経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生まれるべきではなかった。

高校生で軽いいじめに合い、不登校気味に。
母からはただの気持ちの問題だ怠けすぎだと日々叱られ私と家族との中は最悪でした。その時期にはいない方が楽だった。私は3女ですが、3番目に産まれてくる子は男の子が良かったと。私の存在がまるで否定されたようでした。高3でクラスに恵まれ登校できるようになると、母の機嫌は良くなりごく普通の親子のようになりました。
専門学校では簡単に言えば、成績はかなり優秀な方だったと思います。卒業展では最優秀の賞もいただき母には褒めて貰えました。社会人となりパティシエとして新卒で入社した会社では、上司の方の機嫌がかなり悪く、物に当たるタイプでした。私自身覚えが悪いと思っていましたが、思いのほか覚えがいいと褒めていただけることは多かったです。ですが私にとってそれがかえってプレッシャーとして働いてしまい、ミスをしては行けない、とミスを恐れて仕事をするようになりました。たちまち体調も崩し仕事に行くことが出来なくなりそのまま退職となりました。その後割とすぐ転職しオープニングスタッフとしてカフェで働き始めました。ただ上司と同僚が同じ外国の人だったことが、問題でした。もちろん日本人も私を合わせ3名いました。ですが、環境は思いのほか最悪で、日本人への差別が酷かったです。省略し、悪い言い方にはなりますが、わかりやすく言うのであれば奴隷のような扱いでした。辞めるならば訴えると言われ、その後も揉め事が沢山あり、最終的には訴えられることはありませんでしたが、無事に退職し、私のパティシエとしての自身はほぼなくなりました。その後しばらく仕事することに抵抗があり、求人を見ながらもどこか気の引けているような感じでした。ですが親は心配ですから、私を急かしてきます。結果的に、3ヶ月がたった頃にパティシエとは何の関係もないテイクアウトのお店に就職することになりましたが、最初は試用期間でアルバイト段階ということでした。仕事量も多くないので覚えるのは難しくありませんでした。ですが、あまりにも、期待しているムーブを醸し出して来られるので、またもそれがプレッシャーになってしまいました。仕事に行くことが怖くなり、ただ、このままだと、家庭での信頼が地に落ち、社会的信用も失うのではないかと恐れましたが、それでも私の体は言うことを聞きません。こんな私が本当に大嫌いです。死ねるなら死にたいです。私がここまで、期待をプレッシャーとして受け取ってしまう要因として、最近気づいたのは、親の影響だと仮定しています。私の親は実力主義でもあります。詳しいことは言えませんが、スポーツ面でかなり秀でた才能を持っている人が多いです。その中で比べれば私はかなり落ちこぼれていて、親の期待に応えることが出来れば、親はもちろんのこと優しくなりますし、逆に答えることが出来ない、もしくは親の望まぬ行為をしてしまえば、私への親の態度は悪くなります。仕事をまともに出来ない今の私は、親からすれば、出来の悪い娘そのものです。親には申し訳なく思います。今朝、親になぜ仕事に行かないのか、理由はなんなのか問われました。私は、最終的に親にたどり着いてしまう理由を本人に言うことと、そもそも、私のこれ系の話を最後までまともに聞いて、理解しようとしてくれたことの無い親に、説明することが出来るのか心の中でずっと考え、母から見れば無視しているような状態だったでしょう。後に私は過呼吸になり叫ぶような状態になりました。その中でも聞き取れた母の言葉は、うるさい、甘やかしすぎた、甘やかしすぎだとお父さんにに怒られた。という言葉たちでした。本当に私は産まれてくるべきではなかったのかもしれないとそこではっきり思いました。死ねるなら死にたいですが、それでも死ねない理由は、家族にあり、私は家族のことが大好きです。ましてや親より先に死ぬことにひどく抵抗があります。家族と会えなくなることや楽しかった思い出を、死のうと思うギリギリのところでたくさん思い出し、なかなか死ぬ勇気が出せません。ここで踏みとどまれるだけまだマシなんだとは思います。こんな不甲斐ない娘で申し訳ないです。こんな私が生きていることが家庭の邪魔でしかないです。今日父が返ってくるのが怖いです。私の部屋に来る音が怖いです。もしかしたら母もどこかでまた来るかもしれなくて怖いです。私に残された逃げ道は、死ぬことだけしか、見つからないです。

