私はこれまで何回も
学校に行けなくなった
その度に友達や先生方に助けられた
今もそう
人に助けられているのに
私は人を信用するのがとても怖い
仲良くしていたと思えば
誰か一人その場から抜けた瞬間
その人の悪口を言い始める
私も裏でこんなことをされているのでは
ないかと勝手に考えてしまう…
私は人が多過ぎる所や物音が大きい場所
がとても苦手だ
音が沢山で混ざっている場所も
何故そうなったかはわからない、が
決まってそういう場所に行くと
ザワザワして気持ち悪くなる……
最悪の場合は過呼吸気味にもなる
学校でもそう
学校は色んな人がいて色んな音が鳴るし
色んな声が混ざっているから
一度にそれが起こると気持ち悪くなってしまう、
それを繰り返すと今度は
学校を休む事になる
負のループでしかない……
自分なりに頑張っているのに
進んで行った先には光がなくて
いつも暗闇ばかりでどうしたら
いいのかどう生きていいのか
わからなくて…
学校に行けば友達は数人いるけど
その子達と関わる事さえ
怖くなる事だってある
自分で自分の事を分かりきることは
難しいけど分からなさすぎるのも
それはそれで苦しくなる1つの理由だと
私は思う。
どれだけ仲のいい子がいても
どれだけ助けてくれる人、
気にかけてくれる人がいても
その場所に行くのが苦しいと思うことに
変わりはないし、少し頑張れたから
と言ってそれを続けようとすると
もうその時点で自分の気持ちを無視して
無理やり進んで行ってるようなものだから壊れてしまう
その繰り返し、繰り返し過ぎると
自分で自分の限界がわからなくなる
自分の限界は周りの人にはわからない
でも自分でわからなくなったとき
どうするのか、限界が自分で
わからないならどの時点で止まるのか
そんな事すら頭になくなる
もう無理、もうキツイって
言っても大丈夫、まだできる、
行っちゃえばその場の勢いで
どうにかなるよ、なんて言葉
苦しめられる言葉でしかない
苦しいなりにどう頑張ろうとしても
ループからどう抜け出そうと
足掻いてもループの沼に深く深く
沈んでいくだけ……
上がることは簡単じゃない……
人生において答えはないと言う言葉が
あるのなら誰か答えを作って欲しい
私は自分で考えるのも意見を
まとめるのも苦手で
得意な事を見つける事さえも苦手だ
苦手を得意に変えようとしたら
たくさんの努力がいる
でも今の私にはそんな力が残っていない
周りの人の力を借りても
希望を見出すのも難しい
ずっと夢を見れたらいいのに……
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
光のない道
感想2
悪口は言われても言っても嫌なものだなと、悪口の渦中にいる時の胸のざらつきを思いだしました。初めて私が悪口に晒されたのは、小5の時。私がいることに気が付かず、数名の友人で私のことを話していました。ドキドキと心臓の音が聞こえるほどに驚き、初めて触れる人間の二面性に戸惑いました。「人を信用することが怖い」というあなたの気持ちと重なるように、恐怖におののいた私がいました。
たまたま同じクラスの生徒たちを団結や絆という言葉で、ひと固まりとしてしまう特徴が学校にはあったりします。それぞれのやりたい、やりたくない、苦手や得意などを「やらなければならないこと」「仕方が無い」という言葉で強いてくるそんな場面もたくさんあり、傷つき負担に思う生徒も多いように思います。私もその一人でした。発熱やケガと違い、周囲にどのように自分の状況や気持ちを伝えたら良いのか考えあぐねるあなたもいて、自分の頑張りが届かないような無力感に苛まれているように感じました。
周囲からのプレッシャーや見えない言葉が学校中に漂っていて、自分の気持ちを無視する場面がこれまで何度もあって、あなたは傷つきこんなことがずっと続くのかと「光のない道」と日々の時間に名前をつけた。自分で考えるのも意見をまとめるのも苦手と書かれていましたが、あなたは自分の声を無視すると壊れてしまうことをわかっている。あなたは自分のペースで自分を探り、自分の取り扱い説明書を半分くらい書き上げているようにも見えました。その時の状況や関わる人、場所や時間など色んなものに左右され人生においての答えはコロコロ変わってしまいます。けれどいつも、何も感じず何も思っていない自分はいないはずです。投稿、ありがとうございました。
感想1
経験談を読んだ後、「光のない道」という題名がしっくりくる、そんな風に思いました。自分の中でたくさん想いを巡らし、考え続けて、でも生きていく中でどうにも解決できないことのように感じたり、これがずっと続くなんて耐え難いというような絶望にも似たような感覚だったのかなと想像しました。
いくら気の許している人、仲の良い人がいても、それが根本的な解決にはならないという状況は私も少し理解できるような気がしました。学校に行くこと、音が飛び交う場所にとどまることに本当に苦痛があるとしても、結局は自分自身が我慢しなければいけない、努力すべきという状況は少なからずあって、その我慢や忍耐が美徳ともされているような社会の風潮では、頑張ってこなしたことすらも、“当たり前”にされる苦しさがあるような気がしています。 苦しいことをそのまま苦しいと叫ぶことができたらいいけれど、叫んだとして状況は変わらず、助けてと声を出すことすら諦めてしまいたくなる、そんな社会にも感じています。
人生に正解や答えがないからこそ、生きづらい、そんなふうに聞こえてきました。個性という言葉や、どんな選択をしても自分の人生というような言葉はよく聞きますが、年齢や時期によって求められていることはそれなりにあって、それができなかったり、違う道を選んだ時に、当たり前のように応援されるような社会にはまだまだなっていないなと思います。答えがあることで、レールを決められたようで苦しく感じるような気もするし、でも時に道に迷う時や自分で決めきれないそんな時には指針になることもあるのかな…と想いを馳せた私がいます。
それでもあなたができないことや苦手なことばかりが目についているように読んでいて感じる一方で(違っていたらすみません…)、当たり前のようにこなしていること、その中にはかなり努力してこなしていることも多いのかなと感じるので、それって簡単なことではないと私は思いました。進んでいく社会の流れが早く感じたり、考えられないと思う時は、無理に先を想像せず夢を見たり、現実逃避する時間があってもいいのかなと私は思います。どうか自分のペースでゆっくり決めていって欲しいなと思いました。