経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「死にたい」と思う時

わたしは自分でも卑屈すぎると思うので、できるだけ考え込まないようにしています。でも大体はすごく些細なことで勝手に落ち込みます。大人になってからは特にそうです。
モヤモヤがいっぱいになったら「早く死にたいなあ」に行き着きます。できないことはできないんだから仕方ない、と開き直って考えられる日もあります。でもどうしても開き直れない日もあります。なんで出来ないのか、努力でどうにかなることでもないし、これからよくなることでもない。

心が苦しくても家では普段どおりでいないといけない。いつもコップにギリギリまで水が入ってるイメージです。ちょっとでも揺れたらいっぱい溢れる。大変だけどもう慣れました。でも、ときどきうまくやれなくなります。情けないです。書いて思いましたが容量が少ないのかもしれません。コップが大きかったらもっと大丈夫になれるのかもしれません。理想ではきれいな水だといいです。あんまりコップが大きくても、すりきりまで入っているなら同じことなのかなあと思います。

苦しいとかつらいと思っていることは、口に出そうとしたら声が出なくなります。こうして文字にしたら涙が出るけど、話すよりは簡単です。わたしの蛇口は壊れているのかもしれません。早くなにも考えなくて済むようになりたいです。なにをしても楽しくない。眠ったほうがましかと思って目を閉じても涙は止まらないのでしばらくは眠れません。変な夢とか怖い夢ばかり見てるうちに朝になります。

「死にたい」はここ一年くらい強くそう思うようになって、急に死にたい気持ちで頭がいっぱいになったら、どうしたらいいかわからなくなって書いてしまうときがあります。できるだけ我慢します。
はやく、ひとりでも大丈夫にならないといけない。死にたい気持ちはずーっと頭のすみっこにあって、大きくなったり小さくなったりします。ふとしたときに「今この瞬間に死ねたとしたら」って考えます。
死にたい気持ちは、学生のときからうっすらあって、歳をとるにつれて大きくなりました。さらに大きくなる気がします。もし歳をとるにつれて諦められるなら、そのほうがいいです。

わたしは孤独死すると思うので、いつか物理的にも心理的にもひとりぼっちになります。今のわたしは、誰かといても安心することがなくなったし、ひとりぼっちに近い気持ちです。
わたしは今、家族と暮らしているので、物理的に常に孤独、というわけではありません。でも、例えば今日からひとり暮らしを始めて、さみしくなったとき、家族を思い浮かべて安心できるのかな… と思うとわかりません。「さみしくても、応援してくれるみんながいるから、がんばるぞ」ではなくて、「さみしいな。でも誰も受け止めてはくれないだろうし、死んでしまいたい」に気持ちが持って行かれると思います。

「さみしい」と言ったら反応してくれる、というだけでもわたしは「受け止めてくれている」と感じると思います。実際に誰かに対して言ったことがないのでわかりません。わたしは言葉を深読みしすぎてしまうところがあります。もっと表面でいいのかもしれません。優しいひとはただ優しいだけなのかもしれないので。

死にたい気持ちをやり過ごさないといけないので、どうにか堪えて、気持ちがなんにもなくなるようにします。でもだんだんまた死にたい気持ちが積もってきて、苦しくてぐちゃぐちゃになるの繰り返しです。つらいです。ごまかしても、またやってくる。自傷したり無駄遣いすることが多いので気は紛れても楽にはなりません。死にたくなって当然な人生だから仕方ないのかもしれない。

感想1

原稿をありがとうございます。
気持ちを言葉にするのがとても上手だなぁと思いました。コップの比喩は細かいところまで伝わってきましたし、読んでいる方もいろいろな思いを巡らせました。言葉をものすごく選んで厳密に表現するのだなぁとも思いました。
それから、うまく言えませんが、人と関わることへの怖さというのか不安のようなものも感じました(私が勝手に受けた印象なので、間違っているかもしれません。もし、勘違いだったらごめんなさい)。
私はあなたと寂しさや孤独、人との関わり、死にたい気持ちについてもっともっと話をしたいと思いました。なぜなら、あなたが感じている漠然とした死にたい気持ちや、心の中のモヤモヤ、コップの中の水については、あなただけのことではなく、今の社会の生きづらさや人が社会的な存在として生きていくためのヒントがたくさん詰まっていると思うからです。
ポータルサイトでは経験談のほかにも社会参加できる機会を作りたいと思っていますので、アクセスしてください。

感想2

経験談を読んで、いつもどこかに「死にたい」気持ちを持っていらっしゃるのだなと分かりました。
「心が苦しくても家では普段通りでいないといけない」という部分に興味を持ちました。文章から想像する限り、そのことが「死にたい」の大きな原因になっているような気がしたからです。本当は苦しいのに、それを隠して元気に振舞わないといけないのだとすると、自分の心が押し殺されてしまいそうです。そんな状況では「死にたくなって当然」だと思います。そんな当たり前の気持ちを表現してくださって、ありがとうございます。
こうすれば気持ちが楽になります、とか偉そうなことは言えません。ただ、死にたい気持ちもあなたの心にあるのもとして、そのまま受け止めたいなと私は思いました。
それから、「ひとりでも大丈夫にならないといけない」とも書かれていました。人に迷惑をかけたくないという優しさから生まれる考えなのかなと想像しました。だけど、完全に一人で生きていける人はいないし、一人で生きていこうとする必要もないんじゃないかなと思います。人はもともと社会的な生き物なので、助け合うのが自然だと考えています。それなのに、なんでも自分の力でやらなければいけない、「自己責任」とされる風潮があって生きづらいなと感じています。私の考えばかり書いてしまいましたが、共感してもらえるところがあれば幸いです。

感想3

「家でも普段どおりでいないとならない」「言葉を深読みしすぎてしまう」などの部分から周囲の人々の言葉の裏をいつも考え、自分の気持ちを押し殺して生活しているのではないかと推測しました。しかし、いくら気持ちを殺していても気持ちは出てきてしまいます。そうなると、どうせ殺さなければならない気持ちが出てくるなら「早く何も考えなくて済むようになりたい」と考えるのは理解できます。また、気持ちを口に出したり文章にしたりすると嫌でも自分の気持ちに気づかされるので、普段抑えていたものがあふれて涙が出るのも理解できます。そのような生活の影響なのか、文章の全体から絶望や、もう死ぬしかないという思いを感じます。どのような経緯でそう思うように(思わされるように)なったのか知りたいと思いました。どんな出来事があったのか、教えていただけると嬉しいです。

感想4

経験談を送ってくださりありがとうございます。
「いつもコップにギリギリまで水が入っているイメージ」という言葉が、あなたの心の状態を的確に表現されているなと感じました。そのような中で、色々なことを我慢しているようにみられたので涙が止まらなくなったり、常に「死にたい」という気持ちを抱いてしまうのも理解できます。ここ一年くらいで「死にたい」気持ちが強くなったとありましたが、強く抱くようになった何かきっかけなどあったのか気になりました。

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