私は今年度新卒でこども園に就職しました。実習も終えて保育教諭となっているため、その仕事が大変なことも分かっていましたし、自分にはその仕事に必要な熱意が十分にないことも自覚していました。
ですが、資格のために学校のお金も親に出してもらい先生にも勧められ、促されるまま春から働きだすと、一人暮らしも同時に始めたためかとてもしんどさを感じる日々が続きました。
しんどいと思うポイントとしては、家に帰ってもその日の辛さを聞いてくれる人がいないこと、仕事では自分の自由な発想や専門的な考えが求められること、残業や持ち帰りの仕事が多く仕事とプライベートの線引きが曖昧なこと、園長先生の威圧感が強く心がすり減ることです。
平日のストレスから秋頃からは週末に夜通し呑み歩くようになりました。先生という肩書きも責任も忘れて知らない自分でいることが心地よかったのです。
でも、それが続けば続くほどもちろん身体の不調もでてきて、加えて1人でいる時間に耐えられなくなっていきました。
今本来の私はどこにあるのか、自分はいったいなにがしたいのか、もう自分でも自分を見失ってしまっています。
職場の人もよく気にかけてくれていて悪い職場とは言いきれないため、余計にそこで頑張れない自分が不甲斐ないです。それに、今の職場を変えたとして、私はちゃんと頑張れる人間になれるのか不安もあります。そもそも自分で決めた就職先でこのような状態になっていては今後働いていけないのではないかとも思ってしまいます。
ただ、日曜の夜には次の週への不安感で他のことが考えられなくなり涙が止まらなくなります。
全部自分の甘えや弱さや根性の無さなのではと思う気持ちと、それでも辛いし逃げてしまいたいと思う気持ちで揺れる毎日です。
話もまとまらずぐるぐるとしていますが、これがありのままの私の思いです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分とは
感想2
自分が働きはじめたころを思い出して、共感もしつつ読ませてもらいました。
慣れない一人暮らしで、その日の辛さを共有することが難しいというのはしんどさがどんどん積み重なっていきますよね。日々の辛いこと・嫌なことって、誰かが話を少し聞いてくれたり、共感してくれたりするだけでも緩和していくのに…。
一人でいる寂しさが募ることもあるかと思います。週末に夜通し呑み歩いている時間は少なくとも一人ではないと感じられる時間なのではないでしょうか。
また仕事も今年から始めたばかりで、その仕事内容も責任のあるもの。学生のときとは求められることが異なる中でこなさないといけない仕事も多く、自分の時間も仕事で埋まってしまうこともある。さらに園長先生の威圧感(プレッシャー)も感じながらの仕事は、毎日ハードル跳びをしてどうにか乗り越えていっているような印象を受けました。
そんな毎日が積み重なって、文字通り心身疲れている状態が今なのかなと。いろんなことがいっぱいいっぱいになっているように受け取っています。
また読みながら、あなたの仕事に対しての責任感、真面目さと誠実さを感じました。自分が頑張れていないだけなのかもしれない、熱意が足りないかもしれない、自分で選んだ仕事なのに。こういった思いは仕事に対してまっすぐな心を向けないと湧き出てこないと個人的には思うのです。
ただこうした思いを抱く背景には、社会の中に蔓延している「自己責任論」もあるように感じています。あなたが悪いというのではなく、私たちが幼少期から刷り込まれてきた「自分で決めたことの責任は自分でとらないといけない」「自分でどうにかしないといけない」という価値観は、ときに私たちをそこに縛り付けてしまうなあと。
例えば少し休んだり、職場を変えたりするのは逃げではないと思いますし、逃げてもいいんじゃないかしら、と思うのです。
我慢して頑張る人生もあるかもしれませんが、全てに対してそうでなくてもいいと思います。自分がそうありたいとおもったものに対して頑張る人生もあるのではないでしょうか。
「今本来の私はどこにあるのか、自分はいったいなにがしたいのか、もう自分でも自分を見失ってしまっています。」一旦立ち止まって自分をもう一度みつけるために時間を使ってみてもいいのかな、と個人的には思います。
日曜日の夜に泣かなくていい仕事はきっとたくさんあるはず。
文章を読ませてもらったものとしてどうか自分をいたわる時間が少しでも増えますようにと心から思っています。
またよかったら投稿しにきていただければ嬉しいです。
ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。
揺れ動く心の動きを感じる一方で、あなたが自身のことをしっかり分析しているように感じました。同時に、心がすり減る日々を過ごすうちに、あなたのその力が奪われてしまい疲れ切っているようにも感じています。まずは労いの言葉をかけたい気持ちです。
あなたの経験談を読んでいると、「促されるまま」に保育の仕事に就いたことをはじめ、あなたの気持ちを優先して決めてきた経験があまり多くなかったのかな…と率直に感じました(違ったらすみません)。「今本来の私はどこにあるのか、自分はいったいなにがしたいのか、もう自分でも自分を見失ってしまっています」という一文からは、本当はあなたにはこれまでにしたいこと、あるいは、したくないことが様々にあったのではないかな…と私には感じられたのです。今の就職先を「自分で決めた」と書かれていますが、それも「お金」を出してもらったことや「資格」を取ったことで、ある意味では狭まった選択肢の中「決めた」に過ぎないのではないかなと私には思えています。
「しんどいと思うポイント」を読むと、「保育」の仕事とのいわゆるミスマッチさが浮き彫りになるな…と、どこか感心してしまった私がいました。自身の気持ちや状態を分析する力があなたにはあるのだなと感じつつ、「辛さを聞いてくれる人がいない」ことで今は辛さに押しつぶされてしまっているのかなと想像します。その意味では、ここにこうして書きに来てくれたことは、その状況から脱しようとするあなたの一歩と言えるのかもしれないと勝手ながら感じました。
今回送ってくれた経験談は仕事に就いてからの話が中心となっているように感じたので、私としては、あなたの子どもの頃や仕事に就くまでのことについて、もっと聞いてみたい気持ちになりました。今のあなたの状況を私は「甘えや弱さや根性の無さ」だと全く感じませんでしたし、そもそも「甘えや弱さや根性の無さ」があっていいとも私は思っています。この社会は甘えるな・根性で乗り切れという自己責任論が強い社会だよな…と思ってはいますが、あなたがそう感じるのは、これまでにそう思わされる言葉かけ・まなざし・経験があったのかな…とふと気になったのです。あなたがどんな気持ちを抱きながら生きてきたかというストーリーをまたいつか聞けたらうれしいです。何より、ここに限らずあなたがあなたの気持ちを表現したり語ったりしながら歩んでいけるといいなと思ったことをお伝えして、感想とさせていただきます。