経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ネットでも孤立

ネットの方が人間関係難しいのに私にはネットしか人と関われる場所がない。現実の引きこもりの居場所支援みたいなものは地元にはない。
だから必然的に次から次へと傷を増やしていった。最近もだいぶ大きめの傷を立て続けに負った。今回はそれを紹介する。
ひとつは数年の付き合いがあった人が陰謀論者になってた事が発覚した事。
私は馬鹿だからその人に正論をぶつけてしまった。エビデンス付きで陰謀論を否定したのだ。
陰謀論者にそれは悪手だと知っていたけど、「まさかこの人が」というショックで正気を失っていたからそこまで気が回らなかった。
当然ブロックされたしこっちもブロックした。数年の付き合いがあったから喪失感半端なかった。
もうひとつはコミュニティの管理人に拒絶され、事実上の出禁を言い渡された事。
私がそこでされて嫌だった事を言いづらかったため、聞かれてもごまかして頑なに言わず、客観的に見て挙動がおかしくなり、そのくせ長時間かけて自分の事情(障害とか)の説明をしたが、結局一度は全部自分で抱え込んで去っていった。
でも2ヶ月経ってから「やっぱりちゃんと言わなきゃ」と思ってメッセージを送ったものの、それまでの行いでしつこいと思われたのか、「最初からハッキリ言え」「今更実はこうでしたと言われても困る」「これ以上あなたに関わりたくない」といった趣旨の事を言われて拒絶されてしまった。

私は幼い頃から発達障害と感覚過敏のせいで学校に居るだけで辛く、不登校になりがちで、まともに人とコミュニケーションをする余裕もなかった。
そんな風に育ったら、当然健常者と比べて様々な能力が欠けていて、しかも大人になっても辛さはあまり変わらなかったから、成長の遅れを取り戻す事も全然できていない。
それでも根本的には人恋しさがあって、でも他人に興味があるかと言うとそうでもなくて…という矛盾を抱えたまま迷走していた。そういう風にしか生きられなかった。
おそらくコミュニケーションに正解はないのだろうという事は分かる。時と場合によって、ハッキリ言うべき時と、何も言わない方がいい時があるのだろう…という事は分かる。
でも私はこれまで述べた通り、人付き合いの経験が少なすぎる上に似たような失敗を繰り返してばかりだから、もういっそ「どんな時でもこうしておけばだいたいOK」みたいなワイルドカードが欲しくなる。
もういっそ“寂しい”という感情がなくなってしまえば、こんな風に迷走して、同じような失敗を繰り返して傷つき体験ばかり増やしてしまわなくても済むのに。
それとも、これは失敗じゃなくてただの“別れ”で、別れは人間関係において必然的なものだとでもいうのか?こんな別れ方が?
いやいや、そんな訳がない。これは私に社会性がないから、空気が読めないから、ハッキリ言うべきか余計な事を言わないようにすべきか適切に選べないから、自ら人間関係を破壊してしまったに過ぎない。本当はもっと長く人間関係を維持できたはずで、こんなのはただの失敗だ。

でもまたそのうち寂しくなってまたやらかすんだろうな。

感想1

私も、ネットしか人と関われる場所がないと自分で思っていて、ネットの住人をやっています。今回はそんな私から感想を書かせてもらいます。

ひとつめにあったお話では、陰謀論そのもの自体がまず受け入れられないというのと、「まさかこの人が。」と思った相手だったというところから、もう気持ちが落ち着いていられなかった様子が伝わってきました。その人のことをあなたなりに信用していたり、「話が合うな〜。」など関わりが楽しかったというのも背景にあるのかなと想像しています。
コミュニティでは、「されて嫌だったことがある。」と、そうやって理由があった事を伝えられない・わかってもらえないのはきっとすごくモヤモヤしてつらかったと思いましたし、その前にまず、されて嫌だったことがとても苦しかったんじゃないだろうか…と思いました。あなたが、我慢してでもそのコミュニティにいたいと思っていたのかなと感じ、大切な居場所だったということがわかる一文に思いました。立て続けに起こったとなるとネットへの不安やコミュニティへの恐怖も出てくるだろうし、喪失感も増すと思いました。
先程書いた通りに、私はネットに居場所を求めているので他人事として読めなかったり(勝手にですが)ネットの良さ・そして特有の難しさってあるなぁ…と今改めて感じています。ここなら楽しくいられるかもと思ってもそうじゃなくなってしまった(そうじゃなかった)時、私は次を求めるのですが、どこへ行ってもこんな感じだったら嫌だなぁと思ったり、うまく楽しめない自分に対しても嫌気がさす感覚があるかもしれない…と思いました。