感想1

投稿ありがとうございます。私もいじめにあっていたのと、あなたと似たように、親から「気持ちの問題」などと言われていたので、そこからくるつらさについて勝手ながら想像し、共感していました。
出生の性別に関する言葉はあまりにも心無いものだと思ったのと、そういった言葉は不登校の時期には特に日常的に投げかけられていたのかもしれないと感じ、他者が勝手に言っているものなのに、自己否定に繋がってしまうことだと思いました。登校し始めてから母の機嫌が良くなるのも、あなたのこれまでの苦しさには目を向けず、”世間体”だけを意識したものに感じたのと、卒業展の最優秀賞を受賞した際に、あなたに「褒めてもらえました」と”表現させた母”に、私が一人勝手にモヤモヤしています…。この時点でもう心身共にダメージの蓄積は相当だったんじゃないかなと、後半部分に書かれていたあなたの苦しさと重ねながら、そう考えています。上司の機嫌の悪さに対して、あなたは怒らせる事がないように意識をピリつかせていたんじゃないかと想像し、覚えの良さを褒められてもそこがプレッシャーになることは、苦しいけれどある意味で自然な流れでもあることを感じました。誰かの「機嫌」や、そこから作り出される「環境」に左右されて、そんな時、自分の行動や思考が本来のものではなくなっている様子もイメージして、理不尽さも覚えた私がいます。最優秀賞を獲った経験も含め、”パティシエとしての自信”はあなたにとってこれまで救いになっていた部分があったのかなと思い、そこをほぼ失くしてしまったと感じた時には、次を探す気力もですし、これから先を考える事自体がストレスと大きな不安要素として、あなたにのしかかってきてしまうことを思いました。職場環境でしんどいこと続きだったのもあり、一息つく間もなかったのではと考え、親に次を急かされてしまうこともまた、あなたにとってとても心を削られるような思いがあったことを想像しています。
私も、期待されるとプレッシャーに感じてしまうし、”家庭での信頼・社会的信用”という言葉にもとても思い当たる感覚があり、つよい自己嫌悪や、あなたの言う”要因”の分析について興味深く、そしてまた共感しながら読ませてもらったところでした。「最近気づいた」と書いてあった部分から、その気づきもあって今回このように投稿してくれたのもあるのかな、と思っています。
才能・実力・能力などなど、そういったものが重要視され、そしてそれ以外は認めない…そういった環境で、なおかつ、それが「当たり前だ」と”思わされてしまう”環境では、自分でも気づかぬほど、これまで常にプレッシャーを感じていたんじゃないか…と思ったのと、先程も似たようなことを書きましたが、他者の機嫌を自然と伺うようにもなるし、「機嫌を悪くさせてしまっているのは自分なのでは・自分にはなにもないんじゃないか」と、無意識に誰かと比較したり、そのように勘違いしてしまう思考パターンが作り出されると私は思いました。
あなたも分析しながら少しずつわかってきている部分もあるかもしれないけれど、私が思ったのは、これまでの環境が今のあなたの苦しさや自責へと繋がってしまっていること。そして、あなたが親に対して申し訳なさを抱かなくて大丈夫だということを、大変勝手にですが、文章を読みながらそう思い、言わせてもらいました。
仕事に行かないことについて問われた時は、その一瞬にして一気にあらゆる想いや考え、感情が出てきたり蘇ってきたりしたんじゃないかと思いました。もう頭も心も破裂しそうな状態になっていて、苦しくて、でもそれを上手く出せなくて、(出させてもらえなかった)過呼吸の症状・叫びとして現れたのかなと考えました。(私も似た経験があり、あくまで推測です)
甘やかしすぎたのではなく、むしろ厳しすぎたのではと私は思ってしまいましたし、「うるさい」という言葉に関しては、これまでのあなたが沢山かけられてきたプレッシャーや圧力・当たり前の押し付けの方が、音としてではなく「うるさかった」のではないかと、あなたが大切にしている親に対して勝手なことを言っている自覚はあるのですが、そう思った私がいます。
また、帰ってくること、部屋に近づいてくる音が怖いことにも、とても共感でした。嫌なのに(嫌だから?)変に聞き耳を立ててしまう居心地の悪さと恐怖があって、心拍が上がるような…今も心が休まる時間がない状況をイメージしています。
でも、家族の存在に怯えながらも、それでも大好きで、申し訳なさすら出てくるその”要因”も、少しずつあなたはまた仮説を立て分析できていくんじゃないだろうかと、私は思いました。またよかったらここで、あなたのことを教えてください。いつでも投稿をお待ちしています。

感想2

投稿ありがとうございます。
他者からの評価に振り回され、怯える生活が長く続いていることが伝わってきました。親の機嫌を伺うことがそのまま親の評価基準に適応することとなっていき、それがあなたの「当たり前」になっていった様子がありありと描かれていました。親子関係は人が最初に経験する対人関係・社会であり、そこでの振る舞いや扱われ方は家庭外にも色濃く反映されると感じます。その点、「期待に応えなければ」という感覚はあなたが小さい頃から抱いてきたストレスそのものであり、期待をプレッシャーに感じるのも当然だと思いました。

自分の現状について「親の影響」だと整理することはある意味、親と自分との間に適切な境界線を引く行為であるようにも見えますが、だからといって何も感じないわけにもいかないところが親子関係の難しさだと思います。子どもは、生まれる場所や生まれ方を自分で選べるわけではなく、(恵まれている・いないという話は抜きにして)物心ついたその「場所(環境)」に適応する以外の選択肢を知ることすらままならないことが、何よりも不公平だと考えています。あなたの「生まれるべきでなかった」という感覚を否定したいわけではないのですが、一方でそういう”評価”を環境によって内在化させられているようにも私には思えました。
誰かに常に評価されたり責め立てられることはそれだけで十分怖いですが、親だからこそ、情があるからこそ、「怖い」だけでは言い表せない感情がそこに渦巻いていること、それによって自分に矛先を向けるしかないあなたのしんどさを、何よりも受け止めたいと思いました。

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