経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

無くならない希死念慮

物心ついた頃から自分に生きている価値はあるのかそればかり考えています。
5年ほど前に死ぬことしか考えられなくなり、医療保護入院をしました。鬱病ということでいまでも週一精神科に通っています。
人が怖くて、誰も信用できません。主治医とは相性が良かったのか、今一番弱みを見せられるのは主治医です。夫も子どももおりますが、自分の本心を見せられる相手ではありません。
医師と患者という関係があって、そこに金銭が発生して、それでやっと信じる事ができます。
他人はいつも私を傷つける。そんなつもりじゃなかったとか、気にする方がおかしいとか、言われ続けてなにも言う気がしないです。
自分がおかしいのはわかってる。
他人に期待しなければ傷つくこともないですから会話を、放棄している状況です。
それだけ信頼していた主治医がクリニックを辞める事になり、いまはパニック状態です。
辞める事になった時に一番心配だったのは私の事だと言われました。
今まで完璧でなくてはいけないとか、きちんとできない自分に生きる価値がないとか、そういう思い込みを一つ一つ壊してくれた先生でした。今までやってきたこと話してきた事は必ず今後の人生を役に立つから…無駄ではないから思いだして欲しいと。
でもなにかあったら先生がいるというのが心の支えでした。
この先なにを頼りに生きて行けばいいのかわかりません。
死にたいです。どうしたらいいのかわかりません。

感想1

初めに、相性の良い主治医と出会えて〜と書かれていたのを読みホッとしたのも束の間。「辞める事になり」という一文を読んだ瞬間に「嘘でしょ…?」と無意識に声が出てしまった私がいます。
人が怖くて誰も信用出来ない事、日々を安心して過ごせないつらさや、過ごす時間が長い可能性のある家庭内で自分の本心を見せられない状態だととても苦しく落ち着けず、不安な気持ちを感じる時間が多いんじゃないかと考えました。
やっと信頼できる存在に巡り会えたのに、クリニックを辞めてしまうなんて「そんな事ってないよ…。」って強く思ってしまいます。
相性が良いと感じられたり、その判断が出来たのにも、きっとあなたの中で時間が必要だったと思います。だからこそ尚更失うつらさは大きく、正に二人三脚な状態で歩んできた関係なんだと読んでいて感じました。先生の言う通り、確かに今までやってきた事は今後に役立つのではと私も思います。でも、”先生に話せるから・先生がいる前提”でそれは役立てられるんだよ…とも私は思いました。
私も身体の持病で鍼治療に通っているんですが、先生との相性が良かったと感じています。でもこの先生がいなくなったらと思うと絶望を感じるし、ここまで引っ張ってくれたこの先生がいるからまず通えていて、めんどくさくても行こうと思えて。いなくなってしまったら、”一番状態が悪い時の自分”にまた戻ってしまうのでは…?って考えてしまいます。こんな恐怖も、あなたが「死にたいです」と言っていた中の一つにあるのかもしれないと勝手ながら想像しています。
主治医から、別の先生の紹介だったり引継ぎの話は今既にあるのでしょうか?辞めるのも、別のクリニックへ行くのか職自体から離れるのか、気になってしまいました。どうにかして引き続きあなたの担当でいてくれないだろうかって願望から、そう考えちゃうんです。
パニックになって、そうなる事で更にそこに希死念慮も強くのしかかってる中ここに書き込んでくれたんだと感じています。書き込んだとて、気持ちや現状が整理されたわけじゃないことも同時に思います。でももしまた書けそうであれば、現状やあなたの気持ちを書き込んでほしいと思っているので、タイミングが合えばまた死にトリに来てください。投稿ありがとうございます。

感想2

投稿ありがとうございます。他の人に対する恐怖の中で、例外的な存在になっていた医師との関わりと、その関わりが医師の退職によってなくなりそうだということによる大きな不安について書かれていました。途方に暮れて立ち尽くすような様子を思い浮かべています。

あなたにとって、他者からの言葉などはあなたを傷つけたり、怖がらせたりすることがとても多いのだろうと想像する一方で、会話をしないなどの選択をしていたからといって、自分一人でいても苦痛が多いのかな、それとも、本当に一人きりで完結していたら苦しさは減るけれど、現実的には他者と関わるしかないから大変なのかな? など、いろいろと考えていました。
また、あなたが夫や子どもを含めた多くの他者には見せられないと思う「自分の本心」「弱み」というのはどういうものなのだろう? 見せないということはどういうふうに振る舞うものなのか(たとえば、べつの自分を見せるのか、それとも言葉通り完全に会話をしないでいるということなのか……)なども、読んでいて気になりました。それらは傷つくことがたくさんある中で、あなたがなんとか身につけてきた対処方法なのだろうな、と思いました。同時に、私は個人的に自分の「本心」みたいなものを結構曖昧なものだと感じているので、あなたはそれとはべつの感じ方や捉え方をしているのかもしれない、と想像しています。

「完璧でなくてはいけない」などの思考が強かったら、それだけで緊張状態から抜け出せなくなりそうだし、とても苦しいと思います。そのような強い信念を「一つ一つ壊してくれた」ことはあなたの人生の中でとても大きなできごとだったのだろうなと想像しています。そう考えると、人によって受けるダメージはとても大きいけれど、あなたが生きる上で、人と関わることで得る安心があるのも、一つの側面なのだろうなと思いました。もちろん、だれでもいいということではなく、その主治医との関係性だからこそだとは思いますが、そういう人が一人でも見つかったことはとても大きいように個人的には感じました。認識のアップデートができるということも、他者がいるからこそではあるのかなぁと思います。

ただ、その信頼関係による安心が失われると想像するだけでパニックになるのも無理はないと思いました。一方で、主治医の方が言った「今までやってきたこと話してきた事は必ず今後の人生を役に立つから…無駄ではないから思いだして欲しい」という言葉は、きっとこれまでのことだけでなく、今後にも言えることなのだろうなとも思います。(と言ってもそう考えて簡単に心を落ち着けられたら苦労はないよね、とも思うのですが……。)
この文章を送ってくれてから少し経ちましたが、いまはどんなふうに過ごしていますか? なにか変化はあったでしょうか。もしかしたら、私が書いたこの感想もあなたを苦しくさせてしまったり、困らせてしまったりするものかもしれませんが、そうでない部分が少しでもあればいいなと思っています。もし、死にトリに活用できそうな使い方があれば、またアクセスしてみてください。

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