、自分の力になるということは実はとても深い関係があると私は思っています。ちょっとめんどくさい言い方になりますが、誰かを本当の意味で助けられるのはその人だけで、でも、その人が自分を助けるために誰かの力を借りることはあるし、他の人が手助けしてくれると自分を助けやすくなると思っています。人を助けることは本当に奥が深いので、また、思うことがあれば、いつでも書いてみてください。
感想1
あなたの本音、負けん気、思いの強さを文章の所々から感じ取りながら読ませてもらいました。どんな状況になっても、どんな思いをしても日本1を見据えているからこそ周囲と違う目線で堂々としていたいというあなたの心構えも感じました。いじめはまるで自分の存在そのものを否定されたかのように感じる怖い経験です。あなたが人を怖くなったのもうなずけます。心は正直なもので、「もうしんどいよ」ってSOSを出しているようです。誰よりも上を目指しているあなたが動けなくなっているくらいですから、相当しんどいんだろうなって私は感じます。他人からの「頑張れ」を受け付けられないのは、あなたの思いや努力を知っているのはあなただけだからだと思います。あなたを励ませるのはあなた自身なのかもしれませんが、私もこの感想を書きながら応援したくなりました。でも私が応援したいのは、あなたが周囲から言われるように行動することではなくて、あなたの「意思」そのものです。
「そんなの絶対に違うはず、もっと色々な手があるはずだと信じています。」その通りだと私も思います。あなたの人生の選択肢をあなたが広げることも選ぶこともできます。あなたは自分の人生を手離してはいないと思います。あなたが動けない時も、動ける時もそのままの意思を尊重したいですし、他の誰でもないあなたの人生を歩けることを願っています。私も自分の人生を歩きたいと思います。