経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたいじゃない家族への

自分の希死念慮は、本当は家族への恨みだったのではないか⋯と思うことがあります。

というのも、私の死にたい気持ちは、あらゆる生きづらさが家族問題の後遺症であると分かったとたん、途方もない無念さと怒りのフラッシュバックにとって代わったからです。

私はアルコール依存症者の家庭で育ちました。依存症当事者は祖父です。元々、祖父母とは別居していたのですが、きょうだいが生まれるタイミングで、彼らとの三世代同居がはじまりました。その頃私は3歳でした。

未成年期のことはあまりことは覚えていません。そのため、「家庭にアルコール依存症者がいた」という自覚を得たのも、じつは祖父が故人になってずいぶん経ってからです。家庭内でアルコールをきっかけとした暴言や口論があったにも関わらず、暴力が風景として馴染み過ぎていて、誰もそれがおかしいものだと言えず、認識もなかったのでした。親ですら緊張感を感じつつも何も口出しはできず、ひたすら萎縮して順応する以外にはなかった、と後になって聞きました。

曖昧な記憶にはなりますが、私は小学生頃、酔った祖父と祖母の口論を仲裁しに行きました。宿題をしていても階下で怒鳴り合いが聞こえていたので、恐る恐る階段を降り、止まらない大声の応酬を確かめてから、やめてほしいと頼みに行った気がします。(案の定効果はなかったのですが)

以降の10代はじわじわと感情や意欲、現実感のようなものがぼんやりしていって、負荷のかかるやり取りや長時間の一方的な大声も、「自分と離れたところでラジオのように聞こえる」感覚へと変化していきました。希死念慮を漠然と抱き始めたのもこの頃で、うっすら長生きできない確信が芽生えていました。成績が落ちるのも、気分の落ち込みも、進路選択も深く考えませんでした。どこに進学しようが、何を学ぼうが、気が向いた時に死ぬつもりだったから、自分の将来なんてどうでもいいと捨鉢だったのです。当然後の就職に影響が出ました。

この時点で家族環境への違和感に気づき、外部の支援へ繋がれていたら⋯と今でも後悔しています。結果として家族の誰もが無自覚なまま、支援の網をすり抜けてDVの渦中を耐え忍んでしまいました。
失われた人生を選べる機会も守れたはずの健康も、穏やかに過ごせたかもしれない時間も戻らない。それを思うと、悔しくて仕方ないです。

⋯ということが、被害から10年越しほどで起きたフラッシュバックをきっかけに明らかになったのでした。
死にたい気持ちが、全く気の持ちようではなかったこと。あらゆる精神的な不調は気にし過ぎでも気質の問題でもなく、逆境体験に適応して、生き延びた結果であったこと。それがまとめて生きづらさとして自分のなかに刻まれてしまっている。
そして、正確な見立てや介入があれば、防げたかもしれない消耗の段階があったのに。
 
なぜ死にたいと思わなければならなかったのか?
私の人生を自ら台無しにしてもいいと長い間思い続けてしまったのか?

その無念さは、いまでもとても消化できるものではないです。
放置されて何事もなかったことにされ、その後遺症だけが自己責任として残される怒り恨みつらみが、誰の責任にできるわけではないとしても、家族に向かってしまいます。

一応、親とは先のような出来事、自分の体調などを共有することができていて、私の側からも彼らの事情は直接聴いています。何度かしっかりと話し合いの機会を設けることで、親も祖父母世代もままならなかったということは事実としては理解できました。

私にとって恨みとは「切り捨てざるをえなかった感情」たちで、それは無くそうとすれば抵抗してより大きく声を上げるのだろうなと思います。
(実際、怒りや悲しみから逃れようとするほど同じ内容でフラッシュバックは追いかけてきます)
それは私が私にとっての最も信頼できる家族であり、最も粗末に扱ってきた存在だからかもしれません。

今は死にたくないです。かといって特別に生きたいとも思わないまま、今日の残りの時間も明日もただ安心できるように過ごしたいです。

感想1

投稿ありがとうございます。
投稿者さんの体験やそれに伴う感情を考えると、これほど自分の感情にまっすぐに目を向けるというのは、時間も労力もかかったことと想像します。まずはそのことを労いたいです。投稿の各所に印象的な言葉がたくさんあり、私自身、自分の感情の一つ一つを確かめ、尊重しようと気持ちを新たにさせてもらえるような、そんな投稿でした。

