文章を書くのは苦手な方なので誤字脱字、稚拙な文体にご容赦ください。
自分の言葉が発しにくい、原因は自分なりに分かっているつもり。母子家庭で育ち 年の離れた兄がいた。「兄の言うことを聞け」「お前はまだ小さいから」母と兄からずっと言われた言葉 私を守る為に言ってた言葉は私からの言葉を奪った 反論なんて出来る訳もなく出てくる言葉は「じゃあそれで」「わかった」「何でもいい」の3つに限定されていたそれを自分の意思と思いながら
成長を経て高校生から社会人になってもこの穴の空いた自分は変われない 友人 恋人と何か話してても感じ取れるもの 発するもの全て上辺だけ 本音に触れること触れられる事を全て拒否 その内に怠惰な自分が見える、自分で勝手に落ちたのに必ずどこかで他人のせいにしてる
そこから何もかも上辺は真面目に過ごす、勝手に明るく社交的な印象が走る 本音は何も変わらず幼少期のまま 印象と本音の距離は加速度的に離れる。もう本音を晒す気も無くなる 安息も要らない 他人のイメージのままでいいや それが求められている自分なら
重い 苦しい 見えない
只 日々をなにも考えずに過ごして無駄な事に気づかず 振り返るとこんな事ばかり考え 只々消費し続けている事に生きづらさをずっと思っています。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
何が真実? 本当の自分って?
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。苦手ながらこうして言葉にしてくれて、伝えてくれて、あなたの心の奥底に触れているようなそんな気持ちになりました。
穴の空いた自分、上辺だけ、印象と本音という言葉たちの表現の節々に、あなたが宙に浮いていて、もがこうにも、もがく力さえ出てこないようなイメージがあります。
本音を拒否することが、怠惰だという風に考えたことはなかったけれど、そうあなたから出てきたところを思うと、あなたにとって人の本音に触れるのも、自分の晒すのも相当のエネルギーが必要なことで、とても自然にできることではないということが伝わってきました。
大概の人にとって、人の本音に触れることも、自分の本音を晒すことも簡単なことではないとは思うのだけれど、でもこのまま続けていたらあなたが壊れてしまいそうな、限界のようなものも感じています。
自分自身が自分にとって身近な存在だとすると、自分に無視をされている状態って想像以上に苦しいことなのではと思っています。
あなたの幼少期の経験も踏まえると、なかなかひとりでは抱えきれない(あなたの力や怠惰の問題ではない)ところも感じたので、カウンセリングなど、専門の人へ話を聞いてもらうのも良いような気がしました。
またいつでもこちらにも、本当のところを吐き出しに、整理しにきて欲しいなと思っています。
感想1
まず、文章を書くのは苦手だと感じながらも伝えてくださり、ありがとうございます。
あなたが日頃からどれだけ自分と向き合っておられるのか、ひしーっと伝わってきました。
あなたが苦手だと思っていること、その原因まで深く考えられていることにとても尊敬の念を抱いています。
さっそく触れたいと思うのですが、
「私を守る為に言ってた言葉は私からの言葉を奪った」
この言葉がすごく印象的で、また、すごく考えさせられました。
伝えてくれる人にとって善意であっても、その言葉を受け取る人によっては善でない可能性があるということ。
言葉を受け取る人の心情や境遇は、その人にしか分からないものだ、ということが改めて強く再認識できる、そんな言葉だと思いました。
「印象と本音の距離は加速度的に離れる」
この言葉もすごく考えさせられました。
内なる悩みを相談できず、相手に迷惑はかけられないから平気を装う。そうしていく内に段々と、気持ちの余裕がないのに、周りから見たら色んな事をしてくれる、聞いてくれる「良い人」だって印象が出来る。このギャップが苦しいのかなって考えてました。
みんな出来ることではないし、周囲の人たちにとっては好ましいことなのかもしれませんが、その犠牲に「自分」があることがすごく悲しいなって思いました。
自分を犠牲にしない「中立」が理想なのかなぁなんて、思ったりしてます。
何も考えず消費している、と書かれていますが、全くそんなことないよって思いました。
文章、とても分かりやすくて考える機会がたくさん出来ました。
改めて、ありがとうございました。