読みながら感じたのですが、幼い頃から抱えるつらさのことや「これは良くないかもと思ったけどこういう理由で自分はやった。」などなど、その当時の自分のことを振り返って分析している気がしました。ここに書いていないだけで、もっと色々考えたり分析したりもあったのかなと思います。でもそれも「そういう風にしか生きられなかった(そうやってなんとか生きてきた)」なのもあったりするのだろうか…と考えているところです。
そして、「根本的には人恋しさがあるけど他人に興味があるかと言うとそうでもない。」にとても共感しました。私の場合ですが、人と関わっていたい・孤独感が強い・寂しい…からくる人恋しさがあり、でもその関わる人を深く知りたいか?というと違います。そうじゃなくて「孤独を紛らわすためにもとりあえず沢山の人と関わりたい、”人と関われている自分”が欲しい。」の気持ちが強く、「自分にはここがある!」と思いたい…など、ある意味の自分軸があるかもなぁと考えました。なので、あなたの人恋しさについてもっと聞いてみたくなりました。
人間関係を維持できる人や、コミュニケーション上手が良い、というのが世に蔓延ってる気がしているし、私自身それに心がやられている一人です。でもあなたの文章を読みながら私は「上手くいかなくてもその場その時の自分にできるネットの使い方で、もう転々としようかな。合わなければいくらでも漂ってみようかな…。」という考えにさせてもらいました。こうやって私のように、あなたと似た経験や想いがある人へ何かの気づきになるかもしれないと感じています。
投稿ありがとうございました。必要な時はまたいつでも死にトリにきて下さい。

感想2

あなたが自分の置かれている状況をよく理解したうえで、現状を嘆いていることが至極全うだと感じて、じっくりを読みました。そして、最後の一文の「またやらかすんだろうな」という吐き出しに深い哀しみを感じると同時に、今の社会の中で理解や合理的な配慮が追いつかない現実を痛感しています。
というのも、あなたは発達障がいと感覚過敏があり、幼い頃からとても苦労をしていることが推測されたからです。発達障がいも感覚過敏も周囲の人には見えないことなので、周囲に理解されることが難しいと思っています。私自身はそうした特性はないのですが、これまで似たような状況の人たちと関わることが多く、いろいろな話を聞いているとその苦労がかなり深刻であると感じることがありました。そして、多くの場合は理解されないだけではなく、誤解をされて、不当な評価を受けることもあり、とても理不尽だと思ってきたところがあります。だから、あなた自身が自分に責任がある、自分が悪いと思いながら何とかダメージを最小限にしてきた努力も伝わってくる中で、孤立をしてしまう状況が続く様子を、なんとも歯がゆく、どうしたら見えない苦労をしている人たちがもう少し理解されるようになるのか考えています。
あなたは自身のことを「社会性がない、空気が読めない」と書いていますが、これだけの客観性と自己理解がある人に社会性がないと言わせてしまうのは、一般的な社会性の基準がどこかおかしいと思うところがあります。必要なことを言わなくても、空気を読み、相手を察しあうことを基準とするのなら、認知や理解に特性がある人にとってはそもそもできないしとても苦手なことを強いることになります。足が不自由な人や目が見えない人は誰が見ても分かりやすいのですが、理解の仕方に特徴がある人はそれを理解されず、サボっているとか、努力が足りないなどの自己責任にされることも多くあります。
また、音や光、臭いなどの感覚の苦手がある人も周囲にはそのつらさや苦しさを理解されず、あなたの場合もそれがつらくて学校に行けなかったのに、代わりに学ぶ機会をもらえるわけではなく、不利益があったのだろうと思います。つまり、特性等があることにより他の人よりも学ぶことは多いはずなのに、社会参加の機会が少なくなり、その中で何とか自助努力をしなければならず、あなたの経験談からもそうした背景が伝わってきたと私は感じました(的外れだったらすみません)。
あなたに必要なのは、自分だけで考えてきた『「どんな時でもこうしておけばだいたいOK」みたいなワイルドカード』(なんてわかりやすいネーミングなんだと思わずうなってしまいました)を理解者と一緒に考えられる機会なのかなと思います。そうした機会があれば、やらかすことも少なくなると思いますし、やらかすようなところを避け、苦労が少なく人と関わるところを選ぶことも可能なのかもしれません。そんな機会はどこにあるんだ…と突っ込まれそうですが、あなたの周りに少しでも言葉が通じた人はこれまでいなかったのだろうかと考えています。もしも、すぐに見つからないのであれば、死にトリは受け取ってこうして感想を書くことぐらいしかできませんが、少なくとも理解し、わかちあいたいとは思っていますので、また声を届けてもらえたらと思います。

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