総じて感じたのは、あなたが感情を取り戻していく過程にあるんだということです。あの頃は感じられなかった、生き延びるために感じないようにしていた感情を丁寧に回収されているのだなと、私は感じています。穏やかに過ごせたかもしれない時間を奪われた悔しさは決して心地のよいものではないでしょうけど、着実にあなたが変化していっていることを示す感情の一つなのだろうと感じます。
また、私には「なぜ死にたいと思わなければならなかったのか?」という言葉が特に印象に残っています。この言葉によって、あなたが奪われた感情の中には、自尊心みたいなものも含まれていたのかなと私なりに考えたり、私は死にたい気持ちを自分の内面に起因するものと考えて過ぎて、外部の要因に目を向けていなかったのかもと気付かせてもらえたりしています。
それから、恨み=捨てざるを得なかった感情たちという表現にも、色々なことを感じています。あなたの視点での感情の認識って、私にとって「確かにそうかも」とも思えるし、同時に新鮮でもあるものでした。一度は捨てることになった感情を再び集めているあなただからこそ、一つ一つの感情の見え方がフラットで、私にはない発想で感情を捉えている感じがしたのです。集めることで増える恨みがあるようなので、どうか気持ちのやり繰りができそうな範囲で感情を集めてみてはどうかと、勝手ながら思いました。

最後になりますが、かつてのあなたにとって感情をどこかに投げかけることはとても危険な行為の一つだったんじゃないかと私は考えています。そのため、この投稿に込められた意味合いをいろいろ考えさせられました。私は、感情は捨てる・集めるだけでなく、一時的に放置したり、吐き出したり、別の形にして発散したりなどなど、さまざまな向き合い方があると思います(この投稿自体、感情に向き合う行為の一つなのかなと思ったり)。いろいろな感情を受け止められるので、気が向いたらまた投稿してみてくださいね。

感想2

あなたがこれまでの生い立ちを振り返ることで、今の生きづらさにつながる要素を拾い集め、今からでも修正できるものを探し、考えている様子が伝わってきました。今回書いてくださったような解像度でエピソードと自己認識を掴むまで、どのくらいの時間と精神力を要したのだろう…と考えながら読みました。
認識として当時わからなかった他家族の視点を補完することで理解は進む一方、出来事の整理がなされるほど当時の自分の「切り捨てざるを得なかった感情」も色濃くなっているのかなと想像しています。渦中を抜けたからこそ生まれる後悔、感じ取れる可能性の芽が多くあるからこそ、不可逆的な時間の流れ、年齢や社会との繋がり方について強いやるせなさが生まれているのかなと感じました。
できることなら、家庭の外から別の手を差し入れられるような支援・社会の目が機能していれば…と歯がゆくも思いました。家庭という小さくて狭い人間関係のなかでの出来事を非常事態として捉えることは、他の家庭を知る機会のないうちにはすごく難しくて、結果的にそこから逃れる手段を持てない子どもの自我や感情の発芽に皺寄せがいってしまうのだと感じます。大人になり自分が何に影響を受けてきたかに気づいた時点で、家族に恨みや怒りといった感情が向かないほうが不自然なのではと思いました(私自身、いまだに家族の過去の対応について納得いっていないことが多くあるので、そう感じるのかもしれませんが)。

今のあなたは、子どもの頃に持ち得なかった期待や願い、怒りや抵抗感のフラッシュバックを以って、今改めて失われた自分(あなた)自身を救い上げ、受け止め直そうとしているようにも思えました。同時に、それらと向き合っても尚戻らない時間が絶対的なものとして横たわっているからこそ、感情から逃れたくなる気持ちも当然だと思いました。向き合っても消化されない生きづらさもあると考えているからです。私たちが生きながら心の中に渦巻く感情のうち、外に出せるもの、やり場のあるものは本当にわずかしかないように感じますが、言葉として、文字として表現することが何らかの形で「安心」に寄与するならば、またここを使ってみてほしいと思います。

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